8:12
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朝、初夏のじめついた暑さを振り払うように、自転車を漕いで十五分。今日は高校生活はじめての一学期が終わる日で、午前中で学校から解放される。数日前に配られた夏休みの宿題は、残すところ読書感想文だけだ。
荷が軽いのは宿題の大半を片付けられただけではない。夏休みが明日から始まるという事実が、僕の足取りを軽くしていた。……とはいっても、夏休みになにか予定が入っているわけではない。それでも、長期休みを喜ばない人は少ないだろう。
教室に入り、黒板の前を通って窓側の一番前の席に座る。ここが僕の席だ。
「おはよう、鍛冶場くん」
「おはよう、三石」
隣の席の三石夕湖に挨拶を返す。腰まで伸ばした髪を二つに分けて後ろに流し、血色のいい唇から良く通る声が、彼女の明るさを滲みだたせていた。
「川北くんから聞いたよ。夏休みの宿題、もう片付けたんだって?」
川北貴一。僕の後ろの席で、現在読書をしている友人の一人だ。読んでいるのは専らゲーム専門誌で、国語の点数は低空飛行。しかし、海外製品の説明書を読みはじめてから英語が得意になったし、元来数字の羅列が好きなようで数学では特に秀でている。個性的で面白いやつだ。
「全部じゃないけどね」
「いいな~! 私も早く終わらせないと、神政祭に早朝参加できなくなっちゃうぅぅ」
「今年も巫女役?」
「うん……」
「浮かない顔だ」
誰が見てもわかる。彼女の周りの空気だけが妙に重いからだ。
「ちょっと、色々あって……ね」
神政祭。この地一帯を収める土地神が主催するお祭りのことで、そこではその土地の居住権を神によって付与される大切な儀式がある。欠席は不可、もしも神政祭当日をすっぽかせば土地から追い出されてしまうらしい。一度も僕の周りでは住む家を追われた人は知らないが、確かにそういう決まりなのだ。
「ネガティブだめ! ごめんごめん、鍛冶場くん! よかったら私の巫女舞、楽しみにしててね~」
「もちろん。期待してる」
こんな会話をして、過ごすだけで楽しいと思う。家に帰って話す人もいないから、余計に話し込んでしまいたくなるけれど、僕は喋りが上手い方ではなかった。明朗快活な三石や、知識の豊富な川北なんかのほうが、よっぽど面白いことを言う。だから、僕は投げられたボールをとって、送り返すことだけで精一杯だ。
話しながら荷物の整理をしている間にチャイムが鳴った。この後、担任が出席をとって注意事項を説明したら終業式だ。講堂に集まって、夏休みの注意事項を聞けば終わり。
午後から何をしようか。部活動や習い事もないし、することもない。宿題は九割終わっているなら、なんだってできそうだ。……こんなのは全て、現実逃避でしかないのだけれど。