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「豁サ縺ュ! 豁サ縺ュ! 縺ォ縺医縺ェ繧!」
「豸医∴繧! 豸医∴繧! 縺ォ縺医縺ェ繧!」
「蟠ゥ繧後m! 蟠ゥ繧後m! 縺ォ縺医縺ェ繧!」
轟声が部屋中に響く。襖を押し上げながら、肉塊から無数の手が伸びてくる。千手観音のようだが、その見た目はグロテスクだ。地鳴りと振動がひどい。立っていられるのもやっとだった。姿を見せた肉塊は、僕に攻撃することはなかった。ただ蠢く手が溶けては生まれていく。誰が見ても、異様な光景だった。
その肉塊から伸びる手が僕を呼ぶ。手招きしているのだ。
あ。いやだ。やめ縺ヲ、縺励縺溘>、縺薙m縺励※、え。
数十秒、何も考えられなくなった。真っ新な頭で呆然と息を飲む。
手を伸ばす。手が来る。握る。
少し冷たい。つるんとしている。
轟音。二度目の音。
「間に合っタ!」
ザガンの声で意識が戻った。はっとして僕は声の方を見ると、目の前で黒く小さな影が砂のように消えていった。人型をしていて、頭がない影だった。
「ザガン!?」
ようやく声が出るも、胸を撫で下ろす暇もなく小脇に抱えられる。ザガンの右手には先程ヒイロを撃ち抜いた拳銃が握られていた。
そこでなんとなく察した。そうか、あの人影は僕を襲おうと近づいてきていたんだと。
「生きてたカ、死んでると思ったゼ」
「勝手に、殺すな!」
強い力で腕を引っ張られ、その勢いで僕を小脇に抱えたザガンは、肉塊のすぐ横を走り抜けた。言葉にできない興奮と困惑で僕はただ身を委ねた。
「あの、肉塊は、なんなんだっ?」
「あれが女神の心臓部ダ。別名、神核ナ」
「潰すの!?」
「ハハ、潰せるなら大したもんダ!」
横目でシンカク、神のコアを追う。肉塊以上の何ものでもないけれど、これが神様の心臓なのか。夢に化けて出てきそうなフォルムだ。そういえば、女神に食べられてすぐの時、まだヒイロと出会う前、ザガンが肉塊には気をつけろと言っていたのを思い出す。
異様なものには無暗に触れない方がいい。そういったことを、遠回しに教えてくれたのかもしれない。
「とりあえずココをしのぐゼ、時計とかカレンダーとか時間に関係するものならなんでもイイ! 探しやがレ!」
ザガンは空いた右手でしっかりと銃を構え、腕を真っ直ぐ突き出し、的当ての容量で頭のない影を打ち抜いていく。どうやら影は神核の中から生み出されているらしい。絶えず襲いかかる影は、僕を喰らった少女と同じ姿形をしていた。
「……やるな」
「見てるだけなら容易いナ! 働ケ、小僧」
笑い混じりだが、その声には小さな焦りがあった。それにつられて、僕も目を凝らし、辺りを見渡す。神核があった部屋の周辺は崩壊し、天井がも床も抜けている。残っているのは壁だったものや、大きめな家具だけだ。
「あ! あったぞ!」
目を凝らし、瓦礫ばかりが散乱する中で、汚れた地面に砂時計が一つ。無造作に落ちていた。
僕が見つけた砂時計をザガンも見つけられたらしい。僕を抱えたまま、ゆるく左に曲がって、それを僕に拾うように促した。僕もそれに応えて、空いた両手で煤を被った砂時計を拾う。
「時間ねえから適当に逃げル! 割レ!」
後ろからは追手、前からも追手。挟み撃ちにされ、僕はもうわけがわからなくなった。こげ茶の木材がガラスを守り、簡単には割れないように細工されている。一か八か、地面に当った衝撃でうまく砕けさせるしかない。僕はザガンに抱えられたままではあるが、前方に見える石畳の角めがけて強く投げつけた。
くびれたガラスに運よく衝撃が伝わり、きらきらとした桜色の砂がさらさらとあふれ出る。どういう原理なのか、その砂は一秒ごとに光を増し、強い光で反射的に目を瞑ってしまう。
チカチカと目の裏でも火花のような点滅が起きた。少しだけ痛んだ目を堪えて、僕はゆっくりと目を開けた。二、三度目を瞬かせる。
日差しが柔らかく部屋に入り込んでいた。消毒液の匂いが充満している室内は、医療器具が数点置かれていた。ここは病院の一室で、窓辺のベッドで横たわる誰かの影が見える。白いカーテンで遮られていて、その向こうがどうなっているかはわからない。
「病院か……?」
「あまり騒ぐなヨ、防衛装置に気づかれちまウ」
……あの頭のない影は、防衛装置だったのか。僕はその言葉通り、ぐっと口を噤む。大きな音を立てないように、できる限りベッドへ近づいていく。すると、病室の外から少女が入ってきて、カーテンを開けた。
「ヒイロの奴、いるじゃねえカ。……こりゃあ酷いナ」
こりゃあ酷い、とザガンがこぼした通り、ヒイロ少年はやつれていた。点滴を受け、心電図の機械音が小さく聞こえてきた。
「ひぃくん……もう、三日も声聞けてないよ……」
少女は泣きそうな声で、ヒイロ少年の手を握った。小さい手が一回り大きい手を力いっぱい掴んでいる。しかし、ヒイロ少年の手は僕と百人一首をした時よりも指が細くなっていた。
「◆◆◆」
ノイズだ。少女の名前を呼ぶ時に必ず入る、少し甲高い雑音がした。どうやら、ヒイロは目を覚ましたらしい。
「ひぃくん!? 起きたの? からだは大丈夫?」
