14:02
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「ここ、は?」
なんと、生きていた。神様ありがとうと思ったが、記憶通りにいけば僕がいるのは神様の腹の中だし、そうでなければ死んでいるはずだ。
目をしっかりと開き、辺りを見渡した。先ほどの神社の境内とつくりはほぼ同じだが、両脇にある木々に美しい桜が咲いていた。
「さっきの神の腹ん中、だナ」
聞き覚えのあるような、ないような声が背後からした。僕はそちらを見ないで、咲き誇る桜をぼうっと眺めてしまう。それほどに眩しい景色だった。おかしなことに空は青いし、地面もあった。ただ不思議なのは、ひりだされたピンク色の肉の塊がそこかしこから飛び出ているところだった。空に見えるものからも肉の塊が飛び出ているから、本物の空ではないのだろう。
「……綺麗だ」
「綺麗かも知んねぇガ、肉の壁に触ると自我が飛ぶゾ」
肉の壁に触れてはいけない。なんだかそんな気はしていた。不気味だなあと思いつつも、桜は美しいことに変わりない。僕はその場に立ち上がると、痛んだ肩をゆっくりと回してみる。うん、しっかり動く。これは僕の身体で間違いない。
ごうごうごう、地面が揺れた。屈伸中だった僕はその場でよろめいて、尻もちをついた。
「外で暴れてやがるなァ? おイ、ろくろ、早くしロ」
頭上からした声の主を今度こそ視界に入れる。くすんだ鋼色の髪に、黒に金が混じった瞳。何より、父が昔買い与えた古いスーツが特徴的だ。手入れされているというより、新品同様の輝きに、思わずほうと溜息が出そうだった。
僕の友人。しかし、世間的には厄介もの扱いの悪神。
「ところで……ザガンで合ってる?」
「合ってル」
「……老けた?」
「老けてねエ! オモテでロ、小僧ッ!」
腐っても神の端くれ。見た目が老いることはほとんどない。老けたって感じたのは、たぶん髪の色が以前と違うからだ。
「何で今更でてくるのさ。……何度呼んだって来てくれなかったくせに」
「ハア!? こちとらあのクソ女神に弾きだされたんダ。そもそモ、本契約してねエお前さんが、俺様を使役できると思ったら大間違いだゼ!」
「本契約の条件教えてくれないのはそっちだろ!?」
「教えちゃなんねエんだよ! 察しろクソガキ!」
僕とザガンの関係を一言で言うなら、主人と使い魔? 客人と商人? 債務者と債権者? 信者と教祖? このどれもあっていないような気がするし、全部正しいような気がする。僕とザガンはまだ友人同士のままで、彼が悪神だろうとそれが変わることはないような。本契約に関しても、昔三回ほど説明されただけで、今現在の仮契約状態で満足してしまっている。それに、本契約をするのは並大抵のことではないはず。詳しくは覚えていないけど。
「クソ悪魔!」
「ンだとコラ!? クソって言ったほうがクソだってナ!」
「そっくりそのままお前に返す! 小学生か!」
「ンだとォ?」
売り言葉に買い言葉。僕は久しぶりに大口を開けて笑った。
「ぷっ、はははは! 久しぶりだ、この感じ」
「いい子ちゃん卒業おめでとさン。とにかく、長話たア無理な話。さっさとあのクソ女神、なんとかするゼ~」
「なんとかするって?」
なんとかするって言ったって、僕にはてんで見当がつかなかった。僕はただザガンの次の言葉を待った。
「まずはクソ女神の『神話』を書き換えル」
「神話? なんだそれ」
「『神話』、神の存在証明。昔見せただロ、俺様のヤツ」
「……?」
どう何を思い起こそうとしても、手がかりもなかった。神話? 聞いたことがない。きっと僕は今とんでもなく間抜けな顔をしていることだろう。
「覚えてねエのカ!? ……コレだよコレ。思い出せよナ」
思い出さない僕に痺れを切らし、おもむろにネクタイの裏から単行本くらいの大きさの本を出した。ネクタイの裏には本が集まっている風に見えなかったのに、本当に四次元から取り出したようだ。
その本はきっと二十ページもないのだろう。厚みも薄かった。装丁は真っ黒で、触ったところから煤で汚れてしまいそうだった。ところどころ水気にやられているらしく、赤黒く変色している。
壊れないようにゆっくりと開くと、紙に印字された銀色の文字が見つめるうちに滲み、ふわりと浮いた。その銀の文字たちは霧のように薄くなったが、すぐに一つの形を成した。桜の花びらのような形をしたサクラソウだ。色は白で、銀色に輝いている。
