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蔦揺籃のみた夢  作者: 佐原万葉
第三章 蔦屋敷
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「どうするんですか…」

 茫然としていた古沢はいつの間にか、その場に座り込んでいた。

「そうですね。なかに進んでみましょうか」

 泰然と――着物の裾ひとつ顔色ひとつ乱すことなく悠然と立ったまま、空木は答えた。

「引き返せないわけですからね。とりあえずは」

「呑気な…」

 呆れ、少しばかり目の前ののほほんとした男に対して苛立ちの感情が芽生えた。どうにも、この空木という男は緊張感が足りなすぎる。はたして現状を解っているのか。まさか現状を把握できていないのではあるまいか…。


「状況、解ってます!? 僕ら、閉じ込められたんですよ!? 普通じゃないでしょう、これは!」

「普通じゃないのは初めからですよ」

 空木は周囲を見渡しながら応えた。

「いったい、これがどういうことなのか、僕には解りませんが、とりあえず中に入ることができたということは、あなたが中に入っても良いと認められたというふうには考えられませんか?」

「み、認められたって、な…なに……?」

「ここを守っているのは、どうやらずいぶんと難しい方のようですが、嫌な感じはしませんから、たぶん大丈夫だと思うんです」

 少し先の天井のあたりを見上げなら、空木はあっさりと言う。

「か…か…方? ま、守ってる…? なにをいって…」

 古沢の震えた問いには応えず、ダメ押しのように空木がにっこりと笑った。

「どちらにせよ、ここにこうしていても仕方ありませんよ」


 古沢の肩からすっと力が抜けた。なんだか気が抜けてしまったのだ。相手の緊張感のかけらもない顔に、一人で慌てて苛立っていることが馬鹿らしくなってきた。

 古沢はズボンの尻をはたきながら立ち上がる。

「広いですね…」


 玄関ホールは吹き抜けになっており、二十帖はある。足元の床は大理石模様の石張り。もしかしたら本物かもしれない。

 恐怖心が薄れると、にわかに好奇心が騒ぎ出す。古沢はあたりをきょろきょろと見渡し始める。次の瞬間、あるものを見つけて「うわあ」と声をあげた。

「こんなの、普通の家にあるの、初めて見ましたよ」


 玄関入って右側正面に、白地に藍色の鳳凰と竜の描かれた――大人一人すっぽり入ってしまいそうな強大な壺がケースにも入れられず剥き出しのまま鎮座していた。


 古沢にはそれが何という名称で、いつ頃の時代のものであり、どんな価値をつけられている代物であるかは、とんと判らない。せいぜいが「大きな壺」程度の感想しか抱かない。が、空木は感心した様子で眺めている。彼が興味を示すところをみれば、恐らく良いものなのだろう。そう思って尋ねてみると、あっさり首を振ら振られた。

「この壺ですか? これはつい最近のものですね」

 熱心に眺めていた空木が顔をあげた。

「最近? 立派に見えますけど…こうくすんだ感じもあって」

「わざとそういう色をつけているんです」

「じゃあ偽物ですか?」

 空木がうーん、と苦笑した。

「偽物というわけではありません。物自体は確かに良いモノですから」

古沢は首を傾げた。

「骨董的な観点からいうなら価値はない、というだけです」

「へえ。そういうものなんですか…?」

「ですが、この屋敷に似合うものならば、それでいいと思うんです」

「はあ…なるほど」

 異を唱える気はおこらなかったが、果たして骨董屋の店主が言って良いものなのだろうか、とは思った。そのうえ、この壺が相応しいかどうかの判断もつかなかった。


「………この像は?」

 続く廊下に置かれた白い石膏像があった。壺を見た後だからなおさら、首を傾げずにはいられない。違和感がありすぎるのも甚だしい。壺を肩口に抱える、ギリシア神話に出てくるような女性の石膏の像を眺めて、空木が頷いた。

「これもつい最近のものですよ。わりかし大量生産型ですね」

「こんなの大量生産して捌けるんですか?」

「ええと、大量生産というとおおげさでしたね。型に流し込むんです。幾ら作っても一緒というものです」

「へえ…。いや、でもこれはちょっと…家の中にあるのは変ですよね…。庭園とか公園とかなら判る気がするんだけどなあ」

 普通、あの壺だけで玄関が占領されてしまうだろう。


「井上さんってひとは骨董収集が趣味だったんでしょう? あの壺もこれも骨董品ではないですよね? なんというか、節操がないというか…」

 壺の傍にギリシア像である。


 空木は微苦笑を浮かべた。

「ここにあるものは、かなり自由ではありますね。氏は、ご自身が良いと思えば、骨董という価値に拘る方ではありませんでしたから」

「それじゃあ骨董収集が趣味とは言えないんじゃないですか?」


 骨董収集の趣味の是非はもちろんのこと、東洋の壺と石膏像を並べて置いてしまう――それを良しとしてしまう。そのあたりの趣味――感覚もよくわからない。

 大丈夫か?というのが正直な感想だった。

 空木は微苦笑を浮かべたまま古沢の問いには保留を示したが、苦笑の滲む声から一転。しみじみと言った。

「物を見ようとする、良いお客様でしたよ」


 古沢の怪訝な表情に、空木はくるりと周囲を見回して続けた。

「氏がお持ちだった骨董品の多くは東京の本宅の方にあるんです。氏はもちろんのこと、井上家は代々骨董収集に熱心で、何代にも渡って収集し受け継がれてきた多くの品のなかには、それこそ値がつけられないような逸品もあります。なので、氏が目利きなのは確かです」