僕たちよりも驚いたのは、少女だった。目に涙を溜めながら、ヒイロの顔を覗き込んだ。
「平気さ。ぴんぴんしてる!」
「よかったあ……」
「なあ、屋上で久しぶりに話さないか?」
「え? あ、うん! 話そう! 歩ける?」
「ああ平気だ」
元気そうに話すヒイロは、言葉の節々に生気を感じなかった。少女は楽しそうに彼の身体を支えながらベッドから降りる補助をしている。院内用のスリッパを履かせ、点滴装置を移動させている。僕らはそれを覗くように見つめた。
「今僕たちが見てるのは映像、でいいんだよな?」
「ア? 記憶であり記録でもあるガ、ソレを三次元に復元したホンモノ、ココで死にゃあ現実でも死ヌ。そもそも今現在の身体自体がホンモノなんだからヨ、気をつけやがレ」
ヒイロと少女がゆっくりと歩いて病室から出ていったタイミングで、景色が変わった。屋上へと移され、柔らかい風が吹きつけた。少女の黒い髪もゆるりと揺れている。
ヒイロ少年と少女が向かい合っている。ここはヘリポートがある屋上で、落下防止策も存在しない。あともう少しで落ちてしまいそうな場所で、微笑みあっている。
「ひぃくんとこうやってお外に出るの久しぶり!」
「そうだな」
「うん! ひぃくん、その、あのね……私、言いたかったことがあるの、聞いてくれる?」
「なに?」
相変わらず、ヒイロの声には元気さがなかった。もじもじと下を向いて赤くなっている少女を、彼は冷たい目をして見ている。恋心を語っていた純真な彼の姿はない。僕は強烈な違和感を覚えた。それでも、彼の目の前にいる少女は特にそれを疑う様子もなく、深呼吸をする。すぅっと吸った息は、震えた声で出てきた。
「その、ね……私、ひぃくんのこと、だ、だい……大好き!」
「はは、――ヤダ。」
「待って、ひぃくんっ!」
甲高い叫び声と共に、ヒイロ少年は身を投げ出した。少女は短い腕で落ちていくヒイロに手を伸ばそうとする。距離の離れた僕がそれを止められるわけもなく、しかしどうしても駆け出したくてザガンから止められた。抗議でザガンを睨んでも、何ともない表情をしている。
足元が覚束ない様子で、少女は脱力するようにその場に座り込んだ。黒い髪が地面についてしまうことも厭わないで。
「ひぃ、くん……――よかったぁ」
ひとしきり泣いた後、顔を上げた少女は笑っていた。安堵と興奮、歓喜が混ざったなんとも言えない笑顔で、何かを抱きかかえている。その何かは、灰色に光る球体で、つるつるとしていた。大きさは少女の腕がぎりぎり回るくらいで、地面につかないように丁寧に扱われている。異様な光景が続いてばかりで、いい加減驚くのにも疲れてきたところだ。
「妙ダ」
ぽつりとザガンが呟いた。妙って、もう病院に飛ばされてからというものずっと違和感ばかりが支配しているというのに。
「ああ。ヒイロがヤダなんて彼女に言わない」
「そこじゃねエ、ありゃあヒイロの魂ダ。あの女神、抜き取りやがったナ」
体力的にも精神的にも疲れが僕の身体全体に廻っている。そんな中、目と頭だけが冴えていた。ヒイロの魂と言ったが、そうか、魂は神様の手にかかれば抜き取れてしまうのだ……と、簡単に納得してしまうくらい思考のキレは悪かった。
「あれが……魂?」
ヒイロの魂を模した球体を愛でる少女が、またしても目の前でバグに支配される。声がノイズになり、手も足も髪も、すべてちぐはぐな姿になってしまう。
なによりも、見ているこちらが意気消沈してしまいそうな繰り返されるヒイロの自殺シーン。少女が球体を撫でながら、ヒイロ少年の姿をした何かが屋上から身を投げた。身を投げたヒイロの身体はまた再構築されて、自ら落ちていく、
繰り返される自殺と憔悴を見てられなくて、僕は目を逸らす。ザガンの方を見ても、当然のことながら、真っ直ぐそのバグが起きているシーンを見続けている。根本的に精神面が違うのだと感じざるを得なかった。
「魂は本物だナ。でモ、ヒイロはおそらく死んでなイ、こりゃ妄想ダ」
「女神の妄想にしては……悪趣味すぎやしないか?」
「そもそもニセモノなんだヨ」
偽物。贋作。これは本当の『神話』ではないから、現実はこの通りではないということでいいのだろう。
「というよリ、バグが起こってるってのが正しイ。本来存在しない筋書きで『神話』が進行するト、神格がああなル」
顎で指したほうに、太陽のようなもの――神核があった。この世界を照らすものは、肉の塊ではなく、自然物の太陽である。それがこうも露骨に書き換えられてしまっていると、いよいよ今いるここが作り物めいてくる。無数の腕を伸ばす不気味な肉塊が、僕らの方へわらわらと手を振ってきた。奇怪な存在がこの世界を照らす光だなんて、不条理すら感じてしまう。
何か伝えたくても、何も伝えたくない精神状態と言える。僕はザガンの次の言葉を待つしかなった。
「正しい『神話』に書き換えル。やり方を教えル、まずその手に握りしめてるバグ札寄越セ」
「バグ札……これ? でもなんの札か分からないけど」
いいから寄越せと目配せされてしまえば、渡すしかない。文字化けをしたままの札は、結局その内容は分からずじまい。僕は次の行動を待った。