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蔦揺籃のみた夢  作者: 佐原万葉
第三章 蔦屋敷
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第三章 蔦屋敷


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 屋敷を囲む背の高い塀――柵塀は緑色の艶のよい蔦によって一面覆いつくされていた。


「この土地は、あたしの父親が井上さんに売ったものでして、まあ、それ以来お付き合いさせて貰ってたわけです」

「り…っぱな家ですね…」

「中二階を含む三階建てで、部屋数は十二、各階に風呂トイレがあります」

 小林が示す指先に釣られるように、古沢は塀の上からのぞく建物に目を向ける。


「こんなに大きいとは思わなかった…」

 坪数も平米数の記述はなかった。うっかりしていてと云えばそれまでだが、せいぜい広くて5DKぐらいの家だと考えいていたのだ。

「掃除だけでも大変そうだ…」

 古沢の呟きに、小林が小さく笑った。

「一人で住むには大きすぎますよねえ。別宅とは言いましたけど、井上さん、もうずっとここに住んでましてねえ。都内に家があるのに、わざわざ遠いここから通うんだから物好きなもんだなんて言う人もいましたね」


 改めて、会うことのなかった井上雪弘という人物に興味が募る。

 どんな男だったのだろう?


「ここは空き家なのか、なんていう問い合わせをね、とっきどき受けることがありましたよ。今思えば、現役のころは多分、忙しくて家にいる時間も短かったんでしょうねえ」

 働きづめっていうのはちょっと嫌ですね、と小林は自らの職業観を付け加えた。

「それでもここから通ってたんですね」

 愛着のある家だったのだ――と思った。

「はい。大切にされていたんだと思います。なのでね、正直、今の状況はね…ああいう乱暴なのはね」と小林は言葉を濁しながら、嘆息した。

 かつての家人が大事にしていたものを土足で踏みにじるような行為に例え憤りを覚えたとしても、小林には何も言えない。


 まだ、古沢の中で「井上雪弘」という人物の像は結ばれない。


「見事な蔦ですね」

 二人と少し離れた場所で足を止め、屋敷を見上げていた空木が追いついてくる。

「でしょう。これが不気味だっていう人もいるんですがね、あたしは結構好きなんです」

 造花ではない。本物の、自然の彩りが屋敷を、ここだけどこかの田園風景の挿絵をそのまま写したような気持ちにさせた。

「地元じゃあね、蔦屋敷っていう通称で呼ばれてます。この名前は、たいてい知ってます」

 主は蔦屋敷の偏屈爺。


「木蔦ですね」

 ウコギ科のつる性常緑低木の名前をあげたのは空木だ。

 主に観賞用であり、卵形の葉が特徴で、低木と云っても一般には三メートル以下を指すので見上げるほどには成長する。

「蔦は蔦だとしか思っていませんでした。詳しいんですねえ」

「いえ。そんなに感心されると困ってしまいます」

 小林の素直な感嘆に、照れたように空木は笑った。


「で、どうしますか? 行きますか?」

 小林の問いかけに、古沢は一瞬の逡巡ののちに頷いた。

「毒を食わば皿までというやつですね」

 にっこりと空木が笑う。

「それちょっと違うんじゃ…」

「そうですか、行くんですね」

 心なしか小林はがっかりしたようだった。

「庭までは入れますから」

 そう云うと『管理 小林不動産』というプレートを少しずらして、ポケットから取り出した鍵を差し込んだ。


 門の鍵を持っていない古沢は「あ」と小さく呟き、小林不動産へ行くように助言してくれた駅員へ心の中で感謝した。


 門扉は軋みの音もなく、開いた。

 建物の中央に玄関扉。れんが壁に玄関を中心に左右の上下に窓が三つずつ。きれいな左右対称ではなかったが、ほぼそうだった。その壁にも蔦が這っていた。


 家屋敷は無人にあるとすぐ荒れるというが、蔦屋敷には微々たる荒廃の跡も見られなかった。無人となって日が浅いからなのか。それとも、その間、かなりの人が出入りしたからなのか。


「どうぞ」

 小林に促されて、古沢は唾を飲み込み一歩踏み込んだ。


 何の、変哲もない庭だった。全体的に明るく、背筋が凍るようなおどろおどろしい雰囲気も、気が重くなるような闇もなく、あちらこちらに存在を主張している置き土産はあるものの、ギョッとするような異物もない。少し拍子抜けしたほどだ。静寂そのもの。外界の真夏の暴力的なほどのセミの声すら、これだけの木々がありながら、どこか遠い。