「東京の本宅?」

「はい。代々、そちらにお住まいです。こちらとは正反対の日本家屋で、お庭がとても見事なんです」

「ちょ、ちょっと待ってください。価値のある骨董品っていうのは、じゃあその本宅にあるんでしょう? じゃあ、あなたが…」

 ここにいる意味って?――その言葉は遠慮した古沢の口の中でもごもごと消えた。

 空木は気を悪くした様子もなく、笑って首を振った。

「何もないということはないでしょう。むしろ、知られていないすごい逸品があるのではないかと、仲間内では期待されています。大注目です」


 どんなに忙しくても井上はこの屋敷に帰った。それには何か理由があるのではないか。骨董好きの井上だったからこそ、何かすごい――逸品を隠し持っているのではないか。いつの頃からか、そんな噂が立つようになった。

「なにせ、ここは――氏が気に入って買い求めたものを集めた屋敷ですから」

 秘密を打ち明けるように云う空木に、しかし古沢は胡乱な目を向けた。

「壺と像が?」

 どこが良いかさっぱりわからない――古沢の言外の呟きに、空木は軽く笑い声をたてた。

「これは、なかなか印象的だったみたいですね」

「だって壺と像ですよ? どっちか一つならまあ…うん」

「壺と石膏像だけ見ると疑わしくなってしまいますけどね。氏は、けっこうお茶目な方でもあったんですよ? もしかしたら、こういうのを並べて、見る人の反応を楽しんでいたのかもしれませんね」

「え? でも、人付き合いがなかったんですよね?」

「会社の秘書の方とか、それなりに来る人はいたようですよ」

「ああ、そういう…」

「あとはそうですねえ。もしかしたら防犯の意味もあったのかも」

「え?」

「見るからにお金持ちそうでしょう? 一部では収集家としても有名ですし。留守にすることも多かったそうですから、例えば良からぬ人が入り込んだとして、これを見たら金目のものはなさそうだな、とか」

「ううん。うーん、どうでしょう? 盗み目的なら、玄関先だけで諦めないんじゃないですかねえ」

 唸る古沢に、空木は「この説はだめですかねえ」と笑う。

「いやいやいや。というか、つまり、空木さんもこれはないだろう?って思ってるってわけですよね」

 古沢の指摘に、空木は「あはは」と小さく笑うにとどめた。


「――偏屈でお茶目」

 ぽつりと古沢が呟いた。

「僕は本当に井上さんのことをなんにも知らないんだなあ」

 生きているうちにちゃんと会ってみたかったな、そんな気持ちが沸き起こる。

「なんだかすごく申し訳ないです」

 古沢の言葉に、空木は目じりを下げた。

「そのお気持ちだけで充分かと」


「――本宅か…。行ったら、お線香あげさせてもらえますかね」

 空木が少し困ったような顔をした。それで古沢は悟った。歓迎されないんだな、と。

「正直なところ、嫌な思いをしないとは言えません」

「そう、ですよねえ」

「とりあえずお一人ではいかない方がいいと思います」

「なるほど…。空木さんはその本宅、の鑑定?をしてみたいとは思わないんですか? すごいんでしょう?」

 気を取り直すように尋ねた古沢に、空木は大きく首と手を振った。

「正直、僕には本宅の方は荷が勝ち過ぎますし、たとえ依頼されていたとしても、たぶん中には入れて貰えないでしょうから」


「へ?」と古沢は頓狂な声をあげた。

「む、むこうもそうなんですか?」

「え? ああ、いえいえ、そういう意味ではないです。あちらは別の人が住んでいるんです。確か甥御さん夫婦です。氏はお子さんがいらっしゃらなかったので。ですから、僕のようなものが行っても叩き出されるのがオチです。たとえ、遺言書にそう書いてあったとしても。そういう意味です」


 これはいよいよ面倒なことになりそうだ――古沢はげっそりとした。

 握りこんでいた鍵を、思わず見つめる。

「井上さんは、どうしてここに? 東京の本宅の方がずっと便利なのに」

「さあ…」と空木は首を傾げた。

「こちらに、お住まいを移された後は、ほとんど寄ることはなかったとは聞いていますが…」

「なぜ、その甥夫婦と一緒に住まなかったんでしょうね?」

「僕もよく知らないんですが…あまりお身内の方とうまくいってらっしゃらなかったようです」

「ああ…」

 人嫌いなところがあった――という小林の言葉を思い出す。

「そんなこと言ってましたね、そういえば。――井上さんは結婚はされていなかったんですか?」

「早くに離婚されたときいています」

「へえ……」

 本当に自分は何も知らない。井上雪弘という人を――もう何度目になるのか、古沢は嘆息した。そして、ふと気づく。

「骨董品のほとんどは東京の本宅の方にあるんですよね? まさか全財産って、その本宅とかそこにある骨董品とかも…?」

 入ってやしないですよね?――恐る恐るという体の問いに、空木は首を傾げた。

「…全財産というからには…たぶん?」

 古沢はちょっと悲鳴をあげそうになった。


 もう充分に揉めているのに、これ以上は無理だ!


