No,0 「Commencement」
大きな街から少し離れた森の中に長く平らな道があった。そこには軍服を纏う人々がおり、彼らの視線の先には黒い巨大な鳥。否、黒鉄の塊が鎮座している。それはこの世界には似つかわしくない空飛ぶ殺戮兵器。それを創り出したのは別世界の戦争。焼き、爆破し、数多の人々を殺した血の染みた鋼鉄の塊。
それに乗り込む一人の女。
「行ってくるね」
「団長には迷惑かけんなよ」
「分かってるって」
コックピットの中に入り込み、エンジンを点火させる。
轟音が鳴り響き、辺りの木々から鳥達が一斉に飛び上がる。
「行くよ、フォラス」
「準備完了! いつでもOK!」
「無事に帰って来い。幸運を祈る」
その言葉を境に黒い鳥は加速し、大空へと飛び上がる。
昼休憩の時間を知らせるチャイムがとある町の高校の中で響く。その瞬間、男女問わず、まるで飢えた獣のような動きある方向へと向かう。彼らを止める理性は存在しない。だからこそ、本能のまま動き続けている。全ては空腹を幸福へと変える宝を手にするため。
そうそれは!
購買に存在せし、数量限定の魔性の穀類、“最強の飢餓”である……!
狙うは大将首ただ一つ。学園という大地から購買への道を駆け上がる高校生達。だがしかし! その道で必ずと言っていいほど起こる最重要イベント。大名行列が待ち構える。
颯爽と購買前の大広間へと踊り出たのは、陸上部部長紫電の異名を持つ男、井伊 傑である! 腕を大きく振り、その右手には代金がしっかりと握られている。
「おばちゃん! やきそばパン三つ!」
「させるかァァァァァ!」
雄叫びをあげ、乱入するは薙刀部所属、期待の星、瑞乃 双葉!彼女と立ち会った者は全員、「複数人から殺気を感じた」と言うそうだ。
先輩後輩関係なく、今は日の本一の大戦。誰よりも早く、大将首を買った方が勝利となる無情な戦い。果たして、その勝者は……!
「また負けたぁぁ!」
紫電であった……
「仕方ないよ双葉ちゃん。だって先輩おっきいじゃない」
瑞乃を宥めるこの娘、山狭 瑠美。所属は弓道部、怒らせてはならない一年生誉れ高き第一位の座につく者。
「それでも、そこに壁があるなら越えたくなるでしょ?」
「そうかな? でも、ちゃんと3つ手に入ってよかったってことにしない?」
「次は絶対に勝つ!」
瑞乃は戦利品を片手に、屋上へと向かった。彼女にとって、日当たりの良いあの場所は定位置である。屋上の扉は壊れていて、教師も直そうとしないため、常に開き続けている。その扉を開ければ、そこには誰もいない屋上がある……はずだった。
コルクを咥えた老爺が一人、柱に腕をつきながら黄昏ていた。
(誰!? 不法侵入? 薙刀は……! 部室か!)
