ハーレム希望様ご案内
本、本、本。その部屋は本で埋め尽くされていた。狭くはないが、四方の壁を本棚で取り囲んでいたせいか、妙な圧がある。どれもハードカバーで、図鑑や辞書や社会学的問題、法律関係が多い。ただベッドの枕元にはラノベが配置されてあった。
「なんだか要塞みたいですね」
キッチンもトイレや風呂もないので、家の一室に住んでいるということだろう。
さすがにリュミ神官も向こうの世界について調べ、中途半端だが知識を得た。
こういった部屋の持ち主は〈親〉と住んでいることが多い。
「私はここで神官を務めています。リュミ神官とお呼び下さい」
「これはどういった意味だい? 僕は転生したんだね。なぜ若返っている。転生ではなく転移にしてもおかしい」
「……あ、そこを突きますか」
「理解できるように話して欲しい。僕が選ばれたのは訳があるんだろう」
「ないです」
リュミはきっぱり言った。
「松下守善さん。39歳独身、大学助教授。お見合い72回目直前に亡くなられていますね」
目の前の男は18歳にしては前髪が後退し、度の強い眼鏡をかけていた。そして身体はかなりマッチョだ。
「転生といっても赤ちゃんからでは即戦力の欲しいこちらは待てません。男性18歳、女性16歳は結婚できる年齢としてそちらの法律で認められているようなので決めました」
「ううむ」
「正直、年を取った年齢での身体にすると、こちらの世界に馴染めないんですよ。ある程度、身体の細胞は若い方がいい。18と16はギリギリですね。あと転移は魂に歪みが生じますから、転生にしました。理不尽な亡くなり方をしたは未練タラタラですから高確率で話に乗ってくれます」
「悔しいけれど理解できる」
松下守善は大仰にうなずいた。
「で、ここの世界の名前は何だね」
「大陸名ですか?」
「場所くらい説明してくれ」
「ああ。貴方も説明書を読まないタイプですか」
「失礼なっ。死んだショックで読む気になれなかっただけだ」
今度はリュミ神官が納得しましたと答えた。
「この大陸に特定の名前はありません。ただ一つしかないので大陸という呼び方で通じていましたので」
「名無しの大陸か」
「トラックヘゴーとかバナナ・デ・スベッタ大陸とか好きな名前で呼んでください。貴方は後者ですかね。ご愁傷様でした」
「……」
「こちらとしてやっていただきたいのは魔獣退治ですけれど……なんですかこのハーレム希望って。希望ジョブが書いてないんですけど」
「えっ……あ。うん。そ、その、それはだな、きっ希望に沿うとあったから、つまりそれを叶えてくれたら、だな」
松下守善は真っ赤になって怒鳴り始めた。何か悪いことを口にしただろうかとリュミ神官は色々考える。
まだ死んだショックが抜けていないのだろうか。ステータスとか叫ばないからカードに興味はないのはわかる。だけどそれだけだ。向こうは大人し気味な者が多いが、例外的に短気な性格かもしれない。
なんにせよ、今までで一番ここに向いているに違いない。報告書によると高校でラグビーをしていたようで、かなり身体能力は高い気がする。エクスカリバーも楽々持ち上げそうだ。
魔獣を倒して食材をくれればこちらは何んでも受け入れる。
「――取り合えず外に出ましょうか」
リュミ神官は本当に取り合えず言った。
外に出た時、松下守善は振り返らなかった。顔をまだ赤くしながら口をへの字に結んでいる。
せっかく転生前の築45年の自宅を完璧にコピーをしたのに無視か。
リュミ神官はちょっと哀しかった。今回はちゃんと調べたのだ。
「この丘から見える草原や湖、森の他に村や魔界などあります。大陸だけですけれど、大まかには向こうの世界と似ていると思うのですが――」
リュミ神官が説明するも松下守善は黙り込んでいる。
やれやれ。
この男、案外メンドクサイかもしれない。まあ役に立ってくれれば何でもいいのだが。
「ここの神様に直接言って下さい。普通ならこの上の水晶宮にいるんですけれど、今日は仕事でランドーナ村の方にいます。近くなので行きましょう」
「は? 神様とやらに何を言えばいいんだ」
ここで松下守善が口を開いた。
「もちろんハーレムとかいうジョブ」
「……ジョブではないっ」
