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蔦揺籃のみた夢  作者: 佐原万葉
第一章 招待状
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第一章 招待状



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 古沢純多は、呼び鈴の音に驚いて顔をあげた。


 真夏――盆まであと少しという平日の昼間に訪ねてくる人間の検討が付かず、少々警戒した面持ちでドアスコープを覗くと、中学時代からの友人が立っていた。


「早く開けてくれー、おーもーいー」という少々情けない響きを含んだ声音に、慌ててドアを開けると、いきなりビールの箱を押し付けられて、古沢は二歩、後退った。


 相手――白石棗は屈託なく笑いかけてきた。思いがけない顔に思わず身構えていたが、その変わらない笑顔に、古沢もつい笑顔になった。


 白石は駆け出しのカメラマンということで、勤め人ほど確固たる時間の束縛がないらしい。忙しいときは本当にどこにいるのかまったく掴めないし、暇なときは本当にすることもなくて脳みそが蕩けそうなくらい暇だという。


 今がそうなんだ――と白石が言った。


 とにかく昼間ではあったが、飲もうということらしい。


「結構、片付いてるなあ。そんなまめな方じゃなかったよなあ」

手にした袋をがさがさ言わせながら、ずかずかと部屋に乗り込んできて、白石はきょろきょろと見渡す。

「時間だけはあるからさ」

 ビールの箱を「よっこらしょ」と下ろしながら、古沢は答える。相手がどんな反応をするかと横目で窺いながら。


 古沢は現在失業中だった。二十五になって数か月後の依願退職。だが、実際は一方的な解雇だった。理由は会社の金を横領したため――寝耳に水の出来事だった。むろん冤罪だが、なぜか証拠が揃っていた。無実を訴えたが、味方はいなかった。


 ただ上司が「自分の監督不行き届きで申し訳ありません」と頭を下げた。

 不祥事を忌避した会社からは「訴えられないだけマシだと思え」と言われた。


 愕然とした。


 朝出社して、夜帰るまで開発室にこもっている生活。会社の経理どころか総務にすら知り合いはいない。開発にかかる費用だって、すべて上司の決裁がなければ動かせない。そんななかでどうやったら、金を懐に入れることができるというのだろうか。古沢の方が教えて欲しいくらいだった。


 そうして、古沢は会社をやめた。すぐさま食うに困るというわけではなかったが、将来の展望はまったく見えず、何人もの友人と連絡がつかなくなり、恋人とは別れた。


 会社に泊まり込むことも多い勤め人だと知っているはずなのに、この時間帯に訪ねて来るということは、白石も古沢の現状を知っているということに他ならない。


 さて、どんな反応を示すかな――少し意地の悪い気持ちで、白石の答えを待った。


「ふうん」

 が、白石は聞いているのかいないのか、解っているのかいないのか判然としない生返事を返しただけ。

「こっちはツマミ」

「重……!」

 缶詰が入った袋を受け取った古沢は取り落としそうになった。

 重たいカメラ機材を担いで必要なら山にも登る白石という男。知ってはいたが、この重量を抱えてきたことに古沢は少し慄いた。


 そんな白石は、まだきょろきょろと部屋を見渡している。


「こりゃあなんだ? 変わった鍵だなあ…鍵でいいんだよな?」

 座卓の上に投げ出されていた鈍い銀色の鍵に目を留めて、白石が尋ねた。

「ああ…それは…」

 ビールを冷蔵庫にしまいながら、古沢は思わず渋面になる。

「今朝、届いたやつで…」

「届いた? 衣装ケースでも買ったのか?」

「衣装ケース? なんで?」

「だって、鍵があるものといえば金庫とか宝石箱だろ? けど、金庫の鍵にしちゃ洒落てるし、宝石箱にしちゃ大きいしな。おまえんちの鍵じゃないことは確かだし。他に鍵がついているような物はないから」

 それでどうして衣装ケースになるのか。白石の発想はいまいち理解ができなかった。洒落た金庫の鍵だってあるかもしれないし、大きな宝石箱の鍵だってあるかもしれない。むろん、古沢の家にはないが。

「違うよ。これに入ってたんだ」

 白石が持ってきたビールはすでに温くなっていた。冷蔵庫で冷えていた替わりのビールを卓上に置くと、古沢は白石に、一通の封書を差し出した。

 白石は軽く眉間に皺を寄せたまま、それを受け取った。


 差出人の名前は井上雪弘――古沢の知らない名前だった。


「中身が入ってないぞ?」

「中身は、そこ」

 古沢が指さしたのは、足元のごみ箱。

 白石は視線を古沢とごみ箱との間を交互に二回動かしてから、しゃがみ込んだ。

「これか? くしゃくしゃだな」

 破かないように、ゆっくりと広げていく。書面を見つめる白石の眉間の皺が深くなり、口の端がへの字に歪んだ。恐らく、これを読んだ時の古沢も同じ顔をしていたに違いない。白石よりも不愉快さが八割増しだったかもしれないが。


「なんだあ、こりゃあ」

 読み終えた白石が素っ頓狂な声をあげた。

 その反応に、古沢はつい笑ってしまった。

「おいおい、笑ってる場合じゃないぞ」

 右手で紙片をつまみ上げ、あぶり出しをするかのようにひらひらと宙で振る。

「この、井上雪弘ってのは誰だ?」

 古沢は首を振った。


「知らない。本当に知らないんだ」

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