その様子に見惚れていると、乱暴に本を奪われた。破れたらどうするんだとも言えず、ザガンは慣れた手つきで『神話』をしまった。
「……あ。あー! 動く絵本みたいな!」
ほんの少しだけ呆然としていると、ふと昔のことが蘇ってきた。あれは確か、十年ほど前、父と母のいる日常の一コマ。ザガンとまだ知り合ったばかりで、挨拶代わりに見せてもらった……ような気がする。
「そうダ。ソイツを一度具現化すル。で、バグを書き換えル!」
「ザガンがやれば?」
「阿呆! お前にしかできねエ」
「? そっか。神様が神様の存在証明? をいじれるわけないのか」
「……少し違うがソレでヨシ! 『神話』の場所はあの社の中。早くしねエと俺様たちもアイツらみたいになっちまウ」
アイツらと指をさした方向を見れば、参道の脇道に咲いた桜たちだった。一本一本がまるで生きているかのように揺れている。風もないのにいったいどうして。
もう少し目を凝らして見つめてみる。幹や枝、その先に咲く花を順に見ていくと、次第に浮かび上がってくるのは人の顔、首、胴、腕、脚。
「ッ、あれは、」
「イイからいくゾ」
ぐいっと腕を掴まれ、引っ張られた。言われた通りに桜たちから目を逸らすと、腕は解放された。この目で見たものが本当なら、あの桜は植物ではない。それだけははっきりとわかった。
賽銭箱も鈴も麻縄もない、社というには見慣れない構造の建物に近づいていく。春日造であるためか、一般的な建物でないことはかろうじて察することができる。小さな階段を数段上り、その拝殿へ続く扉を開けた。
「お邪魔します」
建付けが少しだけ悪いらしく、扉を開くのにも力が必要だった。ぐっと腰と腕に力を入れて開けると、社の内部には文字通り何もなかった。
「なァんもねェナ。ガランドウ」
がらんどうという言葉が似合う。装飾品も何もない、床板と天井板、壁が見えるだけの殺風景な場所が広がる。
「ここじゃないのかもしれないぞ?」
「ココで合ってるはずなんだがなア……」
僕とザガンは拝殿内部には入らずに、身体を乗り出す形で中を見渡す。それにしても、何もなかった。流石のザガンも困惑しているらしい。もちろん僕もだ。空も地面も桜も、何もかもが作られた世界で、頼れそうなのはこの建物しかないというのに。
時は金だ。この建物の辺りを探した方が有意義なんじゃないか、そう提案しようとしたときだった。
「他を探そ――」
「退け小僧ッ!!」
強い語気でザガンに言葉を投げられた瞬間、僕はつい後ろを振り返っていた。そこにいたのは、本日二度目の大口を開けた少年の姿。
身体が硬直した。二度目だからって、僕は神様でもヒーローでもない。反応できるわけもないのだ!
「ザガ、」
「舌噛むナ」
ザガンの言葉で僕は歯を食いしばると同時に目を瞑った。ふわりと身体が浮き、首元にすごい力がかかる。服の襟付近を思いっきり掴まれ、強引に後退させられたのだ。当然、そんなことができるのはザガンだけ。僕はせき込みながらも、すぐに走れるように体勢を立て直す。
逃げた先は拝殿の中だった。土足で入っていいものかと思ったが、それどころではないのである。僕は少年らしき存在がいるであろう外の光が射す方を睨む。
「凄いなあ! 君たち、何者? おれから逃げるなんて尊敬!」
明るく陽気な声。僕らを襲ったその得体の知れない少年は、さっきまでの異様な姿が嘘のようだった。彼の身長は一六〇センチ代で、明るめの茶髪で、瞳は灰を落としたような色をしていて、服装は長袖のTシャツを二の腕までまくりあげ、下はゆったりとしたジャージを履いていた。
「名前を教えて。友達になろう」
少年は土足で拝殿に上がり、部屋の奥へと逃げていた僕らのほうへそそくさと歩いてくる。躊躇いもない。そして、何よりも僕らが驚いたのは友達という単語が出てきたところだった。
「友達って……」
「理由が欲しい? 君たちを友達にしてあげてもいいかなって思った。それだけ」
柔らかい印象の笑みを浮かべたまま、少年は僕らに手を差し伸べた。
手を取るはずもない。ちらりと横目でザガンを見れば、面倒臭そうに胡坐をかいて頬杖をついていた。こいつ、何も考えていない顔をしている。
