ヘーゼと不機嫌な黒猫のぬいぐるみ
とある国に凄い大魔女がいました。
多くの人々だけでなく魔女や魔法使いにも恐れられていました。
大魔女は様々な魔法や魔法薬を知っているのですが、それを欲する者には驚くような対価を求めます。
ほとんどの者は対価を払えません。
誰も大魔女には近寄らなくなりました。
大魔女は一人暮らしを満喫できるといって喜んでいました。
そんな大魔女も老齢になり、ついに終わりの時を迎えます。
この世に永遠の命はないからです。
大魔女の親族が集まり、遺品を分け合いました。
魔女見習いをしているヘーゼも、大叔母である大魔女が持っていたぬいぐるみを貰うことになりました。
ヘーゼが貰ったのは黒猫のぬいぐるみでした。
いかにも魔女が持っていそうな動物のぬいぐるみです。
ですが、多くの人々に恐れられていた大魔女が持っていただけあって、ちょっと変わっていました。
表情が不機嫌なのです。
「名前、どうしようかしら?」
ヘーゼは黒猫のぬいぐるみをみながら考えました。
とっても嫌そうな表情をしています。
まるで名前をつけられたくないと言っているみたいです。
「困ったわね。このままだと猫とか黒猫になってしまうかも」
ヘーゼは部屋で一人、黒猫のぬいぐるみに向かって話しかけます。
「どんな名前がいいの?」
黒猫のぬいぐるみは答えません。ぬいぐるみだからです。
しかも、とっても嫌そうな表情です。
「あらあら、困ったわね」
ヘーゼはクスリと笑いました。
「そんなに不機嫌な顔をして。だから、人気がなかったのよ?」
大魔女は数多くの珍しい品を持っていただけに、親族は誰もが我先にと欲しがり、奪い合いになりました。
ですが、このぬいぐるみは違います。
変なぬいぐるみ、おかしい、いらないなどと言われていたのです。
小さい子供にもまったく見向きもされないぬいぐるみを見て、ヘーゼは可哀想だと思いました。
このままだと、不用品として処分されてしまいます。
それなら自分が引き取ろうと思って、ヘーゼは黒猫のぬいぐるみを貰うことにしたのです。
「大叔母様はどうしてこのぬいぐるみを持っていたのかしら? 不機嫌な表情が珍しかったから?」
ヘーゼが話しかけても、黒猫は答えません。
ぬいぐるみだからです。
不機嫌です。
聞くなと言わんばかりです。
ヘーゼはなんとなく面白おかしい気分になりました。
「ごめんなさい。好きで不機嫌な表情をしているわけではないものね。このぬいぐるみを作った人が、こんな表情にしてしまっただけだもの」
ヘーゼはそう言うと、黒猫のぬいぐるみを抱きしめました。
「大丈夫。引き取った以上、大事にするわ。捨てないから安心してね」
黒猫のぬいぐるみはやわらかい布地でできています。
抱き心地はとてもいいです。
ヘーゼは黒猫のぬいぐるみを見つめました。
やっぱり不機嫌です。
「ちょっと、偉そうなことを言ってしまったかしらね。捨てないだなんて」
ヘーゼは黒猫の頭を優しく撫でました。
「ごめんなさい。取りあえず、貴方はお風呂に入らないとだわ。優しく洗ってあげるから大丈夫よ」
黒猫のぬいぐるみは不機嫌な表情でした。
ヘーゼは黒猫のぬいぐるみを大事にしました。
魔女見習いの仕事で疲れて帰って来るヘーゼにとって、黒猫のぬいぐるみは心を癒してくれる存在でした。
不機嫌そうな表情は、このぬいぐるみのチャームポイントです。
ヘーゼは黒猫のぬいぐるみを貰って良かったと心から思っていました。
「ただいま、クロヴィス」
ヘーゼは部屋へ戻ると、クロヴィスを抱きしめました。
黒猫のぬいぐるみはクロヴィスという名前になりました。
なんとなくオスだと思ったので、カッコイイ名前にしようとヘーゼは思いました。
そこで有名な大国の王子と同じ名前にしたのです。
噂によると、王子は優秀な魔法使いで、実力を磨くために世界中を旅しているようです。
誰もが見惚れてしまうような美しい容姿をしているらしく、いつかこの国にも来ないだろうかと思っている人が沢山います。
それほど有名で人気がある王子なのです。
ヘーゼもちょっと会ってみたいなと思いますが、相手は王子です。
