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I.E. pray for all  作者: 星野明滅
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      17:29

17:29


「!? 子供?」

 聞き覚えのない男性の声がしたと思えば、自然の光の中に投げ出された。空を見上げる形で放られたせいか、真ん丸の太陽がオレンジ色に滲んでいた。時間帯は陽が落ちる一時間前くらい、17時くらいだろう。少女の体内にいた時間は思いの外長くはなかったのだ。

 なんて悠長なことを考えてしまったのは、たぶん疲れているからだ。あわよくばこのまま眠りたい。……などとそう事は簡単に済まない。僕は数秒の内に石畳の敷かれた地面へ叩きつけられた。

「いで! うっ、ごほっけほっ……」

 僕は背中から落ち、砂埃が立ちこめた。二メートル先には少女が満身創痍な姿でこちらのほうを睨んでいる。僕ではなく、僕の右に立っていた男性に視線が注がれていた。少女が言っていた「強い男の人」は、たぶんこの人のことを言うんだろう。そして、彼の後方には、これまた満身創痍で尻もちをついている「弱い女の人」がいた。

「イチカ、どういうことか後で説明しろ……」

 第一印象は、見目のいい飄々とした男、といった感じだろうか。一重で涙袋の厚い目に、真っ直ぐに引かれた眉毛、分厚い唇は世の女性が黄色い声をあげることは間違いない。

 三十代くらいで、髭を顎に薄くたくわえ、濡鴉色の前髪の隙間から切れ長の鈍色の瞳を持つ色男だ。短い脇差と何も収められていない本差の鞘を携えている。面倒臭そうに後ろで腰が抜けているピンク髪の女の人に投げかけた。

「は、はい! 先輩すみません!!!!」 

 彼女の口ぶりからすると、二人は先輩と後輩の関係らしいが学生同士には見えなかった。いつどのタイミングで「先輩」が、参戦したのかは定かではない。しかし、長いこと「後輩」が少女と戦っていたことが、服の汚れ具合や息遣いで分かった。

「とりあえず、続きを」

 男は逆手に持っていた黒い刀を、順手に持ち替えた。見ているだけでは、きっと少女を死に至らしめ、ヒイロと交わした約束が果たせなくなってしまう。

 僕が思わずその場で立ち上がろうとした。けれどうまく力が入らなくてすぐには行動できなかった。その時、苦しみながらも精一杯叫ぶ少女の声がした。左腕が完全に形を成さず、右目は潰れている、戦う少女の姿だった。

「その子は! わたしの我儘で巻き込んだだけ、だから! 関係ないんです!」

「それはそうでしょう、あとでこの子たちは保護するさ、あなた様に言われなくてもね」

 はじめて会った時と、今の少女は違っていた。表情も言動も、何もかもが異なり、彼女の体内で会話したあの女神様と同じなんだと再確認できた。

 僕はようやく勇気を振り絞った。殺気や威圧を出す、自分よりも上背のある人に反論する勇気は、並大抵ではないのだ。

「ちょっと待って、くださいっ!」

 声が震えたかもしれない。足もだ。それでも、僕はしっかり二本の足で立って、その人の目の前に立ち塞がった。

「んん~、こうやって止められるのは好きじゃないなぁ……で、なんだい?」

 男は、心底どうでもいいように僕を鼻で笑った。その態度にカチンときたが、焦りは禁物だ。僕は気を取り直して、与えられたチャンスを棒に振らないように、目を見て話した。

「あの女神様と、少しお話がしたいんです! もし、僕がそれでどうにもできなかったら、」

「うん、了解。さっさと終わらせて。今昔の別れはつらいからね、どうぞごゆっくり~」

 なにをどう解釈したのかは知らないが、簡単にひいてくれたようで助かった。僕の話など半ば聞き流しているであろうことは重々承知だ。僕に何一つ期待も不安も寄せていない。興味すらも抱かれていないのである。

