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I.E. pray for all  作者: 星野明滅
14/22

      ??? 8

「だから神隠しを?」

「はい、この方法がいいよって、聞いたもので」

 誰かの入れ知恵にしては危険すぎる。いずれ消えてしまうにしても悪手だ。良くない選択肢だということは、理解しているのだろう。

「誰に?」

「それは、っ! うぅ、痛い……」

 少女が口ごもる前に、痛みに喘ぎだした。途端に首元を抑え、頭と床を近づけ蹲る。話しを意図的に逸らしたわけではなく、まるで何者かが少女に口止めとして痛みを植え付けているように見えた。

「はぁ、んん、痛い、痛い……あぁああ! 痛い痛い、痛い……!」

次第に穴は大きくなっていく。大きくなればなるほど、少女の呻き声は悲痛さを増していた。

「痛い、いた……逞帙>、驕輔≧!」

またしても声がぶれる。少女は痛みのあまり首元を抑えたが、すぐに呼吸を整えだした。手慣れているのだろう。その所作はいっそ機械的だった。

「その、ね、変な人が、わたしに、つぅ、あけたの……! これが出てくるたびにわたしはっ、自分の名前も、ひぃくんのことも、自我だって! あと少しでまたわたしがわたしじゃなくなる! 人を捕まえて悪いことしちゃう! そんなのいや、やりたくない、のに」

 黒く大きな瞳に、うるうると涙が溜まり、何個も頬を流れていく。悲痛な声で今を嘆いた。

 少女の苦しみは人為的なものらしい。少女の頭がおかしくなったのは、目の前の穴のせいだとしたら。

蝕む穴は、長さ十五センチらへんで成長を止めている。どうやらそれが最大の大きさなのか、それ以上成長する兆しは見せない。僕はつい、その穴に触れてみたくなって手を伸ばした。しかし、少女の小さく細い手に遮られる。

「手が溶けちゃうから。……あのね、ぽっかり空いた穴があるの……それが広くなって、わたし、……つらいの。治し方も、わからないっ! わたしは、わたしは、……ひぃくんを守ってあげるしかない、お洋服やあそぶものを与えるしか……」

 涙は止まっていたが、少女は未だ泣いているように見えた。柔らかい冬の日差しも、彼女には弱すぎた。白い肌が薄い青に見えたのだ。

 この穴をどうにかして消してやらないといけないことはなんとなく頭ではわかっている。危険でも、少女を救うなら避けては通れない。

「女神様、いくつか質問をしても?」

「こほん……どうぞ」

 小さく咳きこんだ後、少女はこくりと頷いた。痛みもずいぶん和らいだのか、薄く笑ってくれた。左頬が引きつっていて、口角も十分に上がりきっていない。これが最大限の笑みなのだ。

 無理に笑う姿を見て、僕には一つ引っかかっていることがあったのを思い出した。それは、少女の笑みについてである。

折角与えられた質問の時間を無下にできない。できる限り優しい言葉を選んで、投げかけてみた。

「僕はここでヒイロとあなたの記憶を見ました。いつもあなたは笑っていたし、ヒイロもだ。そんな中、おかしなことが立て続けに起こった。あれは、その穴のせいなんですか?」

 ザガンが言っていたことをなぞる。女神を女神たらしめている『神話』は、彼女自身の記憶を元に構成されている。夏も秋も冬も、『神話』が正常なふるまいをしている時の二人は笑顔が絶えなかった。しかし、それがだんだんと損なわれていったのは、気味の悪い変形した神核と幾多のバグたちのせいだった。もし、悲しい不具合が彼女の胸にぽっかりと空いた空洞が原因だとしたら、それを埋めてあげる他ない。

「わ、わかり、わからないです」

 唇がわなわなと震えていて、少し痛々しくもあった。少女は瞳を悲し気に揺らしながら、必死に頭を横に振った。

 僕は、彼女の様子を見て、また新たな疑問が生まれたのに気がついた。気になったことをそのまま口に出して聞いてしまう。彼女の逆鱗に触れて自分の命が危うくなるかもしれないイメージはなぜだか浮かばなかった。