「いや、無理ですよ。無理無理。なんで開いちゃったんだろう!?」

「幸運だとは思わないんですか?」

「いや、だって! 空木さん言ったじゃないですか。価値のつけられない逸品もあるって。そんなのどうしろっていうんです!? 僕いまさっきまで井上さんのことも知らずにいた人間ですよ!? 揉めるでしょう!? 絶対!」

「揉めるでしょうねえ、それはまあ」

 うわあと呻いて古沢が頭を抱える。

「確かに僕も本宅が含まれていたら、今回の依頼は断りましたね」

 空木が追い打ちをかけた。


 白石の助言が正しかったことを痛感する。友人の忠告を無視したことが、今更ながらに悔やまれた。

「恐らくですが、氏の遺言があったとしても、そう簡単にはいかないでしょう。間違いなく揉めます。正直、関わり合いになりたくないです」

「……うわあああ」

「もう充分揉めている気もしますけど」

「なんで井上さんはこんな…! 普通に譲ればいいじゃないですかね!?」

「まあまあ。今、それを考えても仕方ありませんし」

 順当に考えれば、普通に受け取るはずの相手に遺したくはなかったということ――古沢が気が付かずにいるそれを、空木はそっと胸にしまう。

「――物質的には確かに恵まれた方だったんでしょうが、寂しい方でもあったんでしょうね…」

 空木の言葉は小さな呟きだったから、古沢は聞き逃してしまった。それよりももっと重要なことがあったので。


「汚れてませんね」

 古沢は幾度目かの視線を周囲に巡らせるなかで、さらにふと気づいた。

「なにがですか?」

「家の中ですよ! 井上さんが亡くなってから。この家の中、誰も入れなかったんですよね? なのに、なんでこんなに奇麗なんです!?」

 古沢は知っている。埃は一日では目に見えるほど積もらないが、確実に汚れは積ることを。

 古沢は壺の表面を撫で、床に少々乱暴に人指差しを走らせる。てのひらにざらりとした感触はなく、人差し指はよごれることもなく、床にも線は残らなかった。

「本当ですね」

 不思議ですねえ――と単調な口調で続けそうな感じで、空木は古沢の示す手を見た。

 まったく動じていない空木とは対照的に、気が付いてしまった事実に古沢がにわかに変調を来し始める。

「なんで、そんな呑気なんです!?」

「えっ。いえ、別にそういうわけでは…」

 古沢の勢いに押されて、空木が仰け反る。


「それに…なんだか……」

 空木に詰め寄っていた古沢だが、またまた気が付いた事実にポツリと呟いた。

「気のせいかな……」

 改めて古沢は周囲を見回す。

「なんだか誰かに見られているように感じるんだけど」

「いえ。多分、勘違いではありませんよ」

「は?」

 空木は自身の言葉を忘れたかのように、天井を見上げている。

「今、なんて言い…」

 古沢は言葉を途切らせ、一拍置いて小さく叫んだ。

「今……!」

 ぎょっとした様子で、天井を睨みつけるように見上げる。

「どうかしましたか?」

「物音が…」

「物音、ですか?」

「しましたよ、確かにさっき!」

 怪訝そうな空木に、古沢は悲鳴混じりの声をあげた。


 パタタタタタ………。


「ほら!」

 竦み上がりながらも、古沢は訴えた。

 軽い足音だった。天井裏の鼠が駆けていくような…。

 足音が途絶え、扉が閉まる――ぱたん…。

 鼠ではない。扉の開閉を行える鼠がいない以上、それは鼠では在り得ない。


「う…う…空木さん……」

 古沢が唇を慄かせる。声がかすれていた。空木の袖を引っ張り、反対の手で階段の上を指さした。

「あ…あれ」

 示された方へ視線を動かして、空木が双眸を瞠った。


 女がいた。

『線の細い、儚げな感じの………』

 まさしくそんな印象の女が音もなく立ち、二人を見下ろしていた。

 佇む着物姿の女。

 突如、女が身を翻した。後を追うように着物の袖がふわりと大きく舞い、視界から消えた。

 古沢は駆け出していた。

「待て…!」

「古沢さん…! 駄目ですっ」

 空木の静止もむなしく、古沢は一直線に階段を駆け上っていく。慌てて後を追ったが、間に合わなかった。

 どこかで扉が閉まる音がした。

 古沢を見失った空木が、微かに色を失う。

「しまった……!」 


 古沢はどこにいなかった。




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