しかも、世界中を旅しています。
誰もが見惚れてしまうような美しい容姿の魔法使いを見かけたら王子かもしれません。
ですが、魔女見習いの仕事が忙しいことを考えると、絶対に会えなさそうです。
でも、いいのです。
ヘーゼには別のクロヴィスがいます。
黒猫のぬいぐるみです。
「ねえ、クロヴィス、聞いて欲しいことがあるの」
ヘーゼは言いました。
「本当は誰にも言ってはいけないの。お仕事のことだから。でも、クロヴィスはぬいぐるみだし、話してもいいわよね?」
クロヴィスは嫌そうです。
不機嫌極まりないといった感じです。
「今日ね、お城で魔法薬が盗まれてしまったの。それでお城にいる全員が調べられたのよ。勿論、私もね。私は魔法薬を扱う仕事をしているから、厳しく調べられたの。でも、何も知らないし、わからないって答えたわ」
城中を探したものの、魔法薬は見つかりませんでした。
魔法薬なので、誰かが飲んでしまえば終わりです。
空になった瓶はラベルをはがし、水で洗ってしまえば、他の瓶と見分けがつきません。
結局、誰が魔法薬を盗んだのかわかりませんでした。
しかし、ヘーゼが使っているエプロンに魔法薬の小さなシミがありました。
数日前、同じ職場で働いている魔女の助手が魔法薬の瓶を落として割ってしまったため、その片づけを手伝う時についてしまったようです。
盗まれた魔法薬の手がかりが何もないことから、唯一同じ魔法薬のシミがついたエプロンを持つヘーゼが怪しいと思われてしまいました。
魔法薬を落として割ってしまった助手に、その時のことを話して貰えば、ヘーゼの疑いが晴れるはずでした。
ところが、助手は魔法薬の瓶を落としてもいない、割ってもいないと言いました。
それどころか、ヘーゼが盗んだ、こっそり飲んでいるのを見たと言ったのです。
魔法薬の瓶を落として割ったことが知られてしまうと処罰されてしまうため、嘘をついてヘーゼのせいにしようとしたのです。
ヘーゼを信じるか、助手を信じるかになりました。
ヘーゼは魔女見習い。もう一人は魔女の助手。
どちらの方が偉いかといえば、助手です。
ヘーゼよりも長くお城に勤めています。
人々は助手の話を信じ、ヘーゼが魔法薬を盗んで飲んだ、その時にこぼれた薬がエプロンについたということになりました。
ヘーゼは怒られました。嘘をつく者は信用できないと言われました。
散々悪く言われ、お城の魔女見習いをクビになってしまいました。
ヘーゼはそのことをクロヴィスに話したかったのです。
「私じゃないのに、魔法薬を盗んで飲んだって言うのよ。悲しかったわ。誰も信じてくれないの。エプロンにシミがあるのが証拠だって言うの。でも、魔法薬を扱っている仕事だもの。エプロンにシミがつくことだってあるわよね? 割れた瓶を片付けるのを手伝ったのに、そのせいで疑われてしまうなんて酷いわ」
ヘーゼはクロヴィスを見つめました。
嫌そうな表情をしています。
不機嫌です。
きっと、酷い話だと思ってくれているのです。
なぜ、ヘーゼを信じないのか。助手の方を信じたのかと思っているのです。
そう感じたヘーゼは、クロヴィスだけはわかってくれると思いました。
「もう魔女にはなれないかもしれないわ。お城で魔法薬を盗んだと思われてしまったのよ。誰も信じてくれない。雇ってもくれないわ」
魔法薬は貴重なものではなかったので、ヘーゼがこれまで働いたお金で弁償することになりました。
それで許してくれるというのですが、お城での仕事はクビになってしまいました。
そのことを知った者は、なぜお城の仕事をクビになったのか、失敗や悪いことをしたせいではないかと思うに決まっています。
「これからどうすればいいの? 家族にもまだ話していないの。でも、お仕事に行かなかったら、クビになったってわかってしまうわよね」
ヘーゼはクロヴィスをギュッと抱きしめました。
悲しくて、辛くて、涙が溢れてきました。
「一生懸命頑張って来たのに……勉強もしたし、お仕事だって。なのに、全部、全部駄目になってしまったわ」
ヘーゼの涙でクロヴィスが濡れてしまいました。
すると、クロヴィスが突然光りました。
