幸せの最大値
歩く。歩く。歩く。純白の翼は折れている。片足を引きずっている。絶え間ない爆発音が響く。それでも。歩く。歩く。歩く。
「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」
歩き続けた先に希望などないと知りながら、同胞とはぐれた天使は歩みを止めなかった。
「ったくこの戦争はいつ終わんだよ」
「あと一年は最低でも続くだろうな……」
「ホント、誰も幸せになれねぇよ、この戦争」
二人の悪魔が悪態を吐きながら歩いている。
「おい、あそこに天使が倒れてるじゃねーか」
「げっ。……運ぶのメンドイから頼んだ」
悪魔の一人が走り去る。残された悪魔はため息を吐き天使に近づき、ナイフを取り出す。心臓を突き刺そうと俯せの天使を転がすと、
「……っ!」
言葉にならない言葉を漏らしたのは、天使ではなく悪魔だ。天使の身体は傷だらけで、衣はビリビリで、羽は折れている。それでも、
「……なんて……美しい――」
顔だけは、傷ひとつついていなかった。悪魔は自分の速まってしまっている心臓を抑える。周囲を見渡し、ナイフを収めると、天使の腰と膝の裏に腕を回し、持ち上げた。
「……あれ……私……?」
頭に手を当てながら天使は起き上がる。体には所々雑に包帯が巻かれていた。
「やっと起きたか」
天使は背後から聴こえた声に振り向く。
「そんなに警戒すんなよ」
「……なにが目的ですか?」
「別に目的なんてねーよ」
「私は貴方の同胞をたくさん殺したのですよ。憎き相手を助けていいんですか」
「憎かねぇよ。沢山殺したのはお互い様だ」
「でも貴方からすれば私は悪で……」
「悪? ハッ。この戦争に悪なんて存在しねぇよ。あるのは二つの相容れない正義だ」
「……私は貴方たち全員が悪だと決めつけていました。でも貴方のように優しい方も、」
「馬鹿言え。助けたのは気まぐれだ。それより早く行け。伸びた命を潰したくなきゃな」
天使は背中を押され走るが、数歩で止まる。
「全員が幸せな道はないのでしょうか?」
「ねぇな。どちらかは必ず殲滅される。この戦争で目指すは、一人でも多くの同胞を生かしての勝利だ。ま、この戦争の行きつく先は片方がほぼ全滅で、片方が全滅だろうな」
「……そうですか。ならば最良の選択は――」
天使は再び走りだした。
翌日、戦争は天使の全滅で終結。天使軍最大の要塞が陥落したことがきっかけだ。しかし要塞へ攻め込んだ悪魔たちによれば、彼らが要塞で殺したのはただ一人だという。夥しい数の天使の屍の上に立ち、血で染まる折れた翼をもつ天使、ただ一人だけ、と。
生き残った悪魔たちは永い平穏を手にした。
おわり