「あなたは、ここで起こっている異変、僕らはバグと呼んでましたが……それらを知っていて野放しにしているんじゃないんですか?」

「……それは」

「百人一首のうち、とある一首だけ、様子がおかしかった。あれも、知っていたのでは?」

「…………そんなこと、知らないです」

 目に見えて少女が不機嫌になった。僕が的外れなことを指摘しているからか、それとも図星だからか、今の時点では判断できない。

「君がため 惜しからざりし 命さへ ながくもがなと 思ひけるかな、これはご存知ですか?」

 並べられた取り札のうち、少女の目の前に置かれていた一枚を手に取り、彼女へ渡そうとした。けれども彼女はそれを受け取ることはなく、手を膝の上にのせてまたしても不機嫌そうに言った。

「ええ、はい、後朝の歌です」

「あの歌はここに来る前、ヒイロと百人一首をした時は普通に読めたんだ」

「だから?」

 言葉の節々に不機嫌さが増しているのがわかる。だが、僕も引くわけにはいかないのだ。

 僕が言いたいのはそう、少女が創りあげた世界における百人一首という玩具の性質についてだ。少女は先ほど、ヒイロには与えることしかできないと言っていた。その与えたものの中に、百人一首というカルタが含まれているのは当然だろう。

「ヒイロに与えたものは全て、あなたが与えたんでしょう?」

「そうですよ」

 僕は二種類のカルタに触れた。一つは、ヒイロが遊びたいと言って勝手に持ってきたものと、もう一つはこの『神話』内で箪笥から見つけ出した不可思議なもの。それら二つとも、少女のものであるとするなら、片方は全首漏れなく収録されているのに、もう片方は一首だけ文字化けの関係で読めないのはなんだか引っかかる。

違和感の正体はそれだった。恐らくこの女神はその文字化けを綺麗に消すことだってできるはずだ。どうしてもその文字化けを消去できないとしても、気味が悪いからと新しいものに差し替えてあげるくらいは簡単にしてしまいそうだ。なぜなら、端的にヒイロが怖がってしまうからだ。

 そこまで考えて、僕はある一つの推理に辿り着いた。まったくと言っていいほど、論理的な説明とは言い切れないかもしれないけれど、案外単純明快だ。

 ――少女は、わざと文字化けした上の句を放置していたのだ。この前提をもとに話を展開していくと、少女はそれを放置した上で、何らかのアプローチをかけたかったことになる。

 そうと決まれば、話は自ずとヒイロに帰結される。たった数時間の繋がりしかない僕らよりも、ヒイロが関係するのは頷ける。

 何日、何週間、何か月、何年と、あの冬の日の日本家屋の一室、それも隅っこの箪笥に百人一首があったかは知らない。それでも、きっと、この話の流れが正しいなら、文字化けを放置し続けた理由も結局はヒイロにある。

「あなたは、ヒイロがこの歌の存在に気づくことを、願っていたんじゃないんですか?」

 僕は意を決して訊ねた。ああ、どうしてだろう。僕はまるで少女を尋問しているような気持になった。

「……はい?」

 面食らった顔をした少女は、ぽかんと口を開けて僕を眺めていた。その声は呆気にとられた風だったが、少しの動揺を孕んでいた。

「僕と百人一首をしたヒイロと、さっきまで一緒にいたヒイロは同一人物だった。つまり、彼は自由に『神話』を出入りできる。あなたとの記憶を彼に見せて、異変にいち早く気づいてもらいたかったのでは?」

「でも、ひぃくんは、」

「そう、ヒイロは何もしなかった。このおかしな世界でずっと生き続けることを選んでしまった。あなたが何も言わなかったからだ」

 まくしたてるように言った僕に、少女はいよいよ慌てた。僕が言いたいことはしっかり伝わっているみたいで、いくつか表情をころころ変えながら、目線を泳がせた。

 『神話』について、僕はザガンほどの知識を持っていない。完全に受け売りだけれど、女神様の身体の中では彼女が絶対的存在であることは疑いようがない。『神話』に呑みこまれて、女神と話していたヒイロが、僕らの知ってるヒイロとイコールだと考えるのは安直すぎた。それに答えを出したのは、他ならぬヒイロ本人だった。

