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I.E. pray for all  作者: 星野明滅
7/22

      ??? 1

???


 百枚を適当に並べ、軽い気持ちではじめた百人一首も、思いの外白熱している。現在、残りの札は三十枚ほどで、勝負の終わりは近い。社の扉を全開にして、できる限り外の光を取り入れて数時間。次第に陽も下がり始め、社の奥にいけばいくほど暗くなっていた。

「君がため 惜し」

「はい」

 反射的に「ながくもがなと思ひけるかな」と書かれた札に手が伸びる。ザガンとヒイロ少年に睨まれた。真剣勝負と言われた手前取れる札を取らないのは失礼だろうに。僕は居心地が悪く……ならなかった。

「あぁぁああ! もうやだぁぁああ! おれ、なにもとれてない!」

 しかめっ面で僕の方を睨みながら、ヒイロ少年がとった数枚の取り札が、まだ詠まれていない取り札の上にばらまかれた。

「ろくろみたいにぱっ! ばっ! ぱしっ! ってとりたい!」

「……ぱっ、ばっ、ぱしっ?」

「そう! おしえて!」

ヒイロ少年の反応は、昔の僕と似ていた。あれは確か中学生の頃で、学校の催しもので百人一首大会が開かれた時だ。トーナメント形式で、結局決勝まで勝ち進み、三石に負けたんだった。集中のし過ぎてお腹が減って、汗をかいて、クラスの大勢が注視する中の話だ。終わり際、それまでろくに話したこともなかったのに、僕の方から、

「三石さん! 百人一首、教えてくれないか!」

と言い出したのだ。今考えると、百人一首を教えるってどういうことなんだと思うが、それで彼女と仲良くなったのは事実だった。三石はそのあと、僕に一冊本を貸してくれたのだ。使い古された百人一首の解説書。僕は笑顔で渡され、とりあえずは読んでみることにした。するとどうだろう。百首すべてが興味深い意味を含んでいた。特に枕詞の概念は面白い。合言葉みたいだ。

 そんなことを思い出しながら、僕はぐいぐいと近づいてくるヒイロにあくせくした。困っているのが伝わってしまっているだろう。

「教えてって言われても、」

 きらきら光る瞳で迫られる。その迫力に圧され、僕は先ほど取った自分の札を見直した。平安時代の歌人藤原義孝の句。僕はこの句が好きだ、恋とは、愛とは、全て受け売りだけれど、歌に書かれた恋愛の心持ちを理解したいと思った。ヒイロ少年のように輝く眼差しでかつての僕が百人一首を触っていたかは、わからない。それでも、ヒイロ少年の姿勢も充分に納得できる。大それたことしか言えないけれど、その純粋な質問を無下に突き返すことはできなかった。

「……まずは意味を知ることかな」

「意味?」

「一首一首、歌には意味がある。ね?」

 百首のうち、意味がない歌はない。そのすべてに意味があり、伝えたいことがあり、作者の心がある。古い家具を愛するように、古いものを愛でるためには、まずその物を知り尽くさなければならない。僕はそう思う。

「さっきの句、君がため 惜しからざりし命さへ ながくもがなと 思ひけるかな、これは何を伝えたい?」

「えっと、うん……うぅん?」

「お手上げ?」

 優しい口調で言っても、ヒイロ少年の表情はどこか不安が見られた。緊張というか、遠慮しているらしい。教えてと言った手前、教わり慣れていないのだ。

「ま、待って! わ、わかるようなわからないような……」

「どっち? わからなくたっていいんだ、誰も怒らない」

「……わかんない」

 僕の表情を見て、ヒイロ少年は不安がりながらも本意を伝えてくれた。わからないと口に出しながら、少し恥ずかしそうにしている彼は年相応の様子だった。

「そっか」

「お、おしえてくれないの!?」

「……僕も意味、忘れちゃった」

「え!? そうなの?」

「ごめん、百人一首の本、今度買いに行こう」

「今度って、おれ、……」

 目に見えて口をつぐんだヒイロ少年は、その表情を曇らせた。僕の言葉選びが心に突っかかったのだ、この女神の腹の中で生きる彼を責めるようである。僕はこれを好機と捉えた。ヒイロ少年のことを知る絶好の機会は今だ。

「どうして外に出ないの?」

「……出たくないから」

 特別怒られることもなく、彼は素直に言葉を零した。その横顔は、百人一首の疲れと興奮が消え、かわりに何かを決意したような、しかし寂しさのようなものが表れた。

「なんで?」

「なんでって……言わなきゃだめ?」

 こちらの顔色を伺うヒイロ少年に、僕は笑いかけた。嫌なら言わなくてもいい、君に任せたいという気持ちが伝わるように。

 すると、ヒイロ少年は僕の顔をちらちらと見て、深呼吸をした。何回か口を音もなく動かし、それから意を決して息を吸い込んだ。

「――ひとを待ってるんだ」

 神である少女の腹の中という特異な場所で、待ち人がいる少年。冷静に考えると、ここで息ができているのもおかしなことだけれど、これまた不思議だ。僕は少年の言葉を待った。

「人って?」

「好きなひと。」

 真っ直ぐ、僕のほうを見て言い切った。好きなひと、まさか数時間前まで僕に襲いかかった少年とは思えない単語。驚くを通りこして、僕の肝は据わっていた。

 しばしの沈黙のあと、ヒイロ少年はおもむろに語りだす。とてもとても、優しい表情だ。

「おれが世界でいちばん好きなひとは、おれのこと好きじゃないって、いうかもしれない。……でも、おれ、あのこにおれのことが好きって、大好きっていってもらいたいんだ。あのこは俳句とか短歌とか、言葉が好きで、」

