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I.E. pray for all  作者: 星野明滅
18/22

      17:48 2

 少女の胸の辺り、ちょうど穴が開いていた場所から、新しいピンク色の箱が取り出された。ザガンが『神話』をネクタイの裏から取り出したように、少女が自らの胸に手を当てたのだ。見た目も大きさも、爆発した水色のものと同じようだ。

〈ヒイロの言った意味、微塵も理解してねえだロ?〉

 僕の耳なのか頭なのか、聞こえる場所は分からないけど、ザガンの声がした。今まで黙っていたのに突然なんだと思ったが、それをぐっと堪えた。

 ヒイロの言った言葉を理解できたわけもない。僕としては何のことかさっぱりわからないし、こうして現実世界で再開を果たした二人の間に入るのも変な話だ。

〈表面的に名前を思い出したって意味ねえノ〉

「ろくろ、これ」

 ザガンの声を聞きながら、僕の目の前に差し出されたものをヒイロから受け取った。それは先ほど少女が胸の内から取り出したピンクの箱。桜の色を少し濃くしたような色合いで、あの空のような色味をしていた前の箱よりも暖かい印象だ。両の掌にかかる重みが、異様なほど心地いい。柔らかく軽い感触が、雪解けするように溶けていって、箱が姿を変えた。桜色の万年筆、しかし、僕がついさっきまで手にしていたものとは違う。具体的にどう違うのかというと、形状と色合いだ。羽根や蔦がギリシア彫刻のように装飾され、ペン先に向かって桜色から水色にグラデーションされている。先ほどの万年筆よりも数段グレードアップしているらしかった。僕はそれをなんとなく手に取った。取るべきだと思ったのだ。その万年筆の重さは丁度良く、僕は何か書いてみたい衝動にかられた。

〈頭に浮かんだ言葉を言うだけでイイ〉

 頭に浮かんだ言葉。僕はそのいくつかの言葉を紡ぎ合わせた。

 舌触りの良い言葉たちだった。昔、どこかで聞いたことのあるような、でも、初めて口に出すような、不思議な感覚が喉元から音になって飛んだ。

「――女神、オウカ。その美しい名前を、刻む」

 僕の声が、壁もないのに反響する。そして、さらにおかしいのは、僕の右手が無意識に、〝オウカ〟という文字を大きく大胆に空に書いた。驚くべきことに、その文字の軌跡が煌々と光り、そのまま彼女自身の胸の内へすっと吸い込まれていった。書き終えてすぐ、万年筆は僕の手から離れたがった。だからすっと右手の力を抜いてやると、伝書鳩のようにそれが空中を飛んで、少女の元へ近づいて、その小さな身体へ落ちていく。

 それは、ぴったり、少女が抱えていた胸の大きな穴を満たしていくように見えた。服の上からでは見えないが、恐らくそうなっている。身体に宿ったその光によって、形を成していない左腕がそっくり蘇り、潰れて赤い涙が出ていた右目はその視力を取り戻したらしい。

 一種の魔法。人ならざるものの力を感じた。僕の行動がこの結果を生んだけれど、僕にその自覚は一切ない。強いて言えば、これこそ神のまにまに、大いなる存在が僕を小手先で操っているようだ。

 宙ぶらりんのままだ。僕は暖かな光が辺り一面に落ち、枝垂れ桜と流れる水が、彼女を祝福するように包み込む様を見ても、まだ。

 この光景自体がほとんど幻に近いのかもしれない。僕は小さな、しかし痛みのある夢を見させられている錯覚に陥った。

「じゃあな、ろくろ。殺さないでくれて――いや。友達でいてくれてありがとう、またな」

 ヒイロの声が、僕をようやく現実に引き戻した。彼の姿はもうどこにもなかった。女神一柱を置き去りにして、彼は彼のいるべき場所へ帰るのだろう。

「ああ、また」

 咄嗟に出た言葉は、ありふれていた。それでも、本心である。なんとなく訪れる別れが、一生忘れられないように、ヒイロのことを思う日もあることだろう。たった少しの触れあいで、僕がそう思えるのだ。またどこかで会える日も来る。

「あとひとつ。こんなのは序の口、深入りしすぎるなよな」

「……――え?」

 間抜けな声が出たのは、ヒイロが言った内容が引っかかるからに他ならない。ヒイロが直観的にいなくなったのを理解した時、目の前の枝垂れ桜の木や川は消えていた。残ったのは泥に汚れているが、破損した部位を補った完璧な女神オウカだけだった。

