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蔦揺籃のみた夢  作者: 佐原万葉
第一章 招待状
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 電車がふいに停車前の軋みをあげた。


 ガクンと前につんのめるように大きく二度揺れ、電車がホームへ滑り込んでいくために減速を始める。


 物思いにふけって油断していた古沢の膝の上からナップザックが転げ落ちた。

 とほぼ同時に、ちゃりんちゃりんという、いかにも小銭が落ちましたという音が響いた。

 音に釣られるように、中腰のまま顔をあげる。はす向かいの席に蝦蟇口財布片手に慌ててる人物が目に入った。財布から小銭を落としたのだろう。小銭は右に左にと勢いよく転がっていき、落とした人物――青年はどれから追いかけるべきかと、面白いくらいに周章狼狽している。ひとつも拾えていない。要領が悪い。


 古沢の左足に、五百円玉がこつんと当たって、ぱたりと倒れた。


 自分も要領が良いほうじゃないけど……などと思いながら、古沢は手早くその五百円玉を拾い、近くに散らばった小銭を拾い集める。

 もうすぐ駅に着く。すぐに人が乗ってくるだろう。

 電車の揺れを器用にやり過ごしながら、目に着いたところのものをすべて拾い上げ、持ち主である青年へと視線を向けて、一瞬、古沢はぎくりとして差し出した手を止めた。


 青年の後ろに、人影を見た……ような気がした。


「どうもすみません。ありがとうございます」

 面目ありませんとばかりに、相手はぺこぺこと頭を下げる。

「あの……?」

「い、いえ」

 慌てて古沢は拾ったすべての小銭を相手に手渡した。

 何度も頭を下げる青年に、「いえいえ」と言葉を濁しながら、古沢は自分の席に戻った。


 びっくりした……見間違いか……。


 古沢は首を傾げつつ、青年をまじまじと見つめずにはいられなかった。

 財布に小銭をしまい、財布から切符を取り出したところで、古沢の視線に気が付いて、青年が人懐っこく笑った。人が良さそうな笑顔である。

 古沢と同年若しくは下か--否、上かもしれない。一瞥では年齢の測りにくい男だった。背が高い。座席に深く腰掛けているのに、脚を持て余しているように見える。痩せぎすだから、なおのことそう見える。


 だが、古沢が青年委釘付けになったのは、他に理由があった。

 濃紺の着物を、男は着ていた。持て余し気味の脚の先には草履。草履に足袋。女性の着物姿ですら珍しい昨今、若い男が着ている姿は妙に浮世離れして見えた。だが、似合っていないわけでもない。動作がぎくしゃくしていないし、窮屈そうでもないところから見ると、おそらく普段から着物を着用しているのだろう。そういう男性というものに、古沢は馴染みがなかった。


 青年が立ち上がった。電車がホームに着いたのだ。

 青年は一度、古沢へ軽く会釈すると電車を降りていった。

 古沢も慌てて立ち上がる。上着の右ポケットを軽く叩いて鍵の所在を確認してから、足早に電車を降りる。


 丁度、古沢の両足がホームに降りたとき、背後の扉がぷしゅーっと空気の抜けるような音とともに閉まった。

 いやに閉じた時の音が大きく聞こえて、思わず古沢は振り返った。その視線の先で電車は再びゆっくりと動き始める。

 古沢は電車が走り去るまで身動きが取れなかった。去っていく電車に、取り残されたような気持ちになった。感情的に後戻りはできないと云われているような気がした。同時に、引き返すなら今だ、とも思った。


『ぽっと出の面識のないおまえが行ったところで、どうかな? 野良犬を追っ払うように追い返されるのがオチさ』 

 白石の言葉が声高に蘇った。


 と、そのとき突然、声をかけられた。

「どうかされましたか?」

 古沢は思わず小さく飛び上がった。グリーンを基調にした制服を身に着けた中年の駅員が笑顔ですぐそばに立っていた。

「お困りですか?」

 ぼやっと立っていた形の古沢を案じたようだ。

「こちら、始めてですか?」

 他に客がいないので相手をするつもりらしい。単に暇を持て余しているだけかもしれないが。

 確認に似た問いに、古沢は思わず頷いていた。

「バスを使われるなら、反対の改札口なんですよ」

 駅員は後方を指さした。


 いつまでもうろうろと未練がましい……古沢は唇をきゅっと引き結んだ。


 何度も読み返してくたびれてしまっている手紙をポケットの上から押さえた。面に皮肉にも似た笑みが浮かぶ。

 どんな理由でも構わないではないか。すでに電車に乗り、目的地に到着していながら、今更そんことを考えてもどうしようもないではないか。

 電車に乗ったのは自分。

 よし、行こう。

 晴れ晴れとして顔をあげると、困り顔の駅員と目が合った。駅員は反応のない古沢に戸惑っている様子だった。


「西口はこっちでいいんでしょうか?」

「ええ。そうですよ」

 笑顔で駅員は頷く。

「歩いて行けるようなんですが……三丁目の……」

 少し駅員の顔が強ばった。古沢が最後まで住所を言い終わらないうちに、駅員の顔から笑みが消えた。

 駅員が悲鳴の二歩手前くらいの声をあげた

「あなたも蔦屋敷の……!?」

「な、なんですか?」

「あ、いやいや、なんでも」と駅員は大慌てで手を振った。

「ええ。この道を真っすぐ行って二つ目の角で右に曲がって、坂をしばらく上って行けば着きますよ」

「ほ……!」

 本当にあるのか!

 古沢は辛うじて叫び声を飲み込むと、しばし茫然とした。

 今更とは言え、動揺を隠せなかった。


「あ…ええと、ありがとうございます」

 礼を云って、少しふらつきながら歩き出した古沢を、駅員が飛びつくようにして呼び止めた。

「一人で行かれるんですかっ」

「は? はあ…」

 どういう意味だろうか。

「い、いや、一人で行くのは止めたほうが良いです。絶対」

 妙に強気で言い切られ、古沢は困惑する。

「と云われても…」

 古沢は一人で来ているのだ。

「こっちの道を行ったらですね、蔦屋敷――井上さんの家を管理している不動産屋がありますから」

「不動産屋…?」

「そうですそうです。井上さんが亡くなって、今は無人ですから、その管理をしている不動産屋です。すぐですよ。十分もかかりません。そこに行ってからにした方がいいですよ」


 本当に井上さんはいたのか……! 

 そして本当に亡くなっているのか!

 もう今日、何度目か分からない衝撃を古沢は受ける。もうふらふらである。


「絶対に、寄った方が良いです」

「はあ…」

 駅員の様子に古沢の中で猛烈な勢いで不安が募ってくる。

 駅員がなにをそんなに不安がっているのかわからないが、管理している不動産会社が近くにあるというのなら、いくら鍵を持っていても一度断りを入れておいた方が確かに良いような気がした。

 なにしろ古沢は、亡き主とまったく面識がない。その身内とも同様だ。先ほどの駅員の「あなたも」と云う言葉から、他の身内も来ているように推測されるからなおのことだ。

「そうですね。そうします」

 古沢が頷くと、駅員は大いに安堵したようであった。


 駅員の不安と好奇心が行き来する表情に不安を掻き立てられながら、古沢は改札口を出て、脚を引きづるようにして右へと歩き出した。


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