「具体的に説明してくれませんかね。本当にわからないんです。失敗しましたね、きちんと調べたつもりだったのに。ハーレムねえ」
リュミ神官は指でさらりと前髪を掻き上げた。
「これだからイケメン高身長はモテモテで……ブツブツブツ」
また彼は怒りだしてしまった。
そしてランドーナ村に着くまでは一言も話そうとしなかった。
「さあ、ここです」
丘を下り森を進み、着いた場所は開けた草原だった。
芝生に花壇があり、蝶が飛んでいる。そして休憩所のための机と椅子が所々に点在し、生えている木々の間にはハンモックが掛けられていた。
人工的に引かれた川があちこちに流れ、小さな橋が架かっており、銀色の小魚が跳ねている。
そして広い空では小鳥が舞い、唄をうたっていた。
穏やかな陽光が周囲を包んでいる。
「まるで公園じゃないか」
「公園? やはり向こうの世界にも似ている場所があったんですね」
「ああ。それにしても広いな。綺麗だ。ゴミひとつ落ちていない。ここをそのランドーナ村が管理しているのか?」
「いえ、ここがそのランドーナ村ですよ」
リュミ神官が言うと松下守善の目がカッと開いた。
「村だとっ」
「はい」
「家は? 奥に集団住宅でもあるのか?」
リュミ神官は少し頭を傾げた。
「って、そうか。そこが大きく違う点なんですね。世界感は似てると思っていたんですけど」
「なんだ?」
「村に家はありません。自然が家であり部屋なんです。あ、雨宿りとか仕事場など屋根のついた場所はありますよ。でも個人所有のものはありません」
「なんとっ」
「そちらの言葉で表現すると村人は〈ホームレス〉が一番近いですかね。我々神族は神官としていくつかの神殿に居ますが一般人はここで生活しています。村ではなく〈楽園〉と呼ぶ方がわかりやすいですかね」
「……理解できん」
やれやれ。
リュミ神官はため息をついた。
「とにかく神様の所へ行きましょうか。そこには他の転生者達も来るでしようし」
「他に転生者がいるのかっ」
「静かにしゃべって下さい。いますよ。厨房から食事を運んでもらっています。とにかく今は人手が足らないので」
草原を延々と行くとこんもりとした森が見えて来た。樹木が円形に植えられているようだ。
近づくにつれ香ばしいようなツンと刺すような、何ともいえない匂いがして来た。この匂いを正確に言い表すことはできないだろう。芳醇であり、それでいて臭い。鼻の奥がムズムズするのは確かだ。
「――なんだ、この臭い」
松下守善は眉をしかめた。
「お嫌いですか? 食事処ですからね。ごめんなさい、色々なものが混じっちゃってるんですよ」
「いつもなのか?」
「うーん、いつも通りではないですね。これは250年ごとの匂いです。今はちょっと発酵してますけれど、普段はもっと薄い香りですよ」
「発酵?」
「――あ、いたいた、エロ玉」
リュミ神官は食事処、見た目は泥沼すぎないが、その真ん中に浮いているローズクォーツに声を掛けた。
「転生者を連れてきましたよぉ」
『今、ここに力を注ぎこんでいる最中でのう。終わったらすぐ行くわい。ちょっと待っててくれんかのう』
〈神〉はリュミ神官に明るく声を返した。
「あれは、なんだ?」
「あれがピンクの浮かんでいるのがここの〈神〉ですよ」
「いや――そちらではなく」
松下守善の目は食事処という沼に腰まで使っている村人をガン見していた。
「むらびとの方、ですか?」
村人はすらりとした背格好で色違いの布を重ね着しており、一言でいうなら美男美女だった。
「芸能人レベルではない。前世でなら世界大会優勝レベルではないか」
松下守善は叫んだ。
「それが汚く茶色い泥にしか見えないものに腰近くまで浸かっている……なぜだ」
「そりゃお食事処ですから」
リュミ神官はそう口にしたが、彼はまったく聞いていないようだった。
「……疑問だ。しかし美しい」
手前の女性の白い肌は少し紅潮し、目は潤んでいる。なんともいえないエロチックがそこにある。
少し向こうにはボーイッシュな彼女がうっとりと視線を宙に漂わせ、何かに酔っているようだ。またその横の彼女は憂い顔で口をうっすらと開けている。