そして、ぬいぐるみから本物の猫になりました。
ヘーゼは驚くしかありません。
「呪いが解けた」
男性の声がしました。
話しているのは黒猫です。
ついさっきまでぬいぐるみだったクロヴィスです。
「一生このままかと思った。お前のおかげで助かった。礼を言う」
「あ、はい」
ヘーゼはびっくりしたまま答えました。
「城で濡れ衣を着せられたようだな? 調べてやる。俺を城へ連れて行け」
「えっ?」
「城へ連れて行け。濡れ衣を晴らしてやれるかもしれない」
「本当に?」
「早く連れて行け」
「わかったわ!」
ヘーゼは黒猫を抱き抱えようとしましたが、黒猫はジャンプしてヘーゼの頭の上に乗りました。
「ここでいい」
「……重い」
黒猫は器用に肩の上へと移動しました。
「ここならいいか?」
「重いです」
黒猫が呪文を唱えます。
すると、黒猫の重さを感じなくなりました。
「どうだ?」
「大丈夫だけど……どうして?」
「お前に強化の魔法をかけた。そのせいで俺を重く感じない。早く走ることもできるだろう。急げ」
「猫なのに魔法を使えるの?」
「さっさと城へ行け! 証拠がなくなったら困るだろう?」
不機嫌な表情をしていたぬいぐるみは、本物の黒猫になっても不機嫌でした。
男性の声のせいか、命令口調でちょっと怖いぐらいです。迫力があります。
ヘーゼは黒猫の言う通り、急いでお城へ向かいました。
お城の人はヘーゼが戻って来たことに驚きましたが、それ以上にしゃべる黒猫に驚きました。
「その猫はなんだ?」
「クロヴィスだ」
黒猫は言いました。
「大国の王子で世界中を旅している魔法使いのことを知っているか? 俺のことだ。目立つ容姿を隠すため、黒猫の姿になっている。ヘーゼの濡れ衣を晴らしに来た。邪魔をするなら魔法を使う。この城を吹き飛ばすぐらいは簡単だ」
お城の人はびっくりです。
ヘーゼもびっくりです。
クロヴィスと名乗った黒猫はヘーゼの仕事場に行くと、部屋の中を見渡しました。
「嘘をつき、ヘーゼを陥れた者はどこにいる?」
部屋にいた人々はしゃべる黒猫にびっくりです。
「ヘーゼ、この猫は?」
「クロヴィスです」
「クロヴィス?」
「なんだって?」
「もしかして、クロヴィス王子?」
「魔法使いの?」
部屋中が大騒ぎです。
「ヘーゼ、お前に罪を着せたのは誰だ?」
「あの人です」
ヘーゼに指をさされた助手はギクリとしました。
「わ、私は何も……嘘なんか言っていません!」
「嘘かどうかはこれから調べる。自白魔法を使えば簡単だ」
黒猫が呪文を唱えました。
そして、魔法薬について質問しました。
助手は自分が瓶を落として割ってしまった、そのことを隠した、報告もしなければ帳簿もそのままだったので、一つ少なくなってしまったと言いました。
本当のことを言うと処罰され、弁償もしなければなりません。
沢山魔法薬があるので、一つぐらいなくても誰も気づかないと思っていたこともです。
ですが、ヘーゼが疑われたので、丁度良いと思い、ヘーゼのせいにしたと告白しました。
「お前は割った瓶の片付けを手伝ってくれたヘーゼに感謝するどころか、罪をなすりつけた。最低だな。厳しく処罰されるべきだ!」
黒猫は叫びました。
「ここの責任者を呼んで来い! それから割れてしまった瓶について調べろ。魔法薬が入っていた瓶の処分は適切でなければならない。魔法ゴミとして扱われるはずだ。誰か、そのことを知っている者がいないか調べろ!」
ヘーゼも部屋にいる人々もハッとします。
黒猫の言う通りです。
魔法薬の入っていた瓶を割ってしまった場合、その瓶は魔法ゴミになります。
普通のゴミとして捨てることはできないため、特別な手続きをします。
割れた瓶を片付けたことがわかれば、ヘーゼが本当のことを言っていることがわかります。
責任者が来て、何が起きているのか尋ねました。
事情を聞いた責任者は、黒猫が魔法を使えることに驚きつつも、クロヴィスだと言うので取りあえずは納得しました。
そして、自白だけではわからない、魔法で無理やり言われされたのかもしれないということになり、魔法ゴミについて調べることになりました。
まもなくして。
