序 ―或いは蛇足―
私は世界を捨てた。
私は世界に捨てられた。
私たちは、世界の「正しさ」に追い出された。
目を醒ますと草原の上に座っていた。一面青々とした白詰草で、点々と白い花が見える。
強い日差しだ。真夏の正午のように真上から降り注ぐ日差しは、麗らかな春を連想させる程穏やかで暖かかった。
私は、誰の趣味かわからない、長袖の白のワンピースを着ていた。少なくとも私のクローゼットには入っていないはずのシロモノだ。
暑いのか寒いのかよく分からない。快適とも言い難いのは、私の身体が、まるで、長い眠りについていたかのように、重く、不自由だからだろう。首ひとつ傾けるにも骨が折れる。
ぼうっと眺めているだけの脳へ、ようやく酸素が巡ったように、途切れていた思考が再開する。
そうだ。
私たちは、あの世界を捨てたのだった。あの世界を捨てて、オウジュウの作った世界へ行こうとしていたのだ。
確信を持てないが、多分、うまく行ったのだろう。私が存在している。それが何よりの証拠だ。本来ならばそれは、ありえないことなのだ。
私たちふたりの幸せは、あの世界ではあってはならないことだった。私たちふたりの描く物語は、悲劇でなければならなかった。
だから、私たちはあの世界を捨てねばならなかった。世界へ反抗し、幸せになるために。
そして私は辺りを見渡した。「彼」を探した。「彼」がいなければこの世界へ来た意味がない。
居ない。
「彼」が居ない。
何故?
私たちは、ふたり同時にあの世界を捨てたはずだ。ならば、ふたり同時にこの世界に存在しても良いはずだ。
待つ。さらさらと、暑くも寒くもない風が頬を撫でる。
待てども待てども、「彼」の気配は感じられない。数時間は待っていたはずだ。しかし太陽は頭上に固定されたように動かない。「無駄なことを」と嘲笑われているような気分だ。
何故だ。
何故、こんなにも上手く行かないのか。
ハッピーエンドで良いじゃないか。絵本のように甘い物語で結構じゃないか。
「王子様とお姫様はずっと幸せに暮らしました」。それで良いじゃないか。だって、今まで散々苦しい思いをし続けてきたんじゃないか。
いい加減、悩みのない世界で楽しく過ごしたっていいじゃないか。
「彼」が居ないのでは、それがかなわないじゃないか。
もう、試練なんて懲り懲りだ。
私は二度も、ふたつの世界に裏切られた。
ならば、絶望があるはずだ。膝を抱え泣き腫らしても良いはずだ。
しかし……
私は、立ち上がって前を向いていた。眼前に立ちはだかる絶望に対して私がしたことは、ひとつ溜息をついただけだった。
今、やることはひとつ。「彼」を探し出すこと。
びゅうと、風が髪を乱した。どこからともなく薄紅の花びらが舞った。
桜だ。
周りに桜の木など立っていないのに。それに桜の花と白詰草など不釣り合いだ。
多分、この世界はそんなことなど気に留めていない。気に留める余裕も無いのかも知れない。
実際この世界が壊れかけていることは知っていた。幾度となくこの世界は批難され、攻撃の的となった。「攻撃手段が見つかった」とも報道されていた。知っていたからこそ、行動を急いた。
結果、「彼」と離れ離れになったのかもしれない。
が、今考えても仕方のないこと。この結果を受け止めて、諦める。
諦めるとは、前へ進むということだ。
桜を見ると、あの光景を思い出す。思い出す、と言うほど前のことではない。ついさっきの出来事だ。私たちがこの世界へやってくる直前の出来事だ。
私たちは、あの世界で最期、然程綺麗でもないコンクリートの川縁で、ふたり、桜の花びらの散る中に居た。
あまりに美しかった。風そのものが、桜色に染まっているようだった。
あたかも、あの光景を私たちふたりで眺めるためにこの世に生まれてきたかのように思えた。
私たちふたりの、一番の幸せの瞬間だと感じた。
「彼」も、そう思わずにはいられなかったはずだ。
ならば……
この世界は?
この世界で今から過ごす時間は?
蛇足でしか無いのだ。
「ふたりは幸せに過ごしました。めでたしめでたし。」の、その後の世界だ。
ディズニーお得意の、説教臭い二次創作と同じだ。
確かに私たちは、幸せに最期を迎えちゃいけないふたりだ。誰かが、社会が、現実が、私たちふたりを不幸にしなくちゃならない。
「私たちは間違っていました」と、改心させられねばならない。さもなくば、ポリコレが私たちの幸せを戦後の教科書のごとく黒く塗りつぶしに来るだろう。
あのとき終わってさえいれば、私たちは世界を相手に勝利できていたのだ。
「オウジュウめ。余計なことをしてくれた」
私はそう吐き捨て、八つ当たりのように白詰草を踏み締め進む。
本来この世界で生まれ直すことは、私たちふたりの望みだった。つまりオウジュウは、私たちの望み通りのことをしてくれたに過ぎないのだ。
なのに私は今、オウジュウに対して恨みを抱いている。
つまり所詮、逆恨みだ。理解している。理解しているならば、前へ進むだけだ。
終わらせるだけだ。
再び始まってしまった、この蛇足のような人生を、笑って終わらせるだけだ。