 少女は、僕の言葉を何度も反芻しているらしかった。時々、小さく僕が言った言葉を繰り返していく間に、彼女の身体は小刻みに震えが増していき、その顔が悲しみやら寂しさに覆われた。

「……言えるわけ、ないじゃないですかっ……こんなわたしと、いっしょにいてほしいなんて」

 言葉を重ねていくだけで、自然と透明な涙が落ちていった。そんなことを気にも留めない彼女の姿に、心が痛む。

「わたしは神様です。弱い神は淘汰される、そんな世界に生きています。ひぃくんとできる限り長く共に在りたい。……でもね、わたしは汚い手を使わないと生きられない」

 言葉の粒を拾い集めて、パッチワークのように話している。それは彼女自身が、今話している言葉をうまく自分のものにできていない証拠だった。

 黒い髪が冬の風に揺れた。本当の暦では初夏のはずなのに、ここでは季節は冬なのである。冷えた空気に、優しい日差し、あとは少女の涙の音がしただけだ。

「わたしの身体は、崩壊しつつある。外で、弱い女の人と強い男の人が二人組でわたしをいじめてる……ほら、時々地面が崩れたり、地鳴りが起こったりするでしょう? 外のわたしが頑張ってる証」

 すっと細い指で指したのは、雪が降り積もる地面。その瞬間、地面がぐらぐらと動いた。地震だ。さらに、空も鳴っていた。

 地面が崩れたのは、ついさっき体験したばかりだ。あの時、目の前の少女が間接的にだが助けてくれたのだった。僕を最初に助けてくれたピンク髪の女性と戦ってできた傷みたいなものなんだろう。

「あと少しで、その人たちにとどめを刺されそうだから、お兄さんには教えてあげます」

 僕はただただ黙っていることしかしなかった。ここで声を上げるのは、神とか人とか関係なく、目の前の少女に対して失礼だと感じたからだ。

 少女はずっと悲しい表情だった。彼女はこう見えて、僕の友人である三石を神隠しした神なのだ。同情の余地は本来あってはいけないし、憎んだっていいだろう。それでも、死にゆく彼女に寄り添えないほど、人間から外れてもいない。

 おもむろに小さな口が開かれた。一息吐いて、すぅっと吸った。

「百人一首で一番好きな歌を、大好きなひぃくんからプレゼントされたら、わたし、たぶん嬉しくて死んじゃうんだろうなあ……死ぬなら、ひぃくんにときめいて死にたい」

 ヒイロがこの言葉を聞いたら、どれだけ喜ぶのだろう。考えただけでも、微笑ましい光景が浮かぶ。

「それだけ。エゴなんです。汚い手を使ってでも生きていたいのに、死ぬなら彼への好きを爆発させて死にたいんです、わたしに残った最後の、理性なんです」

 いっそ理性的な少女は涙を堪えながら言う。神隠しを汚い手だとはっきり言い切る辺り、少女には知性も理性もあるのだ。

 それもそうだ、彼女は人間ではなく女神。ただの少女ではない。

 僕はその敬意を忘れず、崩していた足を再度正座に組みなおした。自然に並べられていた百人一首はそのままに、僕は彼女に向き直る。

「女神様、そのぽっかり空いた穴、埋めに行きませんか?」

「……へ?」

「あなたに足りないのは、言葉だから」

 僕の言葉を訝しみ、口をぽっかりと開け、眉をひそめた少女。僕の言ったことに引っかかったのだろう。

 再び崩壊する、襖。そしてその奥から、神核が現れる。この光景は見慣れたもので、僕はそれを眺める。

「言葉、ふふ……あっははは! バカらしい、ですね。でも、――嬉しかった、鍛冶場ろくろさん、どうか達者で。次に会ったら、わたしを見捨てて。ここから出してあげます!」

