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蔦揺籃のみた夢  作者: 佐原万葉
第一章 招待状
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 配達員から直接受け取った封書は、手にした瞬間からけして軽くはない存在感を古沢に示した。


 心当たりのない名前に、首を傾げながら封を切ると、幾重にも紙に包まれた同封物が転がり落ちた。紙を毟ってみると、鈍色の少し大きめの鍵が現れ出た、というわけだ。


 手紙は――明らかに書道の嗜みがあることを伺わせる、流れるような書体で綴られていた。


 まさに青天の霹靂。


 手書きの丁寧な文面は、驚くべきことに『家屋敷を含めた全財産を譲る』という、まさに降ってわいたような遺産話を語った。


『屋敷の中に入れた者に、すべての財産を譲る』と二度繰り返す。

『同封の鍵を持って、下記の住所まで来られたし』


 いまいち意味が把握できなかったが、つまり鈍色の鍵はある屋敷の鍵であり、同時に屋敷の持ち主の遺産を譲りうける候補者の身分を――資格を証明するものだ、と読み取れた。


 唐突な――思いもかけないことは唐突に決まっているけれども、古沢は当然のごとく困惑した。顔も見たこともない、手紙を貰った瞬間まで存在すら知らなかった”自称身内”だと名乗る相手からの話を、どうして信じられようか。世の中、そんな甘い話はない。仕事を、友人を、恋人を喪った古沢は、身をもって知ったばかりだ。


 なんの冗談だ?


 無性に腹が立って、即座に手紙をごみ箱に放り込んだ。鍵は不燃物のごみ袋を切らしていたために、座卓に放り出したままになっていた、というわけだ。


「亡くなったお袋さんの親父さん方のじいさんの妹の息子? それで? 結局、その人は何にあたるんだ? ここまできたら他人って気もするけどなあ」

「お袋の祖父さんだから、俺からすると曽祖父か。その妹の息子だから…」

「だから?」

「…………」

 続柄の答えは出てこなかった。


「妙な手紙だろ」

「妙っていうか変だろ、これ。どういう意味だ? つまり、遺産をやるから欲しけりゃ来いってことか?」

「うん。そうなるかのかな」

「これを信じろってか?」

 あきれ返った口調で「馬鹿馬鹿しい。どんな悪戯だよ」と言い放った白石に、古沢は失笑した。

 白石は、ずいぶんとこの手紙に気分を害したらしい。珍しく、ずっと渋面のままだ。

「はは。まあ、ただの悪戯だろうからいいんだよ」

「いいってことはないだろ」

 怪訝そうな顔になった白石に、古沢は苦笑した。


 本当に、ただの悪戯ならいいのだ。

 最初のうちは腹が立ったが、古沢だけを貶めようとする悪意が向けられているのではないかと少し不安を覚えてもいたから。


「放っておけばいいんだからいいんだよ。でもまあ、名指しっていうのは――住所も宛名もバレてるってのは、結構怖いもんなんだな」

「書留で来たんだっけか。本当だなあ。漢字もあってるな。お前の名前珍しい字書くのになあ」

「そうなんだよ。どこで調べたんだか」

 古沢の名前の漢字は珍しいものではないが、この組み合わせは珍しいともいえる。相手がなにをもって調べたのかはわからないが、気色の悪さは拭えない。


 鍵を手に、文面を読み直していた白石が呟いた。

「ふ…ん。弁護士の名前があるな」

 封書には氏の顧問弁護士という青木という名も記載されていた。その法律事務所の人間が代理となって投函したという体裁だった。

 しばし、その住所を眺めていた白石は、何を思ったか懐から携帯電話を取り出すと、おもむろにボタンを押し始めた。

「おい……?」

 抗議の声をあげかけた古沢に、無言で――右手の人差し指一本で白石が黙れと示す。

 呼び出し音三回で、相手が出た。


『はい』 

 思わず、古沢は身を乗り出し、耳をそばだてた。

『青木弁護士事務所でございます』

 女性の、聞き取りやすい声が流れ出す。

『もしもし…?』

「すみません、間違えました」

 白石がさらりと言い、電話を打ち切る。


「…………おい」

 弁護士事務所が存在していたということにか、友人の手慣れた様子にか、出たのが女性だったということにか、それが意表をつくようなひどく優し気で丁寧な口調だったことにか、いったい何に驚いたのかわからなかったが、古沢は茫然として、そう呟くのが精いっぱいだった。


「この番号は本物ってことかあ」

 白石の言葉に、古沢ははっとし、にわかに狼狽した。

「本物…? 本当にその事務所の名前言ったよな?」

「言った。いや、別にそんなに驚くことじゃないだろ?」

「は!?」

「いや、繋がるかどうか半々かなって思ってたから」

 古沢のあきれ返った視線をものともせずに、白石が手紙をぴらぴらと揺らした。

「名指しでこんなもん送り付けて来る相手だぞ? わざわざ書いてある電話番号が偽物でしたってのは、ちょっとお粗末じゃないか? まあ、この事務所も勝手に名前使われてるんだろうけど。結構、ここも困ってるんじゃないか?」

「あ、ああ。なるほど…?」

「架空じゃないってわかったからって、なにがどうしたって話だけどな!」

 ははは、と笑う白石に、古沢はがっくりと肩を落とした。

「お前は何がやりたいんだよ…」

「うん。いや、まあ悪戯っていうか、詐欺って線のほうが濃厚じゃないか?」

 だとしても何も解決してないじゃないかと力なく呟く古沢に、白石がにやりと笑った。

「本当に本当の遺産話って可能性が出てきたかもしれないぞ?」

 口の周りにビールの泡をつけた白石ににやにやとした笑いを向けられて、古沢はいささか渋面になった。


「ええと…なんだっけか、お袋さんの祖父さんの…」

「お袋の母親の父方の祖父さんの妹の息子」

「それ。心当たりないのか?」

「ない。お袋は一人っ子で、祖父さんー―お袋の父親は、お袋が産まれる前に亡くなったらしい。頼れる身内がいなかったから、祖母は結構苦労してお袋を一人で育てたって話を聞いたことはある」