〈ご苦労さン。よくやっタ〉

「……どうも」

 普段、僕だけにしか聞こえない会話に返答はしない。独り言を言っているようにしか見えないからである。しかし、どうも今日は違った。どっと疲れが押し寄せ、周りの状況を見る暇もなかった。

 そのせいもあるだろう。僕は近づく殺意にまったく気づかないでいた。

「だめッ!!」

 一際大きな声が、静まり返る境内に響いた。女神オウカの、今までにないくらい切羽詰まった声である。

 僕は思わず振り返った。彼女が「だめ」だと言った相手は、どうやら僕の真後ろにいるらしかったのだ。

「どうも~」

 間の抜けた返事、こちらを興味なさげに見つめる瞳、――そして、漆黒の刀身を持つ日本刀。その鋭利な刃は僕の脳天を後ろから貫こうと天を向いていた。

 ひやりとした。この男はどう見ても人間であるのに、僕を殺そうとしている。

 しばしの沈黙が訪れた。先ほどまでのほがらかなものとは打って変わって、僕の背筋を凍らせ、冷や汗をかかせるような、冷たい静けさだった。

「やめてぇぇぇえええええ! やめてやめてやめて! オウカの友達いじめないで!」

 完全に回復しているオウカは、元気いっぱいに叫び、男の胴元目がけて飛び込んだ。小さい身体を簡単にいなし、男はオウカの脇腹辺りに両手をすかさず滑り込ませ、勢いを殺しながら手を離した。

 僕と男の距離がさっきよりも一メートルほど空いたことで、僕も胸を撫でおろす。オウカの勇気ある行動、と評するのは失礼だが、僕は感謝した。

「おっと?」

 男が低く唸りながら、オウカのほうを睨みつけた。邪魔が入ったことに怒っている様子である。それを真正面から受けたオウカは、少しだけ怯んだらしい。

「えう、このお兄さん怖すぎ……! だ、だめったらダメです!」

 怯んでもなお、彼女は楽にいなされたことに少し腹が立っているようだった。そこは流石女神といったところか。

「……ほう。別に俺はいじめたりなんてしないよ~?」

「ヘラヘラしないでください! 戦闘中も貴方のヘラヘラ顔にいちいちムカつきました!」

 啖呵を切って喧嘩を売りつけにいきはじめ、僕は思わず後ずさった。男もオウカも、煽ることにおいては同じ土俵に立てているような気がする。男のほうはその飄々とした態度で容赦がないし、オウカは純粋な怖いもの知らず、素直な心の持ち主なのだ。良くない化学反応が起きそうな組み合わせだ。

「そ。……イチカ」

 しかし、思いの外この土俵から降りたのは男のほうだった。僕も人を見る目をもっと鍛えなければいけないのだなと感じた。

 イチカという名が出てすぐに、男で隠れていた辺りからあの珊瑚色の髪を持つスレンダーな女性が現れた。ついさっきまで尻もちをついてぐったりしていた風には見えない。右足を引きずっているが、見た目よりも元気そうだった。

「はい、なんでしょう!」

「この青年を頼む。先に、女神オウカ。貴女様が奪い去った人々の自由、返してはいただけませんか?」

 男の呼びかけで女は僕の背後にまわり、こちらを牽制した。怪我をした細身で、十メートルは離れていたであろう僕の近くに飛んでくるのは、人間沙汰ではない。

 身体が強張るのを感じても、僕は一歩も引けない。目の前で男と対峙するオウカが気になって仕方がないのだ。一目散に逃げたい気持ちを押し殺して、僕は真後ろからのプレッシャーに耐える。