「ちょいと待てぃ、娘よ」
「誰よ! アンタ」
そこはかとなく漂う胡散臭さ。神や仏かと聞かれれば、十人に十人が不審者と答えるであろうほどの。
「まあそうカッカするで無い。胸が萎むぞ? っと萎むところなど無いような貧相な娘だったな、すまんすまん」
「突き落とすぞ!」
会って直ぐに悪口を言う無礼なクソジジ、失礼、老爺は瑞乃へと近づき……
そっと尻を触った。
「ぶっ殺すぞ!」
「待て待て待て待て! とても、とっても魅力的だったからの、つい」
「ついじゃねぇ! このセクハラジジイ!」
瑞乃は般若のような顔になり、殴り掛かるが……その拳は老爺をすり抜けた。
「嘘っ!?」
「だからそうカッカするなと言っておるだろう」
目の前の老爺に瑞乃は一層困惑する。何しろ、殴った筈の腹部はグニャリと空間が曲がって見えるからだ。
「面白いじゃろう? 現界するときの為に作った特別仕様の体なんじゃ。まあ普通はここまで干渉することは出来ない筈じゃがな……それについては聞くまでも無いがのう」
老爺は瑞乃の額に指を伸ばし、軽く小突いた。
「何すんのよ!」
『いつか目をつけられるとは思ってはいたが、ふむ……やはりダメか』
突然、背後から懐かしい声が聞こえた瑞乃は恐る恐る後ろを振り返る。
「お爺ちゃん? どうして……」
『元気か双葉? すまねぇな、入学、祝ってやれなくて』
「何で? ここに……?」
双葉には両親がいた。小さい頃から、母も父も仕事で家には居らず、まあまあ近所に住んでいた祖父母の家によく遊びに行っていた。祖父母は瑞乃を快く受け入れてくれて、彼女にとっては両親のような者だった。だが、小学校の卒業式の翌日、彼女を祝った祖母は、急な心臓発作でこの世を去った。その日からか、祖父は彼女を一層大事にした。
そんなある日、また家族がこの世を去った。父が、通帳とカードとかを置いて、行方不明になった挙句、水死体となって発見された。祖父は、自分の息子をもっと気にかけてやればと後悔し、母は、気が動転し、自分の荷物と父が大事にしていた短刀を持って通帳がある場所に書き置きを残して去っていった。それには、「通帳のお金は幾らでも使っていいから、頑張って生きてください。あなたを巻き込みたく無いの。どうか、必ず生きてください。そして、本当にダメな母親でごめんなさい」と書かれていた。
瑞乃はまだ中学生だ。そんなことを言われたって、わかる筈がなかった。急に一人で暮らさねばならないなんて、できる筈がなかった。
けれど彼女には祖父がいた。だから耐えられた。けれどそれも、長くは続かなかった。高校受験を受け、合格を待っていたそのときに、祖父もこの世を去った。死ぬ間際に貰ったペンダントの裏には、「お前を守る」と乱暴で少し暖かい祖父の文字が彫られていた。
だがその祖父が目の前にいる。言葉に出来ない思いがこみ上げる。
『構ってやりたいんだが、そうともいかねぇ。おい、そこで空気になってる神父様よぉ! この子に何を望む! 何もかも無くして、どうしよもねぇ俺の孫を! 返答によっては、こっちもそれ相応の対応をするぜ』
「いやはや、私も少々焦っていましてね。今すぐにでも、彼女をお連れしたいのですが、そうともいかないでしょう?」
突然老爺の口調が変わるが、瑞乃はそれを気にする余裕などなかった。祖父と再会したことで情報量がキャパオーバーしている瑞乃には、彼らの言葉は理解できなかった。
『やはり、呪いか……! 本当にお前達は気に食わん! 何故だ! あの世界にまだスペアはあった筈』
「130機の内、残っているのは僅か6機です」
『っ……!?』
「だからこそ! 原初となるその娘が必要なのです! 貴方の子とその妻は知っていた。自分に流れる血の呪いのことを! そして、向こう側も気づいてしまった! 私達が治す力を手に入れる前に、消しに来た! 貴方の子も、その妻も! 奴らに殺された! 私達にはその娘、瑞乃双葉が必要なのです!」
「どういうこと!? 説明してよ! お父さんとお母さんが殺された? 血? 奴らって何? もう、訳がわからない!」
唐突に現れた老爺に両親の死因を軽々と告げられ、わからない話をされ、瑞乃はもう限界だった。
「すみませんが今はお答えできません。時間が無いもので」
『待てっ! お前!』
「詳しくは本体に聞いてください」
「えっ?」
いつの間にか、瑞乃は屋上の柵の外にいて……
「それでは、良い旅を」
老爺は、祖父に鳩尾を殴られ、霧散した。
『双葉のところへ、出来るだけすぐ向かう。だからそれまで頼むぜ……』
その日、薙刀部一年生、瑞乃双葉は、自殺した。