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第5章

翌日になり、視察の最終日を迎えた。会議室ではミーティングが始まった。管制官全員が集まり、それぞれがこの三日間の視察対応での疲れを感じつつも緊張感を保っていた。

片山も少し遅れて会議室に姿を現した。彼が入室した瞬間、一瞬気まずい空気が流れたが、それを最初に破ったのは真奈美だった。

「おはようございます、片山さん!」

明るく元気な声が会議室に響く。その声に引っ張られるように、他のメンバーも次々と片山に挨拶をした。

「おはようございます、片山さん。」

「おはようございます。」

片山は少し緊張した表情を浮かべながらも、軽く頭を下げた。

「おはよう。」

その様子を見ていた佐藤が片山に軽く声をかけた。「おはよう、片山。今日も頼むぞ。」

片山は小さく頷きながら、「はい、分かりました。」と静かに答えた。

ミーティングが始まり、佐藤が視察の進行状況や最終日のスケジュールについて説明を行った。その後、片山が静かに口を開いた。

「みんな、この三日間視察対応で忙しい中、俺のことで心配かけて申し訳ない。本来なら自分で解決すべき問題なのに。」

その言葉に対して、三津谷が口火を切った。

「何を言ってるんですか、片山さん。僕たちはチームなんですから、心配するのは当たり前ですよ。それに周りが部下ばかりだからって気を遣わないで、なんでも言ってくださいよ。」

篠田も続けた。

「そうですよ。片山さんが一人で抱え込む必要なんてないんです。これからは、もっと私たちを頼ってください。」

内田も笑いながら言った。

「そうそう。俺なんかしょっちゅうみんなに頼ってますからね。」

会議室には柔らかい空気が流れた。片山は深く息を吸い込み、もう一度頭を下げた。

「悪いな、みんな。」

そこに坂本と杉浦が会議室に入ってきた。坂本は全員に軽く手を挙げて挨拶し、杉浦も深々と頭を下げた。

「皆さん、おはようございます。視察最終日となりましたが、本日もよろしくお願いします。」

佐藤は坂本に会釈を返し、ミーティングは一旦終了となった。


________________________________________


その後、片山と真奈美は管制業務の準備を進めていた。二人は隣り合わせで資料を確認していたが、真奈美はふと口を開いた。

「片山さん、実は昨日、部長から関空時代のことを聞いてしまいました。ごめんなさい。」

片山は一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐに微笑んだ。

「謝ることじゃないさ。その話を知ったところで、俺がやったことは変わらない。」

片山は少し視線を落とし、静かに続けた。

「あの時、俺の指示ミスが原因で大きな事故を引き起こしかけた。それが悔しくて、今でも忘れられない。」

その時、坂本が部屋に入ってきた。彼は片山と真奈美の間に立ち、軽く笑みを浮かべた。

「片山、そろそろいい加減、自分を責めるのはやめたらどうだ?」

真奈美は坂本に視線を向けた。

「どういうことですか?」

坂本は真奈美を見つめ、少し考え込んだ後に口を開いた。

「責任を感じていることはよく分かる。でも、あれはお前一人のせいじゃない。」

片山は視線をそらしながら答えた。

「どちらにせよ、俺が指示を出した。それが事実だ。」

坂本はため息をつき、片山の肩を軽く叩いた。

「山口さんや、他の皆にも話しておいた方がいいんじゃないか?お前が一人で背負い込む必要なんてないんだから。」

その時、三津谷から急ぎの連絡が入った。

「片山さん、シンガポール発のSAA624便がバードストライクを受けて、片方のエンジンが停止。緊急着陸を要請しています。」

片山と真奈美はすぐに立ち上がり、対応に向かった。坂本は片山の背中を押しながら静かに言った。

「行ってこい。」

片山は短く頷き、真奈美と共に管制室へと急いだ。


________________________________________


エマージェンシーを発令したサウスアジア航空624便は、シンガポール発、乗員乗客206人を乗せたエアバスA350型機だ。最終の着陸態勢に入る直前にバードストライクを受け、左エンジンが停止した。機体は一度ゴーアラウンドを選択し、燃料消費を抑えつつ、緊急着陸に向けた準備を進めていた。

