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「彼」と「少年」

「彼」の眼前の光景は、「絶望」を表すにはお誂え向きだった。


廃墟。


ひとひとりいない。何か大きな力でひしゃげられ打ち捨てられた、街「だったもの」。


生活は乾いた砂塵へ、繁栄は角の取れた瓦礫へ、幸福は細切れの紙片へ、それぞれ姿を変えていた。


しかし奇妙なことは、緑と水による侵略が一切ないことだ。

本来日本でモノを腐らせずにおくには企業単位による多大なる努力が不可欠だ。アスファルトを突き破る雑草に日夜苦心し、金属腐食は人命を脅かし、路上に投げ捨てられた食品には黴や虫がたかり、我々潔癖で繊細な地上の覇者を拒絶する。

それが遥か過去から変わらない現代日本の姿なのだ。


が、この廃墟には一切適用されていない。

まるで砂漠で風化を待っているようだった。錆びてさえいないのはどういうことだろうか。


崩れ落ち堆く積み重なったコンクリート。むき出しの鉄筋。半ばで折れ傍らのビルに凭れた電信柱。千切れほつれ地を這う電線。ひび割れ盛り上がったアスファルト。無慈悲に尖り散らばったガラスの破片。ひん曲がったガードレール。互いの結びつきを失ったレンガブロックの群。

それらはすべて――無機物、無機物、無機物の山。無機物だけでできた廃墟。


灰色だけで描かれているような光景。生気のない景色。息吹のない空間。

まるで輪廻から拒絶された世界。


荒涼。


噛めば砂の味だけがするだろう。

肌にぬらぬらまとわりつく橙の夕陽だけが、かろうじて色彩を添えてくれている。


一陣の風の過ぎ去った後は、不気味なほど無風。肌を這う淀んだ空気は、暑くも寒くもないのに肌を粟立たせる。

「彼」はズボンのポケットから携帯端末を取り出す。数タッチの操作の後画面に映し出されたのは、ここと同じ風景。腕を伸ばし画像と現実を重ね合わせ、何度も何度も見比べる。画面との違いは見受けられない。

「彼」は、そのことが不思議でたまらない様子だ。


再び数タッチの操作で画面を暗転させ視線を瓦礫へ投げ、一歩足を踏み出した。


さて……この物語の性質上、君たち読者諸君、もしくはこれを書いている私自身は、常に「彼」の後を追うこととなる。そうであれば「彼」とは「君」のことであり「私」のことだといっても差し支えなく、つまり本来「彼」は「彼」以外の名前を必要としない。


ただ、本作品の登場人物諸氏にとっては事情が違う。「君」であり「私」である「彼」もまた、謂わば各々の物語を彩る絵のひとつの色でしかなく、特に小説のような「おい」と呼んだだけでは誰が誰に物申したのか分からない表現形式では、どうしたって固有の「名前」がなければ差し障りがある。


だから「彼」とは「君」であり「私」であることを念頭に置きつつも、もしも登場人物が背後から「斎藤恵一」――又は単に「恵」――などと呼んだ場合にはどうか、「君」も「私」や「彼」と一緒に振り向いて欲しい。


そう、それが「今」である。


「こらー! 恵! きみはホントに、何やってんのさー!」

「彼」は振り返る。声自体は「彼」の遥か後方から発せられたごとく、前方の廃墟に反響しながら「彼」の耳へ届いた。にも関わらずその声の主であろう「少年」の姿は「彼」のすぐ背後、四五歩程度後ろにあった。


君は驚いてはならない。「彼」はそれが不思議だと思っていないのである。

「彼」と「少年」の背後には、枯れ草の草原が広がっている。奇妙なことに、その廃墟は草原に囲まれているのである。


「またここに居たんだね。ホントにもー! 皆心配してるってのにさー!」


すぐそばに居るというのにやけに声が大きい。見た目子供だが態度はそれ以上に幼い。背は低く、逆立て赤茶けた髪は見た目闊達そうで、更に人懐っこい笑みを向けられると、この「少年」の何もかもを許してしまいそうになる。