 そのほうがむしろ好都合。僕は僕のやるべきことをさせてくれればいい。

 そうと決まれば、瀕死の少女の元に走った。彼女はその場にへたりこみ、項垂れている。足で全身を支えることが難しいのだ。彼女の傍らにしゃがみ、無礼のないように右の肩をとんとんと叩いた。

「……あ、ろくろさ、ん」

 肩に触れて十秒ほど経ち、やっとのことで少女は顔を上げた。その瞳は虚ろで、生気がなかった。

 少女は今にも死んでしまいそうだった。怪我だけでなく、少女という存在そのものが崩壊しかけているらしい。僕は一つ軽い会釈をして、少女の右手をとった。

「女神様、ご無礼を。『神話』をお借りしたいのですが」

「な、なにをするつもり……?」

 少女が怯えて取り乱さないように、努めて優しい声音で言った。それは童話を読み聞かせてやる感覚と似ていた。

「あなたの物語に、ヒイロが一言添えたいらしいので。いいですか?」

「……ひぃくん、が」

 黒い瞳が分かりやすく動揺した。先ほど別れたばかりなのだ、またその名前を聞くとは思っていなかったのだろう。

 三回、視線を彷徨わせた。少女は考え事をするときに、視線を遠くにやる癖がある。

 さて、僕の作戦はこうだ。少女から『神話』を受け取り、そこにヒイロから受け取った桜色の万年筆で、あの歌を書き、少女に贈る。この方法を取らざるを得ない理由は単純明快だ。僕が口頭で歌を詠んだところで、少女には何も刺さらない。ならば、女神の存在証明である『神話』そのものに刻んでしまえばいい。

 成功するか、失敗するか。結末がどうなるかは、やってみないとわからない。

 ただぼんやりと確信しているのは、現時点でザガンに何も言われていないのだから、恐らくは大丈夫だ。あいつは案外過干渉なのである。

「……女神様」

「うん。仕方ないですね……壊さないで」

「もちろん」

 か細い声でも笑っていた。力がうまく入らないだろうに、僕の願いを聞き届けてくれた。僕を、信じてくれたのだ。神は基本、僕ら人間を信用しない。特別な繋がりがない限り、壁を設ける。人間同士でも同じだけれど、それは彼らもそうなのだ。

 僕の右手に力なく置かれていた彼女の右手が、ふらふらと彼女自身の胸元に寄せられる。丁度、あの時僕に見せた丸い丸い穴と同じ場所だった。細い胸板に右手が沈みこんでいく。沼に落ちるようにずるずると入り、前腕の中ほどで動きを止めた。そこからぐっと力をこめ、右手が取り出された。

 そうして、『神話』は日の目を浴びた。ザガンがヒイロを打ち抜いた時に出てきた箱と色も形も同一だ。水色のそれは、相変わらず和紙で装飾された正方形の美しいものだった。

「どうぞ」

 蒼白な細い手が、僕のほうへ伸びた。僕は箱を丁重に受け取って、あの時と同じ動作で開ける。蓋部分を取ると、中には二枚の貝殻があった。それを取り出し、表裏を確認する。

 僕がこれを見た時、一枚しか貝殻はなかったはずだ。もう一枚増えていることに一瞬驚くも、僕はその片方に絵が描かれているのに気づいた。しかし、もう片方には何も描かれてはいない。

 絵が描かれているほうには、黒い髪の女性が一人、桜の花を見ている後ろ姿があり、達筆な文字であの歌の下の句が記されていた。

 寂しげな女性の後ろ姿は、誰かを待ちわびているようだった。遠くを眺めていて、まるで待ち人がいつまでたっても来なくて焦れている様子でいる。

 少女が待ち侘びている誰か。それは誰がどう推論してもヒイロだ。他の誰でもない、ヒイロなのである。

 僕の手が勝手に震え、貝殻を危うく落としてしまいそうになる。神という未知の存在に触れ過ぎたせいとも言える。だが、ここで負けるわけにはいかない。ぐっと貝殻をもつ右手に力を入れなおし、左手で胸ポケットにしまった万年筆を取り出した。

 ペンは剣より強し。この局面を打開できるのは、最早これしかない。


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