コックピットでは、機長のアンソニー・ラウと副操縦士のジョン・ダグラスが冷静に操縦を続けていた。

「エンジン出力、右のみ維持。滑走路状況の確認を。」

ラウが冷静に指示を飛ばし、副操縦士のダグラスが迅速に対応する。

「滑走路34Rが最適です。ただし風の状況が変わりつつあります。」

一方、機内ではキャビンアテンダントたちが緊急着陸に向けたアナウンスを行い、乗客に安全姿勢を取るよう促していた。緊迫した空気が広がる中、泣き出す子供の声や、不安そうに祈る乗客の姿も見られた。キャビンの中央では、アテンダントが明確な指示を繰り返し、乗客を落ち着かせようとしていた。

「皆さま、これから緊急着陸を行います。お座席のシートベルトをしっかりとお締めください。」


________________________________________


管制塔では、片山が冷静に指示を出していた。A滑走路が拡張工事のため使用不可という制約の中、残る3本の滑走路で緊急着陸を含むすべての発着便を捌かなければならなかった。

「34Rを緊急着陸用に確保する!他の滑走路を使って通常運航の便を再調整しろ。」

片山は迅速に判断し、坂本にも指示を出した。

「坂本、お前も協力してほしい。出来るか?」

坂本は少し笑みを浮かべて答えた。

「一緒に働いていた頃を思い出せ。昔の勘はまだ残っているさ。」

その言葉を聞いていた杉浦が前に出てきた。「片山さん、緊急車両の配置と手配は私がやります。滑走路の安全確保を優先します。」

片山は「お願いします。」と短く答え、次の指示を考え始めた。

鈴木も片山の近くでサポートに入った。「片山さん、風向きの変化について追加情報があります。ウインドシア発生の可能性が高まっています。」

「了解、鈴木。即座に確認を進める。」

レーダールームでは、三津谷が到着便の調整を担当していた。

「現在、着陸待ちの便が4機。優先順位を再確認し、SAA624便を最優先で誘導する。」

内田と篠田もそれぞれの席で情報を整理し、適切な指示を送っていた。

「内田、離陸予定の便はどれくらい遅延している?」

「約15分ですが、まだ収まりそうにありません。」

篠田が補足した。「片山さん、SAA624便の燃料状況も考慮すると、早急に降ろす必要があります。」

「分かった。優先順位は変えない。」

佐藤も状況を注視しており、全体の進行を見守りながら片山たちに声をかけた。

「よし、全員このまま落ち着いて対応するんだ。」


________________________________________


ついに、SAA624便の緊急着陸態勢が整った。滑走路34Rは完全にクリアされ、緊急車両が待機している。

片山が無線で機長に最終確認を取った。

「SAA624、こちら東京タワー。滑走路34Rに緊急着陸を許可する。北西からの風10ノット、横風に注意してください。」

「了解。滑走路34Rに緊急着陸します。」

ラウ機長の冷静な声が返ってきた。緊張が高まる中、真奈美が片山の隣で状況を見守りながらサポートしていた。

「片山さん、ウインドシアの警報が出ています。」

「真奈美、全ての状況をモニターしておけ。」

坂本も状況の確認に加わり、管制塔内の緊張感を共有していた。「片山、俺も追加情報を集めて報告する。」

「頼む。」

杉浦も引き続き滑走路の緊急車両配置状況を確認し、片山に報告した。「緊急車両、全て待機中です。いつでも出動可能です。」

「了解です。」

機内では、ラウ機長が乗客に向けて安全姿勢を取るようアナウンスを流した。

「こちら機長です。安全姿勢を取れ。」

キャビン内では乗客が祈るような表情を見せる一方、アテンダントが迅速に非常口の確認を行いながら、最後の指示を伝えていた。

機体が接地寸前、突然のウインドシアが発生し、機体が滑走路を逸脱する形で右へ流れた。滑走路上300メートルを過ぎた地点で停止したが、その瞬間、右エンジンから煙が上がり、炎が確認された。

「右エンジン、火災発生!」

片山は即座に消防と救急車両の出動を要請した。

「全緊急車両、滑走路34Rに急行せよ。右エンジンに火災発生!」

管制塔内の空気が一気に張り詰めた。真奈美は手元の資料を確認しながら片山に声をかけた。

「乗客の避難が最優先です!」

「分かっている。」片山は短く答え、さらに指示を飛ばした。

一方、機内ではキャビンアテンダントたちが迅速に乗客を避難させていた。非常口が開かれ、緊急脱出用スライドが展開される中、ラウ機長とダグラス副操縦士は最後まで乗客の安全を確認していた。