しかし「彼」はそう思わないのか、黙し落ち着き払った様子で「少年」を観察するように見つめた。ひとによっては不快に感じるであろうその視線と態度を、「少年」はいつものこととでもいうふうに受け流して、足を進め、やがては「彼」を追い越して廃墟を前にした。


しばし眺めるも、すぐに飽きたように振り返り、


「やっぱり、何も変わってないじゃないか。まったくなんだって、何度も何度もやってきては、写真撮って観察して……放っておくことができないの?」


と、純真そうな瞳を細め「彼」に向けた。

その瞬間少しだけ、「少年」から幼さが消え利発さが目立った。だがそれも束の間、すぐに人懐っこそうな笑みを浮かべると元の通りの純真無垢な少年へ戻る。


そうやってころころ変わる「少年」とは正反対に、「彼」の顔は少しも変わることなく、まるで産まれてからずっとこのままで生きてきたようだ。産声さえ発しなかったのではと思えるほどに。


その「彼」は、

「分かっているだろう?」


と、短く返しただけだった。問いかけの言葉であることは確かだが、態度から返答を期待している様子はない。

「少年」は苦笑する。


「そんなにも気になるかい。この場所がこのままで在り続けることが、そんなにも。不思議だけど、受け入れるっきゃないんじゃないかな。いつだって、理不尽はいくらでもまかり通る。それに……もしもこの世界を維持するための何かを探しているのなら――」


「いや」

と、「彼」は「少年」の言葉を遮って否定する。「別に、そんな大層な目的を持ってここに居るわけじゃないよ。ただ単に、気になるんだ。本当に。ここがこのままである意味が」


「彼」はじっと廃墟を観察する。「彼」の言葉の通り、その視線に希望の光はない。「彼」は言葉を続ける。


「この間、北海道から三日歩いてここまで来た人がいただろう。東京や名古屋はまだまだ広いままだけど、豊田から静岡まではごっそり抜け落ちて、小さな都市を継いでゆけば子供の足でも一日かからない。

海を歩いて韓国を目指して一時間で着いた人もいれば、試しにアメリカまで行ってみて、一日かからず辿り着いた人もいる。人の居なくなった地は、どんどん削られて無くなっていってしまっている。どこもそうだ。例外なく。

なのに……ここが、こうして在り続けている理由は? 原因は? どうしてここだけが? 気になっても仕方ないじゃないか」


と言って、足を踏み出し、「少年」を追い越し廃墟へ向かった。「少年」は眉をひそめる。


「え? ちょっと、え? なに?」


 驚いたというより、うんざりしているようだった。困惑する「少年」に対し、振り返りもせずに「彼」は、


「戻っていていいよ。洋子さんには「制止したけどきかなかった」と伝えておけば良い」


と言って、更に歩き進めた。


「あーもう……」


「少年」はため息交じりに呟いて、「彼」に並んで歩き始めた。「彼」は首を傾げ、


「どうしたの?」


と聞く。


「ぼくも行くよ。ウイルスが出ないとは限らないんだから、ひとりじゃ危険すぎる」


「いいのに」


「駄目だって! ちょっと言われたくらいで置いてったって知られたら、あの人に何言われるか分かったもんじゃないもの。おっかない」


「皆、洋子さんのこと怖がり過ぎだよ。ちょっと圧の強いだけで面倒見の良いお姉さんじゃないか」


「ちょっと圧の強いお姉さんを怖がらないのは君くらいのもんだよ」


「そう。悪いね」


と「彼」は言って歩き続けた。当然のように、その表情に悪びれた様子はない。


「少年」は苦笑して、

「少しも思ってないくせに」

 と言って、億劫げに、ただ少しだけ楽しげに、「彼」の横に付き従った。

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