序章
初投稿です。
過去、出版社のコンテストに応募したものを改稿しました。
最終話まで予約投稿済みです。
よろしくお願いします。
序章
一目で判った。
それが自分の求めていたものだと。
目が離せなかった――まるで、あの遠い日のように。
***
「もし宝くじで一等が当たったらどうしますか?」
唐突にマイクを突き付けられて、古沢純多は驚き立ち止まった。
久しぶりにとった休日は日曜日と重なっていたために、街は人波が途切れることなく賑わいに溢れていた。
やたらとにこやかに――まるで二十年来の友人のような親しさで話しかけてきた女性の、行く手を阻むタイミングは絶妙。くっきりと奇麗に塗られた赤い唇だけが印象に残る。
業界のなかでは大手といわれる食品メーカーの新商品開発部門に籍を置き、仕事に没頭する毎日。新人ではないが、中堅とも言い難い立ち位置だが仕事は楽しい。悩みは決まった休みが取れないこと、休みの日は外出が億劫になってしまうこと、だろうか。
だから、休日の昼間に街に出るのは久しぶりだった。
ああ、人に酔いそうだ――古沢はもうくたびれ始めていた。
だからか。びっくりして趣旨を理解する間もなく、すっかり相手のペースにはまってしまっていた。
提示された当選額は一億だった。
明らかに質問する相手を間違っていた。古沢は宝くじを買ったことがほとんどない。金が有り余っているからでも、宝くじを買う行為をはなから馬鹿にしているわけでも、もちろんない。当たったらすごいなと思ったことは一度ならずあるし、天文学的数字の当選確率に二の足を踏むわけではないもないのだが、どうせ当たらないしなあと思うと、もったいないと思ってしまうのだ。だから、買ったのは職場での付き合いで一度だけ。
だから、そんな大金で何をしたいかだなんて、具体的なことを考えたこともない。
「夢がないわねえ」と言われたら、苦笑するしかない。
だが、このときは答えを迅速に求められていた。強制的に。
「……旅行……に行きたいです……」
文末に疑問符がくっついたようなあやふやな口調と答えだったにもかかわらず、女性アナウンサーは素敵とばかりににっこりと笑った。
「良いですねえ。たとえばどんなところに?」
「は?」
そんなことまでは考えていなかった古沢は混乱した。
「…え…えっと…温泉とか…」
それではあまりにありきたりかと思って、適当に付け加えた。
「海外……とか行けるところに…」
「まあ! 世界一周とか!」
なぜ、そんな答えになるのか、さっぱり解らなかったが――自分の言い方がまずかっただろうかと後で考えたが、やはり解らなかった――否定する間もなく、話が進んでいく。
「いいですねえ。そうなったら、お休みとかは取れそうです?」
これは架空の話だろう? なぜにそんなことまで訊くんだろう……。
通り過ぎていく人たちの視線が痛い。
「はあ…取りたいですね…」
「頑張って、もぎとる、と。だって、こんなこと滅多にできることでもないですもんねえ」
女性がにっこりと笑う。
取れないだろうな…――現実的なことを頭の隅で思いながらも、「はあ…」と曖昧に頷いた。
実際、そんな長期の休みなど普通は取れないだろう。宝くじに当たったから、世界一周に行ってきます、なんて理由では。下手したらクビになる気がする……。
「誰と行きたいですか?」
「え? え……家族とか?」
「ああ。親孝行、したいと。じゃ、ですね。これ持って、カメラに向かってですね、そういう趣旨のことを”もし宝くじが当たったら……”ってことで言ってください」
いつのまにやらマイクを押し付けられて、カメラに向かって、視線を泳がせ唇の端を引きつらせながら答えた。
女性アナウンサーとその仲間は聞くだけ聞くと、笑顔だけを残して離れていった。新たな標的を見出し、狩りにかかったのだ。
古沢が一人、ぽつんと残された。
放映日も時間も教えてくれなかったな――と気が付いた。
やはり絵柄的によろしくなかったのだろう。彼女のなかで、すでにインタビューの途中で、この映像を使わないと決まっていたのだと思う。自分が、彼女の立場でも使わない。
別段、おもしろいことを言ったわけでもないし。
放映されてもされなくても構わなかったので、まあいいか、と思ったが、ただ偶然にも観てしまった友人知人がいたら嫌だなとは思った。結局、誰からも「観た」という連絡はなかったが。
まったく妙な――うら恥ずかしい体験をしてしまったものだと、古沢は照れ隠しのように小さく首を振り振り、歩き出す。
まさか、あんなことの引き金になるなんて思いもせずに。