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蔦揺籃のみた夢  作者: 佐原万葉
第一章 招待状
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 慰めを一切口にしなかった白石だったが、やはり古沢の現状を知っていた。


 案じる気持ちはありがたかったが、苛立ちを覚えたのも確かだ。わざわざ言われなくても行くつもりは毛頭ない、と。


 古沢は大きくため息をついた。軽い頭痛のようなものを感じて、こめかみを人差し指で強く揉んだ。


 魔が差したとしか思えない。馬鹿なことをしている。

 なぜだか、古沢は約束の日――手紙に指定された日に電車に乗るために家を出た。


「なぜなんて、あるか……」

 呟き、いらいらと右足を小刻みに上下に揺らして、古沢は長く大きな息を吐いた。


 電車に揺られ都心から離れること三十分。だんだんと緑が濃くなっていく風景を車窓から眺めながら、左胸のポケットに軽く手を触れ、古沢は今一度力なくため息を吐く。


 一体全体、何をやっているのだろう。


 白石が帰った後、古沢は手紙を再度丸めて、ごみ箱に放り込んだ。それなのに二度も捨てた手紙を拾い上げ、くしゃくしゃについた皺を丁寧に伸ばし、内容を今一度二度と確認していた。その行動に、我ながらどうかしていると思った。どうかしている、と思える理性は一応あった。


 その手紙は今、古沢の上着の左ポケットのなかにきちんと畳まれ仕舞われていて、あまつさえ古沢はその屋敷に向かうため電車に乗っている。


 これはいったいどうしたことだろう……。

 どうしたことだろうはないだろう……。


 明らかに愚問である胸の内の問いに、深いため息を落とした。その音に、はっと我に返る。馬鹿馬鹿しい問答に気が付いて、古沢はいっそう眉間の皺を深くした。

 端から見れば、それこそ一人百面相の体である。幸いにも、平日の車両は人もまばらで古沢に注視してる人物がいる様子はなかったが、その素振りが実に珍妙であることにはかわりはなかった。


「馬鹿だ……」

 友人の心配を無碍にしてまで、なにをやっているのか。

 なにをいまさらぐちぐちと分かりきったことを繰り返しているのだろう。

 古沢を優柔不断だと言った者がいた。そのときはむっとしたものだが、その通りなのだろうと今は思う。


 気持ちはずいぶんと前から傾いていたのだ。

 白石が手紙の内容をぼろくそに評しているあたりから、なにかじわじわと違う感情が古沢のなかで沸き始めていた。それは白石が手紙を酷評し、悪戯だ詐欺だと断じれば断じるほど、比重を重くしていったように思えた。


 それでも古沢のなかの常識が――常識ある者でありたいという願望か――古沢に手紙に対して無頓着あるいは軽視する態度を取らせた。

 白石の言葉にいちいち「うんうん、そのとおりだ」と答えつつ、哀願のような、差し迫った何か――切々としたなにかを文面に感じ始めていた。友人が疑惑を投げかけてくればくるほどに、そんな想いが強まった。


 切羽詰まったような……なにか。

 ような・なにか――なんて曖昧なもの。


 そういったものがあるように、そんなふうに感じたのは古沢自身の内面の問題で、感性の問題なのかもしれない。だから、本当はそんなものは存在していなくて、文面も実はマニュアルをなぞったものにすぎないのかもしれない。事実、白石はちっとも感銘を受けなかったようだから。


 そして、もうひとつ。

 手紙の差出人に関して、思い出したことがあった。


 母の身内について、古沢が知ることは白石に語った通りだ。古沢の父親も以前「いないな」とは言っていた。その様子に嘘をついている感じはなかった。だが、今は本当ではないのではないかと疑っている。


 もう随分と前の話だが、案外よく覚えていた。話のもとは父親の母親と姉。つまり古沢の父方の祖母と伯母。彼女たちにとっても失言だったのだろう。古沢が聞いていたことに気が付いて、ずいぶんと慌てていたように記憶している。

 祖母と伯母の話から推察するに、母方の親類縁者は皆無ではないが、母方の祖母は家族との縁が薄い人で早くに家族と死別し、そのあたりから親族との交流は絶たれて久しいらしい。そのくせ、古沢の両親の結婚は、母方の親族によく思われていない節があった。


 どのあたりの親類やらね……と父方の祖母が首を振っていたことを思い出す。

「今まで見向きもしなかったくせに余計なお世話よ」

 伯母がため息交じりでぼやいていた。


 祖母と伯母を始め父方の身内は総じて、古沢の母に好意的だった。二人の愚痴が母を慮って出た言葉であると幼いながらに判っていたから、反感を覚えた記憶はない。

 それを思い出して、母の身内に対する関心がうまれたのも理由の一つ。

 たとえ、それを話したところで、白石はやはり同じように反対しただろうが。

 やけに強気な反対が、なおのこと好奇心に似た反発心を刺激したのかもしれない。自分のルーツを知りたいと思うのはおかしいことではないのに。 


 いや、と古沢は首を振る。


 白石のせいではない。白石の反対は正しい。だから、もうこんなに後悔している。

 迷いと後悔の感情が引いては寄せる波のように、弱くなったり強くなったりしなが古沢を襲い続けていた。

 行くべきではない。だが、すでに目的地は近づいていた。


 知らず、上着の右ポケットに潜ませた鍵を握りしめた。

 それは単に鍵にして鍵に非ず。莫大な――確証はないけれど――財産を継ぐことができるかもしれない鍵。

 自分の行動は多分、間違っている。

 でも、馬鹿なことをしていると思いながらも自分を止めることができない。

 知りたい。

 うん。家があるかどうかだけを確かめるだけだ。それだけなら大丈夫じゃないか?


 後悔と反対方向を示す感情に戸惑い、引きずられて、古沢は招かれた目的地へ着こうとしていた。



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