 冠婚葬祭の場でも母方の親族というものに古沢は会ったことはなかった。別に不思議に思うこともなかった。

 古沢の両親が共働きだったこともあり、子供の頃は近くに住んでいた祖母の家で過ごすことが多かった。穏やかな人だった。甘いものが好きで、いつも飴を持っていた。特に祖母のお気に入りは、きらきらとした金平糖だった。古沢の母から「虫歯になるから甘いものは、ほどほどに!」と二人、よく叱られたことを覚えている。

 古沢の両親が同居を勧めても、祖母はうんとは言わず、それで揉めていたのも覚えている。


 だが、やはり祖母が自身の親類を語ることを聞いた記憶はない。

 その祖母は十年以上前に――古沢が子供のころに亡くなった。


「祖母さんの葬儀のときにもお袋の時にも、そういう人は来なかったよ」


 古沢の母も、古沢が大学に入ったばかりのころに亡くなっている。

 古沢の父ならあるいは、なにかしら知っているかもしれないとは思ったが、仕事を辞めて以来、連絡を取っていなかった。取れずにいる。

 古沢の父親は現在海外に赴任中である。父一人子一人の家庭だが、すでに実家を出て一人暮らしの古沢にとっては、父親が海外いようと日本にいようと連絡を取る頻度は大差はない。


「そっか」

 神妙に頷いた白石に、古沢はわざとおどけるように笑ってみせた。

「これが本当だったらすごい話だよな」

 ふと宝くじが脳裏に浮かんだ。

「宝くじにあたるより、すごい確率じゃないか?」

 白石がわずかに眉を上げた。

「世の中にはな、足長おじさんみたいなのはそうそう転がってないぞ」

 顔をしかめた白石に、古沢は首をひねった。

「足長おじさんって遺産話だったか?」

「違ったっけ? とにかく、だ。この手紙は冗談にしては質が悪いし、奇妙だ。これは間違いない。だいたい、こんなことをする目的がぜんっぜんわからない。ここまで手の込んだことをやっておいて、相手のメリットって何だ? お前がびっくりしようが怒ろうが、嘘・本当どっち? なんて慌てても相手には分からないんだぜ? どっかから、この部屋を覗き見してりゃ話は別だろうけど」

 思わず、古沢は少し飛び上がって、窓の外へ視線を向けた。ちょっとビールがこぼれた。

「そういった、お前の反応を確かめようがないのに、こんなことを仕掛ける意味が解らない。普通、悪戯ってのは引っ掛かった相手の反応や言動をに見て、こう――ああ楽しいってものだろ」

 胸の前で手を交互に重ねて、小首を傾げる友人に、古沢は嫌そうに顔をしかめた。

「気持ち悪い真似を…。それに、楽しいってのは、なんかいやだなあ」

「お前の反応を見れない以上、悪戯目的でもないだろうさ」


 その場合、目的はなんだろうなあ――古沢は考える。


「つまりだ」

 白石は右人差し指を天井に向けて、続けて高らかに宣言した。

「悪戯とは仕掛けられた相手にとっては不愉快な場合が多々あるが、これはそれを通り越した、単に得体の知れないものである。一言でいうなれば、胡散臭い。ということは、内容が本当であるはずがない。目的など考えても無駄だ。結果、無視しておくに限る」


 古沢は軽く手を叩いた。

 ありがとうありがとう、と拍手喝采する民衆をなだめる演説者のような素振りで白石は古沢に応えた。それから、ふっと真顔になって言った。


「行くなよ」


 白石の真面目な顔に、古沢は笑い出した。

「行かないよ」


 それでも白石は疑わしそうに古沢を黙って眺めていた。

 どうも白石は古沢も気が付いていない、古沢の中の迷いに気が付いているらしかった。ということに気が付いたのは、ずっと後のこと。だからそのときは、えらく真面目な顔の友人に「どうした、もう酔ったのか?」と軽口を返した。

「酔ってない」

 白石はどかりと腰を下ろして、言った。

「財産がどうのこうのって言うのを信じてないのはわかってるけど、どっかで差出人については気になってないか?」


 祖母の葬儀にも母の葬儀にも来なかった人たち。


「わかってるか? もうそれって、この手紙に引っ掛かりかかってるってことだぞ」

「…………」

「気持ちはわからなくもないけどな、ようく考えてみろよ。それが出鱈目だったとする」

 体を乗り出すようにして、白石は古沢の手の中の手紙を指さした。

「井上雪弘という人間がいなくて、その住所に家がなかったなら、お前が行ったところで、お前が笑われるだけだ。だが、家があった場合、たとえ井上雪弘という人間がいてもいなくても、その家の人間はどう思う? それにだ」

 白石はだめだというように大きく首を振った。

「もし、もしもだ。本当にその家があって、その人が存在していたとしたら? あちらさんの身内にしたら、立派な財産目当てだ。お前、この人はおろか、その身内すら知らないんだろう。それに…」

 白石がすまなさそうに続けた。

「お前の今の状況じゃ、冗談でした、では済まないだろう?」

「そうだな……」

 古沢は頷いた。友人の心配が解ったから。


 公にはなっていないが、古沢には横領の容疑がかけられていて、現在は無職。金銭絡みの醜聞に塗れている。


「タイミングが良すぎるな」

 自嘲気味の古沢の言葉に、白石は首を振りながら、再度、強い口調で言った。


「行くなよ」


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