割れた瓶が魔法ゴミになっていることがわかりました。
ラベルも残っていたので、魔法薬は盗まれたわけではなく、瓶を落として割ってしまった分がないだけだとわかりました。
嘘をついていたのは助手の方です。
ヘーゼの疑いは晴れました。
責任者はヘーゼのクビを取り消し、助手の方をクビにしました。
「ありがとう」
ヘーゼは黒猫のクロヴィスにお礼を言いました。
「でも、びっくりしてしまったわ。貴方がクロヴィス王子だなんて」
クロヴィスは黙っています。
不機嫌そうに見えました。
「それでね、これから……どうすればいいのかしら?」
「お前はどうなんだ?」
クロヴィスが尋ねました。
「疑いは晴れた。だが、誰もお前を信じなかった。そんな所で働きたいのか? 別の所で働いた方がいいのではないか?」
「他に働く所なんてないもの。それにお城の仕事よ? 勿体ないわ」
「俺はもうここにいる必要はない。呪いが解けた。国へ帰る」
「大叔母様に呪われたの?」
「そうだ。酷い目にあった」
クロヴィスは体を震わせました。
「特別な魔法を教える代わり、結婚しろと言われた。断ると呪われ、ぬいぐるみにされた」
「まあ、断るわよね。普通は」
ヘーゼはうんうんと頷きました。
「大叔母様は理想が高くて独身だったみたい。クロヴィス王子は誰もが見惚れてしまうほどの容姿なのでしょう? きっと、一目惚れしてしまったのよ」
「嬉しくない」
「ごめんなさい。大叔母様の代わりに謝るわ。大魔女だから、そろそろ寿命が尽きそうだと感じていたのかもしれないわね。最後に素敵な王子様と結婚したかったのかもしれないわ」
クロヴィスはヘーゼをじっと見つめました。
「お前はどうだ? 王子と結婚したいか?」
「無理よ。でも、会ってみたいと思ってはいたわ。クロヴィス王子は有名だもの」
今度はヘーゼがクロヴィスをじっと見つめました。
「でも、本当にクロヴィス王子なの? ずっと黒猫のままだわ。もしかして、まだ呪いが残っているの?」
そうではありません。
クロヴィスはわざと黒猫に変身したままなのです。
人間の姿になることで、大騒ぎになっては困るからです。
「お前は特別だ」
次の瞬間、クロヴィスが光ります。
黒猫は美しい黒髪を持つ男性に変わりました。
「これが本当の姿だ」
ヘーゼはびっくりです。
人間でした。魔法使いの王子です。
噂通り、誰もが見惚れてしまいそうな容姿でした。
「惚れたか?」
ヘーゼは恥ずかしくなりました。
素直にそうだとは言えません。
相手は王子です。
大叔母の大魔女のように、困らせてはいけないと思いました。
「だ……大丈夫です! その、素敵だなと思いますけれど、身分が違います。ご迷惑をかけるようなことはしません!」
クロヴィスは不機嫌な表情になりました。
「好みではないのか?」
「好みですけれど、王子様なので……」
「王子は嫌いか?」
「身分違いです」
「魔法使いはどうだ? 嫌いか?」
「嫌いじゃありません。魔法が使えて凄いと思います」
「そうか。俺は魔法使いだ。大丈夫だろう。結婚しよう」
「えっ?」
「真面目で頑張り屋で優しいヘーゼが好きだ。お前のことは誰よりもよく知っている。ずっと一緒に暮らしていた。そうだろう?」
クロヴィスの言う通りです。
ヘーゼはずっとクロヴィスと一緒に暮らしていました。
黒猫のぬいぐるみだったクロヴィスと。
ヘーゼとクロヴィスは結婚することになりました。
クロヴィスは自分の国へ戻るため、ヘーゼはお城の仕事を辞めました。
突然、クロヴィスが帰って来たため、大国の王様達は驚きます。
クロヴィスが結婚相手だと言ってヘーゼを紹介すると喜び、心から祝福してくれました。
こうして、ヘーゼは大国へ移り住み、王子妃になりました。
魔法使い見習いにもなりました。
クロヴィス付きの見習いになって、魔法や魔法薬の勉強をすることにしたのです。
黒猫のぬいぐるみだったクロヴィスは人間の姿に戻り、王子や魔法使いとして働いています。
旅先で巡り合った可愛い妻のヘーゼにメロメロです。
それこそ、ぬいぐるみのように毎日抱きしめています。
二人は末永く幸せに暮らしました。
おしまい。