そんなとびきりの美女、美少女が三百人ほどいるだろうか。全員、樹木に囲まれた泥沼に腰まで浸かっている。
「ここがお食事処だって?」
松下守善は今になって大声を張り上げた。
「だから言っているでしょう、何度も」
「もうちょっとわかりやすく説明してくれ」
「では問題です。ここには二種類の村人がいます。ヒントは髪です。違いがわかりませんか」
「……髪の毛?」
松下守善は考える。そういえば沼に居る女性の髪には赤やピングや暖色性の花飾りをつけいてる。さきほど目にした美少女はサンゴ色の花だった。
反対に寒色系の花の少女は、どこかの国のお姫様のようにしか見えないのに何やら沼を棒でかき回している。
「じっとしているのが暖色系の花飾りをしている者で、寒色系のそれはお世話をしているように見えるが」
「当たりです」
「役割分担か何かか?」
「はい」
リュミはそれも正解、と手を叩いた。
そこに大きなバケツを手にした二人が現れた。勇者希望だった加瀬健吾と聖女希望の前田千恵美だ。
二人の目はどんよりとして何も映してはいないようだった。リュミ神官達を見ても反応はしない。
ただバケツに入った泥を機械的に沼に流し込んでゆく。
そして無言で去って行った。
「彼と彼女が貴方と一緒の世界から転生してきた人達ですよ」
「……何があったらああなるんだ!」
「知りません」
リュミ神官はおほほ、と手で口を押えた。
「ここ、新しい肥料が届きましたよ。混ぜて下さいな」
リュミ神官が言うと寒色系の花飾りをした者達が三名やって来た。沼の入り口なので幾分浅くなっているらしく、近づくにつれ泥がひざ下ほどになってゆく。
「ヒッ!」
それは美しい寒色系の美少女だったが、腰から下の足は太い根枝であり、そこに細い側根が生えていた。足首には根毛がびっちりとあるのが歩く度に泥の中から覗いた。
下半身は木の根そのものだ。
「――暖色系は女木と呼ばれめしべを持ち、寒色系は男木と呼ばれおしべを持っています。向こうの世界に屋久杉というのがあるでしょう、我々の世界はあれと人間が混じっていると考えて下さい。今年は繁殖期でね、頭に花が咲くんです。単なる花飾りだと思ったでしょう。違うんですよ、花で性別を分けているんです」
「はあ?」
「咲いてみないと寒色か暖色かはわかりません。つまり男子か女子かはわからないんですよ。250年周期で一斉に花が頭に咲きます。いつも率は半々なんですけど、今年は女木が九割でしてね、世話をする者がとにかく不足しているんです」
「……なるほど」
「そちらの世界にイモがあるでしょう」
「……あるが」
「イモは根――地下茎といった地下部が肥大化して養分を蓄えた結果でしょう。こちらではそれの養分というか実が〈子供〉にあたるんですよ」
「はあ?」
「暖色系の村人の足元には赤ちゃんが居るということです。屋久杉ほどではないですけど事故がない限り2000年くらいは生きますかね。亡くなったら苗になります。ほら、丘から見えた木がそうですよ」
「……へ?」
「ちなみに私達神族は神様同様、鉱物系です。この身体は自らが作った依り代になります。歩くと鈴の音がするのは魂と身体がぶつかっているからです」
「……」
「性別はありません。我々の身体は水晶宮の水晶が原材料です。鈴の音が鋼の音になったら作り直します。7000年くらいでチェンジですかねえ。スペアは常に作り置きしてますよ」
リュミ神官はさらりと口にすると、そこで足踏みをした。
すると鈴の音が微かにした。涼しげな風が通り過ぎたような爽やかな響きだった。
「……つまりこの世界は魔獣と樹木星人、そして神は死なない石ということか」
「星ではありませんし微妙に違いますけど、正解です。魔界はまた別系統で獣と鉱物が混じった人型ケモノがいますよ」
「……」
松下守善は何を思ったのかその場にへたり込んだ。
目は開いているが手をかざしても反応がない。いきなりどうしたのだろう。〈神〉も用事が終わったのか近寄って来るし早く起こさなければ。
「おーい、松下さん。ハーレムとかいうものができるかエロ玉に尋ねましょう。希望なんでしょ、ハーレム。ハーレムですよぉ」
リュミは真剣な目で微笑んだ。
読んでいただきありがとうございました。