「……こんなこと言うの、道徳心がないと怒られてしまいそうですけど、条件を一つ、聞いて下さる?」

 子どもらしい顔立ちであるのに、その内面はしっかりと芯を持っていた。女神オウカの本来の人格は、きっとこうであったのだ。

「可能なことであれば、なんなりと」

 目に見えてへりくだる男は、少なからずオウカへの尊敬の念を忘れてはいないようだった。女神であることを尊重し、彼女を刺激しないように振る舞おうとしている。

 神聖な場が、演出され、僕らはただ女神オウカの言葉を待った。人と神の線引きを明確にすることで初めて生まれる聖なる時間と言える。

「その子を、殺さないでください。何があっても」

 ふわりと柔らかい風が吹いた。それはオウカのほうから流れた。

 その子は、きっと僕のことだ。彼女の視線がわずかにこちらへ飛んできたのを感じたからである。

「へえ、分かりました。では、約束通り」

 男は物分かりが異常にいいようだ。へらへらとした数分前の態度はない。大人の余裕、分別だとでもいうのか。

 そんな男の様子を見て、オウカは笑むこともなく、ただ目を閉じた。それから、彼女は両手で口元を抑え、投げキッスをするように手を開いた。ふぅっと息を吹き、そこから泡に包まれた色とりどりの桜の花びらがいくつも飛び出した。ネオンピンクやイエロー、コーラルブルー、パープルなど様々な色がついた花びら一枚一枚が、シャボン玉の中に入っている。そんな光景は初めてで、僕はついほうっと息を吐いた。

「――よしなに」

 散った桜が泡とともに舞い上がり、少女の口から全て吐き出されると、それらは一斉にどこか遠くへ散り散りになった。まるで家があり、そこに帰宅するように。

 さらに、それから数秒経つと、辺りの景色が変化した。まず、境内にあった無数の桜の木が風とともに単なる花びらの集合体へと崩れ、吹き去った。

「おぉ? ……おおっ! 所長代理から連絡です。神隠しにあわれた方々が本来の信仰形態を取り戻しているようです、一先ずここらの突発的な異変は順次収束していく見込みで!」

「ならいい」

 今回、僕の目の前で神隠しにあった僕の友人である三石夕湖は、無事だったのだろうか。二人の会話を盗み聞きしながら、その場にへたりこむオウカの方へと歩いた。彼女は僕のことなんて見えていないらしい。ずっと空を眺めていた。青い、偽物の空だ。

 あの飛び去った桜の花弁は、オウカが神隠しをして奪い取った〝誰かの信仰心〟なんだろう。それは、オウカが目に見えて弱っているのもあるし、単に盗み聞いた話に根拠がある。

 ヒイロがきっかけとなったであろう今回の騒動で、オウカは公的に見るなら犯罪を犯した神である。そういった神々の処遇を僕は詳しく知らないけれど、きっと何か良くないことが起きそうだ。神々が構築する位のピラミッド。冠位なんてもので、上の者が下の者を押さえつける。人も神も変わらない。オウカという小さな神様が、どんな罰を受けるのか。でも、罰を受けないなんてことはきっと、ない。

「女神オウカの処分はどうなさるのでしょう? もちろん、殺す?」

 女性から聞こえてきた言葉に僕もオウカもぴくりと肩を揺らし反応してしまう。ストレートで分かりやすい処分方法、それが死だ。もしオウカがこの二人に殺されるとしても、僕は止めることができない。非力だから、そんなのは無理だ。

 最悪の事態を想定して身構える。しかし、次に続いた男の言葉はそれに反していた。

「不殺のまま本部に戻る。もちろん、そこで呆然としてる青年も」

「分かりました!」

 不殺のまま。とりあえず、殺される心配はないらしい。わかりやすく安心した僕は、オウカと似た姿で空を見上げて脱力し、尻もちをついた。張っていた緊張の糸が解れたのだ。

「じゃ、お開きということで――ラウムちゃん、閉めちゃって」

血で濡れた刀を引き抜き、ラウムと呼びかけ、刀を血も拭わないで鞘に納めていく。納刀するたった五秒の間に、辺りの血液が漆黒の刀へ集まり、溶けて消えた。浮遊する血液は染みを残さず凝集し、ここら一帯は元の色を戻していた。僕の出血していた左手の血や傷も、どうやら吸い取られたようだ。痛みは鈍く残るが、全然いい。

 空が光を失っていく。辺りの景色も、それに追随するかのように吸い込まれていった。それらは血液と同じように、男の刀へ集まっていく。

僕らを残して暗転したかと思えば、ぱっと夕日のオレンジが頬を焼いた。三石と別れた場所と同じ、公神館の玄関付近に戻ったのだ。

気づかなかったけれど、現実世界の空気は思った以上に澄んでいた。作られた空気や風とは違う。尻もちをついて座った状態でいる僕と、へたりこんだオウカは、同じように本物の青い空を眺めていた。お互い疲れ切っていたし、何よりありふれた自然が眩しく感じた。

 惚けて空を眺める僕とオウカに、現実を突きつけたのはやはりこの男だった。こちらに振り返り、にこりと笑って手招いた。

「で、オウカ様と男子高校生君に悪神様、事情聴取の時間だ。ついてきてもらおうか」


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