 ああ、だからか。きっとヒイロ少年自身は、微塵も興味のなかったあそび。好きなひとの話をする少年は、その年齢通りの明るさと純粋さを纏っていた。

「だからその、百人一首、おぼえたくて……」

 陽が落ちかかる。ヒイロ少年はようやく僕の方を向いた。夕陽のオレンジで橙色が肌に落ち、それをなんとなく寂しいと感じた。照れているのだろうか。頬がオレンジで赤く見えて、少し困ったように言った。

「あのこよりも、強くなりたいんだ」

 ――この子は、なんでこんなところにいるのだろうか。

 そう、強く思わざるを得なかった。僕よりも大人びて、真摯な姿だ。ヒイロ少年が、何よりここで場違いな存在だった。

 あの小さな女神に隔離され、少年は長らく外に出たことがないとしたら、それはすごく勿体ないことだと感じた。僕は彼の手に握りしめられた札の束を受け取ろうとした、その時だ。

「!? え……?」

 痛みに呻き、困惑で目を見開いた。少年の頭が、何者かによって鷲掴みにされ、後ろに引きずりこまれた。

「俺様も、話に入れてくんネ?」

「じゃ、じゃあ、離して、」

「ハッ、コッチが下手に出れば生意気なこっテ」

 ヒイロの髪が何本か切れてしまうほど、強く強く引っ掴んだのは、ただ一人、奴しかいない。ザガンだ。

 ヒイロの真後ろで笑うこともなく、口角を下げている姿に、嫌な予感がした。その予感は、ザガンの右手に握られたものが体現していた。

「ザガン、」

 握られたもの――映画に出てくるような、銀色の拳銃。夕陽の影が色濃くて、気づくまでに時間がかかってしまった。かちゃりと銃を構える音がする。ヒイロ少年の後頭部に銃口を当てているのだ。

「すまねぇなア」

「ッ待て!」

 思わず、僕はザガンの野蛮な行動を止めようとしていた。なんだか、よくない気がしたんだ。穏便に済ませられるようなことを、性急に進めようとしている感じが見て取れた。だが、ザガンは焦っているわけではない、苛立っているのだ。

「気ぃ張レェ!」

 カチリ。引き金に手をかける音と、破裂した怒号が鳴ったのはほとんど同時だった。少し上を向かされたヒイロの開いた口を、喉を突き破って弾丸が通り抜る。

 僕は反射的に目をぎゅっと閉じた。直視する勇気や興味はまったくない。音や香り、全てに驚いて心臓の位置がわかるくらいに鼓動する。しかし、破裂音が過ぎて聞こえたのは何かが床に落ちた音だけ。恐る恐る目を開いてみる。夕陽が沈みかけ、次第に暗くなる中で、はっきりと輪郭が見えた。

 恐怖。なんだか今日は驚いたり、怖がったりしてばかりだ。僕は泣き出しそうになりながら、その輪郭を視線でなぞる。

 ヒイロ少年の口から咲き誇るのは一輪の花。空を向いて花開き、柔らかい薄桃の花びらが幾重にも連なる。桜の花をかき集めたような花束が、赤い血に侵された花びらが一枚一枚ゆっくりと落ちていく。僕はその落ちた一片を思わず手に取っていた。

 いったい、どういうことなのだ! 貫かれた部分から咲く花の禍々しさ。不気味さ。これはザガンの銃がもたらしたというのか? いいや、もしかしたら女神の腹に生き続ける少年のことだ。だが今は、どちらが原因なのかを考える余裕もない。それよりも僕の感情を支配するのは、ザガンへの失望だった。

 ヒイロ少年の話を嬉しそうに聞けなんて思わない。けれども、数分前まで笑って遊んでいたのをこの目で僕は見た。なんの脈絡もなく、それも半ば衝動的にすら見れる行動をとるなんて知らなかった。

「ザガン、なんてことを、こんな、」

「知ったこっちゃねエ。いいからその『神話』、拾いやがレ」

 震えた僕の声なんてまるで聞いちゃいない。ザガンはヒイロ少年の花から落ちた箱を指さした。

「お前、」

「いいカ、甘ちゃんのクソ餓鬼。不必要な道徳掲げテ、同情気取ってんじゃねエ! 俺様はナ、あの腐れ女神の腸引き摺りだしてやりてエ、って単純な理由ヨ。いいから拾エ。俺様の言いたいことがわからねぇほド、お馬鹿さんじゃねえんだロ」

 ザガンの言葉の節々から、僕への棘が感じられた。それなのに、その声色はいつものままだ。

 うろたえる僕を嘲笑し、歯牙にもかけない態度に僕も苛立ちが芽生える。指図されることに腹が立ったわけじゃない。まるで興味もないように一連の行動をとった事実に対して、怒りを通り越して呆然とした。僕はこんなにも残忍な奴と生きてきたのかと思うと心苦しい。けれど、その苦しさと同じくらい、ザガンを信じたい気もした。説明不足なだけで、本当は良い奴なんじゃないかという、根拠の無い期待。

 床に落ちていた箱を手に取る。淡い水色の和紙が貼られた正方形の美しい箱。蓋部分を持つ指に少しだけ力を加えると、滑らかに上下した。僕は一呼吸置いて呟く。

「……開けるよ」


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