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蔦揺籃のみた夢  作者: 佐原万葉
第二章 T町・小林不動産
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 とろとろとゆるやかな坂道が続く。男三人、連れだって登って行く。


「僕が行っていいんでしょうか」

「それなら僕も一緒です」

「古沢さんはお身内の方ですし、ちゃんと遺言書通りなわけですから」


 なぜか店を出て以来、口数の少なくなった小林の様子に気まずいものを感じながらも、どうすることもできず、古沢と空木は会話が途切れないように頑張っていた。


「僕は井上さんのご依頼とはいえ、井上さんの最期の言葉とそぐっていませんから…どうもまずい気がするんです」

 そこで小林がひらひらと手を振った。

「構いませんて。別に今すぐどうこうするわけじゃあないんでしょ」

「はい。とりあえず、どんな品があるか目録を作って…それからですね」

「鑑定、しないんですか?」

「日を改めて、ですね。状況によっては僕一人では無理なので、実際の鑑定は他の人たちとすることになると思います」

「無理、というのは…?」

 古沢は不可解そうな表情をしていたのだろう、空木が少しばかり困ったように笑った。

「専門分野というのはありますので。それに僕は駆け出しですから、僕が値をつけるよりも、その道の経験値のある、実力に定評がある人がつけた方が信憑性が増すんです」

「そういうものですか…?」

 きちんと判定できる眼があれば、別にいいのではないかと思う古沢である。

「経験は重要ですから。井上さんは収集家としては目利きと評判の方だったんです。だから、その収集品はかなり注目されているんです。この仕事を変わって欲しいと何人かの方に云われました。同行を申し出てこられる方もいて困りました。もちろんお断りしましたけれど」

 空木を軽んじているような扱いに思えたが、当の本人は気にしている様子はない。

 価値をつける人間の采配ひとつで、物品の価値が決まってゆく。そんな印象を受けて、なんだか少し反感めいた気持ちを古沢は抱いた。

「単純にいいモノを見たいって人も多いですよ」

 少々懐疑的な古沢の表情に、また空木は小さく笑った。


「あまり期待はしないでくださいよ」

 先に立って歩く小林が、再び、唐突にそんなことを云った。

「目録自体、作れないかもしれませんから」

 しばらく会話から外れ、無言だった小林の顔は暗い。

「どういう意味ですか?」

 不思議そうに空木が問う。

「家に入れんのですわ」

 ちらりと振り返った小林の眼はどこか虚ろだ。古沢と空木は顔を見合わせた。歩調を速めて小林との距離を詰める。


「鍵ならありますよ」

「いえいえ。鍵ならあたしんとこにもあるし、今まで来た人たちも、みぃんな持ってました」

「鍵があわない…んじゃ、もちろんなさそうですね。いったいなにがどうだっていうんですか」

 訳が分からず宙ぶらりんの、居心地の悪さの頂点に達しつつあった古沢の口調は意図せず強くなった。

「わからんのです」

 力なく呟く姿に、強く言い過ぎたのかと古沢が慌て、空木が思案気に口を開いた。

「鍵は合ってるとおっしゃいましたよね」

「ええ。鍵穴にちゃんと入るし、ちゃんと回る。カチッと音がして、鍵がかかるとき開くときの手ごたえもちゃんとするんです。けど、開かない。男三人がかりでビクともせんのです」

「それはすごい」

 空木の感想に、小林は弱々しく手を振った。

「いやいや、ちっともすごくないです。気味が悪いだけです」

 古沢は大きく頷いた。


「ここは都心からはすこぅしばかり離れてますが、通勤できない距離じゃありません」

「充分、許容範囲です」

 都内に居住する古沢は頷く。都内に家を持つのは不可能でも、この辺りで持つことができれば上々だ。


「敷地も広いし、建物も頑強です。建材もいいモノ使ってます。今同じモノを建てようとしたら、かなり大変です。その上、目の前に海もあって環境も良い。井上さんとこは高台にあるんで水害の心配も、まぁない。多少、年を取ってからは、この坂道がきついかもしれませんが、今は車がありますし、バスも通ってますからね、さほど不便はないでしょう。しかも、屋敷の中にもお宝があるわけです。皆さん、我こそはと思うわけです。目の色変わってますから、多少強引な手に出るのも厭いません」

「妙な家なのに?」

 素朴な古沢の驚きに、小林は苦笑した。

「それは気になりはするけど、大したことじゃないんですね」

「もしくは大したことではないと思いたいのでしょうね。多少、一時的に都合の悪いことに目を瞑れば、見返りは充分ありますからね」

 空木の口調には辛辣さがまったくない。


「でしょうねぇ。遺言書にね”屋敷に入れた者に遺産を譲る”っていう件があったでしょう。あたしは、あの意味が解らなかったんですけどね。鍵を渡しておいて何を云っているやらってねぇ」

 古沢にも解らなかった。

「僕は鍵を持っているのが…なんていうのかな、身分証みたいなもので。遺産を貰える資格みたいなもんだと思ってました」

「皆さん、そう思ってたみたいです。まさか、そのまんま言葉の通りだなんて考えはしませんわな、普通」

「どうなりましたか」

 空木の問いに、小林が息を吐いた。

「気味悪がったのは一瞬でした。あれはなんていうんでしょうねえ…あの切り替え方はすごいです。ああなれたら、いいんでしょうけどね…」

 ぽつりと呟いた小林の後頭部を、古沢と空木は見つめた。


 小林は見た感じ以上に、ずいぶんと参っているらしい。古沢は小林に強い親近感を覚えた。


「どっから調達したのか、どうやって持ってきたのか知りゃしませんが、ハンマー・電気ドリル――さらには重機まで持ち込んで、それで力技で行こうと」

「それはそれは…」

「誰も反対しなかったんですか?」

 古沢が驚きの声をあげる。小林は頷く。

「だって、実際、窓ガラスの一枚や二枚、最悪玄関の扉打ち破っても、貰えるものから差し引けば大した損害じゃありません。だから、皆さん、強気でして。とにかく誰よりも早く中に入らなきゃならないわけですから、もう」

 にわかに打ち壊しのあり様でしたよ…と小林は嘆息した。


「…びくともしない…?」

「しませんでしたねぇ」

「そんなまさか…」

 馬鹿な話があるものか――古沢は言葉にするのが躊躇われて、ゴクリと飲み込んだ。


「本当にねぇ…」

 小林が疲れ切ったような笑声をもらした。同情を誘うには充分な風情だった。


「まあそんなわけで、皆さん、だんだん、これはおかしいと本気で思い始めたわけです。で、噂に火が付いた」


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