表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

通勤快速

作者: 田貫有為

 私が担当していた案件を、一方的に断ってきたクライアントのことを思い出すと腹が立つ。強調するために、強めに言っただけのことを、私が怒鳴っているとクレームをつけてきた。あまりにも腹が立ったので、ひとりで居酒屋に行って飲んできたのに、気分はまだすっきりしない。早く忘れてしまいたい。平日の23時前の電車内はガラガラに空いている。気を紛らわせるために、好きな作家のミステリーを読もうとしているのに、内容が全然頭に入ってこない。

「えー、やばいって!」

「別に普通じゃん? アンタのほうがやばいって!」

 横のほうで女子大生くらいのグループが猿のような声で騒いでいるのが耳障りで顔を上げると、恥ずかしげもなく手をつないでいる不細工なカップルが目の前の席に座っていた。その女のほうが、あのクライアントに似ていて、私は顔を本に戻した。眉に皺が寄っていないといいんだけど。最近、皺が目に見えて増えているから。まあ、年齢的に仕方ないのかもしれないけど。

「マジでさ、門限厳しいの勘弁してほしい」

「わかるわー。日付が変わる前に帰ってこいとか今時ありえんくない?」

 これだから、甘ったれた若者は嫌いなのよ。自分が甘やかされて育っていることも気づかずに、文句ばかり。あのクライアントや、2階の部屋に引きこもっている息子と同じだわ。私や自分の母親のことを、うるさいババアだとでも思っているんでしょう。誰のおかげで生活できているのかも考えずに。頭が痛くなってくる。アナウンスが最寄り駅だと繰り返すので、私はしおりを挟んでから文庫本を閉じた。鞄にしまって電車を降りると、夏の夜の風が私の頬を撫でる。今夜はそれすら不快だった。ホームには私ひとりきりだった。ポケットの中で携帯電話が震えた気がしたので立ち止まる。取り出して開いたのに、着信も新着メールもない。私は首を傾げて、ポケットに戻した。顔を上げると、遠くに白いワンピースの若い女が立っているのがぼんやりと見えた。時計に目をやると、0時を少し過ぎている。こんな時間から出かけるなんて、親の教育はどうなっているのか。私の娘なら絶対に家から出さない。そう思って、また歩き出そうとすると、至近距離に白いワンピースの女が立っている。

「ひっ」

 それは、瞬間移動でもしない限りここまでは来られないはずの距離だった。

「ネエ」

 男と女と子供と老人が同じ声帯で喋っているような汚い声を、それが出す。

「ネエッテバ」

 青黒いあざと真新しい切り傷だらけの、体と同じだけある長い腕が伸びてくる。思わず私は後ずさりした。

「ニゲナイデヨオ」

 横を向くと自殺防止の鏡がある。そこに映っていたのは、顔中に真っ赤なお札が貼られた私だった。それが映っていないことよりも、自分の姿が恐ろしい。

「こ、来ないで」

 慌てて逃げようとした私は、点字ブロックにヒールが引っかかってバランスを崩す。瞬間、ホームから落ちる。

「大変危険ですので、黄色い点字ブロックより内側にお下がりください」

 地響きのような電車の音がして、目が眩んだ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