 涙はとうに乾いていた。彼女はその場にすっと立ち上がり、何かを企んでいるかのように口角を上げる。黒い髪が激しく風にたなびくと、少女は僕を無視して、走り出す。

 彼女が向かう先にあるのは、彼女自身の神核だった。肉の塊が相変わらず気持ち悪く動いている。

 女神が無数の手に攫われていく。神核が崩壊するのと同時に世界が閉じられていった。景色がまたしても暗転する。僕はそれに身を任せて、目を閉じた。

 まるで幻のような時間だった。体感で言えば二分にも満たない、だがとても濃い時間だった。

 目が覚めた時、僕はひときわ明るい場所にいた。春前の少し冷たい風が、髪や頬を撫でた。そこで僕はふと、納得がいった。少女もヒイロも、春を超えたことがないのだ。二度目の夏はこなかった。

「ろくろ、起きた!? あの子が、あの子が!」

 痛む頭をおさえて、上半身を起こした。僕の傍らにはヒイロが泣き腫らした顔で座っていた。少女に見せてもらった映像とは違い、ここは明るくて風通しが良かった。よく見ると、僕らがいた病院の屋上に戻されていただけだった。

 ザガンは目に見える範囲にはいなかった。代わりに、また普段の日常通りに目の印になって隠れているようだった。左手の甲にその印があるのが見えるのだ。

 空を見上げる。円形の肉の太陽が、空に煌々と浮かんで光っているのが目に入った。あれは少女がつい数分前に飛びこんだ神核と同じものだ。無数の手が伸び、僕らを気味悪く照らす。

≪じゃあ、またね……ひぃくん≫

 大きな声が響き渡り、それが少女のもので、肉塊から発せられていることが分かった。同時に、空も地面も割れるように揺れる。外も、佳境を迎えているというわけだ。

「まってくれよ! どういうこと!?」

≪あなたたちを外の世界に帰してあげる。大丈夫、元の家に戻れるよ≫

少女は完全に崩壊した神核と融合したみたいだった。それを物悲しく思うのは、目の前で誰よりも悲嘆に暮れる少年の姿がはっきりと見えるからだ。

「戻りたくない! 自分勝手だ! おれはそんなこと望んでない!」

≪そう決めたの。……ほら、ひぃくん。ろくろさんたちと別れの挨拶、してよ≫

声だけだから少女がどんな姿をしているかはもちろん想像するしかない。それでも、あの冬の日、僕は彼女に同情するだけの時間が十分すぎるほどあった。だから、彼女が透明な涙を流していることは想像に難くない。

「……ろくろ」

 ヒイロもそれを感じ取っているようだった。僕は意地の悪い質問を一つ投げかけた。

「……こんな終わり方でいいのか? ヒイロは」

僕の質問を聞いても、ヒイロは狼狽えることはなかった。その灰色の瞳は真っ直ぐ僕の目を見つめていた。

「よくないと思う。だから、耳貸して?」

 芯の通った声だった。僕は膝を少し曲げて、ヒイロに耳を貸した。

「――外に出たら、これであの歌を贈って。おれは逃げないから」

 ヒイロは僕にだけ聞こえるように囁いた。彼にも彼なりの考えがあるのだ。

 手渡されたのは、桜色の万年筆。ヒイロと少女の思い出の品である。

 僕はそれをぎゅっと握る。頭上にはここ数時間で見たどんな光よりも眩い明かりが降っていた。

≪元気で。ひぃくん≫

 その言葉で、僕は現実に引き戻される感覚が訪れた。浮遊感がくる。少女の姿はどこにもなかった。あるのは、一人もいない病院と、肉が剥がれ落ち始めた神核だけだった。

「君がため 惜しからざりし 命さへ ながくもがなと 思ひけるかな……」

 僕はその光に包まれながら、決意を固めた。ヒイロの言葉をなぞるように、独り言ちた。

 一つ、ヒイロの依頼を受けてやろう。僕にはその義務がある。この歌を女神様に届けるために、僕は一旦意識を手放した。


やっと神様の体内から出られるよ、やったねたえちゃん。

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