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大切なことは全て銭湯で学んだ。

作者: 水妃

僕は、

昭和に生まれ、平成、令和と生きてきた。


その中でも

僕が僕を形成する上で欠かせないのは、

銭湯だと今振り返っても思う。


園児、小学生、中学生、高校生など

それぞれのステージで

僕は銭湯で多くの人と出会い、

多くの人と話をした。


裸の付き合いも悪くないものだ。


園児の時は

母と女風呂に入っていた。


そこでは、

近所のお姉さんの裸を初めてみて、

自分のそれとは違うことを改めて実感した。


最初は無かったお姉さんの陰毛も、

うっすら生えてきていた時は、

何だか不思議だった。


小学生になってからは、

男湯に一人で入ることになるのだが、

そこではまた様々な出会いがあった。


例えば、

近所のおじさんは身体の洗い方をレクチャーしてくれた。

背中の洗い方はこうだ、ああだと色々教えてくれて、

しまいには、オススメのたわしまで紹介してくれた。


また違う日は、

他校の生徒と出会い、

お風呂で仲良くなり、ついでにサウナにも一緒に入って、

当時流行っていたアニメや、

自分が知らないゲームの話などで盛り上がった。


中学くらいからは、

近所のお兄さんが働いていたので、

仕事で重たい荷物をもって手の皮がむけているのを

色々説明してくれて、

仕事の大変さというのを実感した。

その後、転職して営業職をしたようだが、

お兄さんには向いていなかったようで、

もとの職場に戻って、

また重たい荷物を運んでいた。

やはり、向き不向きはあるのだなと

中学生ながら感じた。



あの頃は昭和から平成の序盤で、

今とは少し違った雰囲気だった。


近所で遊んでいると、

そこでボール遊びしたら危ないよと

叱ってくれる近所のおばさんとかが普通にいた。


今考えると、

地域全体で子育てをしているようなイメージだろうか。


親から学ぶこと、

友達から学ぶこと、

近所のおばさんから学ぶこと、

銭湯で出会った人々から学ぶこと。


僕は非常に恵まれていたのだと、

今になって思う。


あの頃は

うざいなとか思ったことも子供ながらあった。

でも、

その繋がりの中で僕は成長することが出来た事実はある。


現代は少し、

あの頃と比べて人と人の距離があるのだろうか。


もちろん、

正負、陰陽の側面はあるのだから、

干渉されずに気が楽というメリットもあると思う。


それでも、

昔僕が通った銭湯のような、

あらゆる世代が気軽に接する場はもっとあっても良いなとも思う。

オンラインではなくリアルでね。


今は、おじさん構文なんて言われる世の中だけど、

銭湯であらゆる世代と日常的に接していた僕からすると、

世代間の違いがあるのは当たり前で、

世界に行けば、文化が違い、

遅刻の概念さえ違ったりする。


自分自身の個性を大切にしつつ、

他人の個性を受け入れることがとても重要だ。

どっちが良い悪いではない。

もちろん法律はきちんと守ろうね。


僕は銭湯でたくさんの人々、

価値観に出合えたことが宝だ。


今は、あの銭湯はもうない。

諸行無常だ。


でも、

叶うならば一日だけも

あの日々に戻りたいと思ってしまう

僕がいる。


過去美化バイアスかも知れないけど。


あの銭湯を今も愛している。


僕は、

あのおじさんのような役割を

果たせているだろうか。


なんてことも思ったりする今日この頃だ。

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