「これはちょっとあれですねえ」

 空木の声に、はっと古沢は我に返る。

「でしょう?」

 うんざりとした声音で小林が相槌を打つ。二人は庭に放置されている重機を見ていた。

「持ってきたら、ちゃんと持って帰って欲しいですよ。そうだ! 空木さん、これ引き取ってもらえませんかね。古道具としてどうです?」

「え? それはちょっと…うちでは扱いかねるというか…」

「じゃあこれは?」

 小林が示すのはチェーンソーなどの重機より小ぶりな道具たち。

「い、いえ。それも持ち主の方に無断ではちょっと…」

「…やっぱりだめですか。そうですか…」

 判ってました――と小林はそれはもう残念そうに呟いた。

「やっぱり持ち主の了解なしにはダメなんでしょうねえ」

「す、すみません」

 小林の悄然とした様子に、思わずといった様子で空木がぺこぺこと頭を下げている。

「いえいえ、いいんです。…斬新なオブジェだと思えば…ええ」

 斬新すぎると古沢と空木は思ったが、懸命にも口にはしなかった。


「玄関に行きましょう」

 どこかとぼとぼとした足取りの小林について、玄関口まで来ると否応なしに緊張が高まった。


 小林はまったく手出しをするつもりがない様子だが、やはり緊張した面持ちで、古沢に鍵穴を示した。

 緊張と興奮を抑え込みながら、鍵を鍵穴へと運ぶ。

 少し手が震えていた。

 誰もが息を詰めて、それを見守る。


 えいっとばかりに古沢は一気に鍵を回した。かちりと意外に軽い音がした。

 同時に誰ともなく、ふう、と息を吐いた音が響いた。


 古沢は背後の二人を振り返る。小林は額の汗を拭い――かなり緊張しているらしい――頷いた。

「いつもと同じです」

 小林は秘密を打ち明けるかのように小さく呟く。

「ここまでは、同じです…」

「開くでしょうか……」

 呟き、ごくりと喉を鳴らして、古沢はドアノブに手をかける。


「えいっ」

 今度は思いが口をついた。


 かちっ。

 ゆるく扉が動いた。


「ええ!?」

 驚きの悲鳴は古沢だったのか、小林のものだったのか……。

「ど…ど…どうすればいいんですか!」

 激しく古沢は動揺した。ドアノブを掴んだまま叫ぶ。

「開いちゃいましたよ!?」

「ど…ど…どうすればって…!」

 小林も混乱一歩手前。おかしな手振りでわたわたと動揺のダンスを踊る。

 まったくもって予想外の出来事だった。


「開いたのなら中に入ればいいんじゃないでしょうか?」

 冷静な声がかかった。普通ならば、まともで建設的な発言だった。

「そう…ですようね…」

 確かにそうだ、と思いつつ古沢は頷いた。明らかに恐慌が過ぎて、少しばかり思考回路が不調になっていた。

「入るんですかっ」

 気の毒な小林の顔色は、今や紙より白い。

「だって、開きましたし」

 空木の言葉に騙されたのか。”なんで開いたのだろうか”という問いを見事にうっちゃっている古沢の言葉に、ますます小林は目を剥いた。

「そ…そりゃあそうですが…」

 小林の視線が泳ぐ。それが、内心の葛藤を顕していた。

「………わかりました」

 握りこぶしを作って、小林は頷く。彼は十二分に、この屋敷に対して恐怖心を持っていた。本当なら近づきたくもないのだ。

 すこし気の毒かな、と空木は思ったが、本人が行く気になったのを止める理由はないと思ったので、止めなかった。


「いきますよ」

 古沢は宣言し、一気に扉を引く。

 ひんやりとした空気が外へと動いた。

「冷たい…?」

 凍り付くとは違う。いうなれば、高原に吹く清々しい風――それに近いものを感じ、戸惑いさえ覚える。

「本当ですね」

 同意する空木の声にも微量の驚きが含まれる。


 意を決した古沢が一歩踏み出し、空木が続く。その後におずおずと小林が続いた。

 突如、雷鳴のごとき音が響き、屋敷が大きく一度揺れた――ような気がした。

 一瞬、確かに古沢はよろめいた。

 それに、ほとんど間を置かずして。


 バタンッ


 はっとして古沢と空木が振り返る。玄関扉が閉まっていた。後ろに続いていたはずの小林の姿がない。

 暫しの沈黙の後、どちらともなく顔を見合わせる。いやな雰囲気が漂い、弾かれたように古沢が扉に飛びついた。


「びくともしない…!」

 扉を引いても押しても。鍵を開け、ドアノブを回しても…。

「どうなっているんだ…!」

 古沢が髪の毛をかきむしるようにして叫んだ。

「閉じ込められたようですね」

「なんでそんなに落ち着いているんです!? 閉じ込められたんですよ!?」


 その時、激しく扉が叩かれた。ドアノブががちゃがちゃと鳴る。

「古沢さん! 空木さん!」

 扉の向こうで小林が叫んでいる。

「大丈夫ですか!?」

「大丈夫ですっ」

 空木が少し声を張り上げた。そうしないと小林の方に届かないからだ。

「何があったんですか!?」

「いきなりドアが閉まったんです!」

 小林の声は悲鳴混じりだった。


 その時、小林は自分の目を疑った。何かに突き飛ばされたようで、はっとして気が付いたときは尻もちをつく形で着地していた。怪我がなかったのは幸運だった。

「中からも開かないんです」

「なんてこった!」

 小林が叫んだ。まさに心境はそれ一語に尽きた。


「小林さんっ」

「はい!」

「鍵はありますかっ」

「ありません!」

 古沢が持っているからと持ってこなかったのは迂闊だった。小林が青ざめる。

「すみませんけど、事務所に戻って鍵を取ってきてもらえますか。開くかどうか――わかりませんけど、とにかくやってみてください」

「二人は大丈夫なんですか!?」

「多分、大丈夫だと思います」

「わかりました! 他にも人を呼んできます!」


 空木の言葉を受けて、小林は脱兎のごとく駆け出して行った。

 古沢は茫然と、ただ茫然と遠ざかる足音を聞いていた。


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