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へんな怪談集

赤信号

作者: 夏野 篠虫

 横断歩道を赤信号で止まる。

 3歳の頃に親から教わるような至極(しごく)当たり前な行為ができない人がいる。たかだか数十秒、長くても数分の時間を待ちきれず、単純明快な法律違反をしてまで目的地へ急ぐ人の心理が分からない。自分は遅刻しそうでも信号が赤なら立ち止まる。

 みんな待てよ、と。ただそう思う。



 自宅の近所に周辺より少し待ち時間の長い横断歩道がある。

 そこは向こうに本数の多いバス停、住宅地近郊にしては大型のディスカウントショップが手前側にあり、バスの利用者と店舗の出入りで人の往来が結構多い。バスの出発が迫っていたり安売りに慌てた買い物客らにとっては待ち時間の長さが致命的になりえる。しかし青になるまで待たなければならない。


 その日はあれこれ仕事が立て込み、珍しく長残業だった。

 ギリギリ終発のバスに間に合い、疲労体を引きずって横断歩道前に降り立った。

 日付を跨ぐ頃、ディスカウントショップは24時間営業のため、疎らだがまだまだ客足がある。店の照明が街灯代わりとなって付近に深夜の静けさは感じない。

 私はお酒とつまみを買いたい欲を抑え家路に着くため長い赤信号を待った。

 もはや当然というか恒例というか、反対側の通行人は車に気を遣うような視線だけ動かしてさっさとこちらへ渡ってくる。何事もない顔をしているのを見るとなんとも言えない気持ちになる。

 3人ほどそうやって信号無視していく中で、いつの間にか一人だけ、横断歩道の手前で止まる小柄な女性がいた。鞄一つも持たない、紫色のカーディガンに黒っぽいロングのフレアスカートの40代くらいだろうか。やや右肩を斜めに落とし寒さで体を震わせているように少しふらついているが澄ました顔をして立っている。

 その立ち姿に違和感を覚えたが、信号をきちんと守る人が他にもいるという事実はもやついた私の心を軽くさせた。

 同じ立場ではないのに、その女性の事を同士のように思ってしまい、失礼だと思いつつもチラチラと見てしまう。

 そうしているうちに、いつもは長く感じる赤信号が終わり青に点灯した。

 良い人もいるんだなと再確認した私は心地よく家に向かって横断歩道を渡り出した。

 だが反対側の女性は動かない。

 わざわざ信号を待っていたはずなのにどうしてだろう。

 疑問に思いながらも早く帰りたい思いで歩いていく。

 私が横断歩道を渡り切るまで、女性は動かなかった。

 変わった人だな、そう内心に留めながら女性とすれ違ったとき、


「うごけないの」

「え」


 一瞬とは思えないほどクリアに耳へ飛び込んできた言葉。

 間違いなく女性から発せられた言葉に足を止められた私は近くで彼女を見ようと振り返った。


 黒いセミロングの髪、紫の上着に黒のロングスカート、そしてこちらに爪先を向けたパンプス。

 彼女の足は180度後ろを向いていた。

 驚いて視点が広がり、さらに気づいた。

 着ているのはロングスカートじゃない。ミニスカートだ。

 脚が折れ曲がっているから背が低く見え、スカートも長く見えているんだ。スカートの生地には黒に紛れるように色の違う黒がシミになっていた。体が震えていたのは機能を失った脚で無理にバランスを維持しようとしてたから。

 あ、そっか、事故だ、彼女は車に()かれて脚を全部壊されてしまったんだ。それでいまはもう――


 私が理解した途端、彼女は紙人形のように頭から潰れてしまった。その後には何も残らず、ただ赤に戻った信号がアスファルトを冷たく照らしていた。



 あの日以降、夜にこの横断歩道で信号を待つと必ず彼女が現れてこちらを見ながら、もう立てないはずの足で潰れるまで必死に体を支えている。

 まるで彼女に監視されているようで、私は今も信号を無視できない。


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― 新着の感想 ―
襲ってくるでもなくただそこに佇んでいて、たった一言、”動けないの”と残して霧散するところに、何とも言えない虚しさや無情を感じてしまう。
怖さは無論のこと、悲しいお話だとも感じました いまだ浮かばれず、いずれにせよ苦しまれているなら……そう好き勝手に現れ得るものでもないのでしょうが、もともと厳守派の方より、別の破戒派の方に啓発できれば…
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