「こちら機長です。直ちに脱出せよ。」

滑走路では、炎が上がる中で緊急車両が到着し、消火活動と乗客の安全確保が迅速に進められていた。


________________________________________


緊迫した状況の中、SAA624便が滑走路を逸脱して停止してからわずか数秒で、羽田空港の緊急車両が現場に到着した。消防車や救急車がサイレンを鳴らしながら駆けつけ、乗客の救助と右エンジンの火災消火に総力を挙げた。

脱出用スライドが展開され、機内から次々と乗客が脱出を始めた。空気は緊迫し、一部の乗客はパニックに陥っていた。子どもを抱きしめる母親や、不安そうに祈る乗客の姿が目立つ。機内ではラウ機長とダグラス副操縦士、キャビンクルーが一丸となり、冷静な声で乗客を誘導していた。

「こちら機長です。焦らずに脱出してください。我々が誘導します。」

ラウ機長の毅然としたアナウンスが機内に響き渡る。その声に少しでも安心を覚えたのか、乗客たちは隊列を組んでスライドに向かう。キャビンクルーの一人が叫んだ。

「緊急脱出は機体左の非常口を使用してください!早く外に出てください!」

機内後方では小さな子どもを抱えた乗客が足をもつれさせながらもスライドへ向かうのを、乗務員が手を貸して助けた。


________________________________________


管制塔内では、片山が無線で次々と指示を出しながら状況を注視していた。

「SAA624、全乗客の避難が進行中。緊急車両が現場で活動を開始。」

「他の発着便はどうだ?」

鈴木が滑走路の状況を確認しながら報告する。

「現在、04と05を使用して対応中です。離陸待機が6機、到着予定が8機。全体の遅延は最大30分程度です。」

「了解。引き続き状況をモニターしろ。」

片山の冷静な声が響く中、真奈美も隣で補助業務にあたっていた。

「片山さん、他の航空機にも追加情報を送信しておきます。」

「頼む。」

レーダールームでは三津谷が到着便の再調整を行い、内田と篠田が連携を取りながらサポートしていた。

「現在、他の滑走路への誘導が進んでいます。ただ、混雑が激しいので優先順位を再確認する必要があります。」

篠田が地図を確認しながら冷静に報告する。

「その間、離陸予定の便はさらに遅れるが、安全優先で調整を続けるぞ。」三津谷が内田に指示を出した。

内田は毅然とした態度で返事をした。

「了解です!」

佐藤は管制室内を見渡し、部下たちに向けて声をかけた。

「焦るなよ。このまま冷静に対応を続けるんだ。」

一方、杉浦は片山に「現場の緊急車両が十分でない場合の対応を確認します」と伝えた後、すぐに現場へ向かった。緊急車両に乗り込み、滑走路34Rに急行する。

「現場到着、全ての乗客の避難が完了したら報告します。」

片山は無線で応答した。「了解。」


________________________________________


その頃、現場ではラウ機長が最後まで機内を確認していた。

「後方ギャレー、異常なし。トイレ、異常なし。」

ダグラス副操縦士が出口付近で彼を待ちながら声をかける。「全員降りました。機長も早く脱出してください!」

ラウ機長は最後にもう一度振り返り、機内を確認した後、緊急脱出用スライドを滑り降りた。


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全乗客の避難が完了したのは着陸から15分後のことだった。消防車が放水を続ける中、緊張に包まれた空気が少しだけ和らいだ。

杉浦は片山に向かって無線で伝えた。

「片山さん、全員無事に避難できました。」

真奈美もその報告を聞き、ホッとした表情を浮かべた。「片山さん、良かったです。」

片山は短く「よし」とだけ答えたが、その目はまだ緊張を解いていなかった。


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緊急着陸から2時間が過ぎた。機体の火災はおさまらず、テレビでは火災のニュースが大々的に報じられていた。

「先ほど羽田空港で発生したサウスアジア航空624便の緊急着陸の映像です。緊急着陸から約15分で全乗客の避難が完了しましたが、事故発生から2時間が経過した現在も機体は炎上しており、消防隊が懸命な消火活動を続けています。なお、この事故により他の発着便にも大きな影響が出ており、空港全体で対応が行われています。」