「やっぱり怖い? ……悲しいけど、そういうものだったっけ。友達関係には利害が必要って……誰かが言ってたし」
張り詰めた空気が一応は流れていた。しかし、それもまた歪で、彼の匙加減だった。こちらは完全に丸腰だ。目の前で柔和な笑みを浮かべた少年を、僕らは拒否するべきなんだろう。そちらが先に襲ってきたのだ。僕が彼の言い分を聞き届ける必要はない。
けれども、ここで感情論を原動力にしてはいけない。常に冷静であること、頼れる者は己だけ。勝率は高い方がいい。そうだろう。
「よし! こうしよう。君たちのことを俺は襲わない! 食べない! 生かそう! ここに誓う! どう? 良い利害関係でしょ」
黙りこくった僕らを見て、少年は焦り始めた。その容姿通り、まだ子どもの精神を有しているに違いない。僕が言えたことではないけれど。
少年漫画の主人公だったら、僕はここでこの提案を却下するだろう。友達に利害関係は必要ない。そんなことは、僕とザガンが一番知っている。それでも恐らく、ザガンはこういう話には乗っかるタイプだ。
「いいゼ! じャあマ、友達ってことデ! なア、ろくろ?」
頬杖までついていたのに、ザガンは切り替えが早い。僕はその軽薄な態度を改めるように、少年へ微笑みかける。
「うん。僕は鍛冶場ろくろ。このおじさんはザガン。君はなんて呼んだらいい?」
「今、さらっと俺様のことディスったナ」
少年は笑った。僕らの反応が予想外だったのか、少々面食らった様子でもあった。
「ヒイロって呼んでいいよ」
「分かった、ヒイロ。よろしく」
「無視かイ」
そうして、ヒイロ少年と友達になったわけだ。さて、この後はどうするべきなのか。彼の顔色を伺いながら、慎重に事を運ばなければならない。
「何して遊ぶ? 千本ノック?」
拝殿が静まり返るよりも先に、ヒイロが興奮気味に話し出した。流石に千本ノックを遊びだとは思えないけれど、友達と遊ぶようなことがしたい様子だ。
「俺様、麻雀がイイ」
「まあじゃん? なにそれ」
「麻雀知らねエ? 人生半分損してるゼ~」
どう考えても麻雀ができる環境ではないのに、適当に返答するからまた話がややこしくなるのだ。すかさず僕は麻雀の話題で盛り上がる前に、話題の舵を切った。
「僕はヒイロがやりたい遊びがいいかな?」
「やりたい遊び……うーん……あ! 百人一首! 最近覚えたんだ! 持ってくるから待ってて!」
そう言って、ヒイロ少年は拝殿から飛び出した。無邪気に笑う姿に、つい手を振ってしまう。当然のことながら、彼への緊張と不安はある。いつ襲われるか分からないのだ。しかし、駆け出していく姿に殺意を向ける気にもならなかった。
それにしても、百人一首ときたか。久しぶりに聞いた単語で昔の記憶が蘇った。はじめて百人一首に触ったのは、小学生の時で、かるたに飽きた僕が母に頼んで遊んでもらったのだ。歌の意味もよく知らないまま、条件反射のように覚えていったけれど、高校生になった今でもしっかりできるだろうか。
「また古風な……」
「ろくろォ、俺様読むヤツがイイ!」
「はいはい」
いい年した見た目の男が目を輝かせる話ではないだろう。僕は生返事で、とりあえずどう『神話』を手に入れるかを考えていた。
「ところでザガン、」
「オウ。ブツはアイツが持ってるゼ」
「確証は?」
「なんとなク?」
「……勝率は?」
「六十八パーセント」
「百パーセントにしたい」
「オウ、全身の八割の血を寄越すか、三十年の寿命を捧げロ」
「六十八パーセントでいこう」
「ちなみに残りの三十二パーセントの内訳は、ぜェんぶろくろの選択ミスだゼ」
「実質、勝率は百パーセントだな」
「アドレナリンに支配されてんナァ!」
間違ったっていい。僕は最後に正解を引けたらいいんだ。とにかく、第一目標は生きてここから出ること。第二目標は三石たちを助け出すこと。
アドレナリンが出ていて結構。胃がきりきりと痛くても、緊張で吐くよりマシだ。
「ろくろ、ザガン! おれと遊んで!」
ようやく戻ってきた少年が、元気いっぱいに跳ねる。その手には四角い箱があった。
「真剣勝負だ!」
こうして、ヒイロ少年と僕による突発的な百人一首対決が始まったのである。数分前まで死の危険に晒されていたとは思えない展開だ。しかしまあ、少年のあどけない態度は僕の警戒心を鎮めるのに十分だった。