画面には炎上する機体と消防車が放水を続ける様子が映し出され、空港の混乱ぶりが伝えられていた。

外は次第に暗くなり、18時過ぎ、ようやく火災は鎮火した。

坂本が片山に声をかけた。「火災は完全に治まったみたいだ。さすがだな、片山。見事な指揮だったぞ。」

片山は肩をすくめながら答えた。「まだ終わっていない。他の便の遅延処理が残っている。」

坂本は苦笑いしながら「まったく、お前らしいな。」と言い、片山の背中を軽く叩いた。


________________________________________


夜の羽田空港は静まり返りつつあったが、片山たちの闘いは続いていた。その静寂の中、管制塔の窓から見える滑走路の灯火だけが、彼らの努力を物語っていた。

火災の影響で大幅な遅延や一部欠航便が発生したが、片山たちは全力で業務に取り組み、無事に1日の仕事を終えることができた。テレビのニュースでは、火災の鎮火と乗員乗客全員が無事避難できたことが大々的に報じられていた。

「本日、羽田空港で発生したサウスアジア航空624便の緊急着陸とそれによる火災についてお伝えします。乗員乗客206人全員が迅速に避難し、人的被害はありませんでした。機体から発生した火災は消し止められ、事故の発生から約9時間の18時40分頃に鎮火したとのことです。また、今回の緊急事態ではラウ機長を始めとした乗務員、そして管制官など空港スタッフの冷静な対応が被害を最小限に抑えたと評価されています。」

画面の中のアナウンサーが冷静に状況を伝える中、映像には滑走路での消火活動や乗客が避難する様子が映し出されていた。


________________________________________


管制塔の中には一息ついた空気が流れ、真奈美は大きく深呼吸をしてから窓の外を見つめた。

「まだ滑走路の周囲には消防車が待機しているけど、これ以上大きな問題はなさそうですね。」

鈴木が後ろから真奈美に声をかけた。

「そうだな。でも、本当に無事に終わって良かった。」

三津谷も頷きながらデスクに腰掛け、冷えたコーヒーを飲み干した。

その頃、坂本が再び片山たちのいる管制塔に戻ってきた。杉浦は事態の詳細報告をするために先に航空局へ戻っていた。

佐藤は管制室を見渡し、労いの言葉を口にした。

「みんな、本当にご苦労だった。あの緊急事態の中、みんなよく冷静に対応してくれた。今回の対応について、ラウ機長とダグラス副操縦士もすごく感謝しているとのことだ。」

真奈美がほっとした表情を浮かべた。

「良かった…。あの時は本当に緊張しました。」

佐藤は優しい笑みを浮かべながら続けた。

「今日みたいなことが二度と起こらないようにと願いたいがな。」

さらに佐藤は坂本に向き直り、深々と頭を下げた。

「坂本さん、今回の視察中にこのような事態が発生してしまいましたが、対応に協力していただき本当にありがとうございました。」

坂本は軽く手を振りながら答えた。

「いや、感謝するのは私のほうですよ。久々に現場の空気を感じられました。」

片山も「ありがとう、坂本。」と感謝の意を述べた。

坂本はその言葉に応え、片山の肩を軽く叩いて言った。「いいんだ。お前があの頃と全然変わってなくて安心したよ。それに、また一緒に働けて、まるで関空に戻った気分だったしな。」

片山は少し照れくさそうに笑った。

鈴木がすかさず声を上げる。

「片山さん、今日は本当にお見事でした。あの的確な指示のおかげでここまでうまくいったと思います。」

三津谷も笑みを浮かべながら言った。

「僕も同感ですよ。あんなに冷静に指揮を取れるなんて、やっぱり片山さんは頼りになります。」

内田も続けて言う。

「いやいや、本当にかっこよかったですよ。次も頼りにしてます!」

そのやり取りに片山は少しだけ表情を緩めたが、どこか浮かない顔をしていた。

そんな片山に、坂本が真剣な表情で声をかけた。

「なあ片山、そろそろ関空時代のことをみんなにきちんと話してもいいんじゃないか?」

その言葉に一瞬、管制室が静まり返った。

篠田がそっと口を開いた。

「片山さん、私たち…その…、部長から少しだけ話を聞いてしまったんです。でも、片山さんがずっと悩んでいるなら、みんなで力になりたいって思って…。」

鈴木や三津谷、そして真奈美も頷き、片山を見つめていた。

片山は深いため息をつき、少しの間目を閉じた後、ゆっくりと口を開いた。

「…そうだな。」

全員が彼を見つめる中、片山はゆっくりと立ち上がり、深刻な表情を浮かべながらも、話すべきことを考え始めているようだった。

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