27.ガラスの小瓶編 本当の気持ち
どうしたらいいかわからない。自分の気持ちがわからない。
スノウは気がついたら室内庭園まで走っていた。どこか行きたい場所があるわけでもない。気がついたら、リリベルとエリーと共にサンドイッチを持ってきた場所に立っている。彼女の絶命した顔が忘れられなかった。
どうしてこんなことになったのか、どうしてこんな気持ちになるのか。スノウはその場にひざまずき、両手を握り合わせて祈るしかなかった。
セフィライズが悪いわけではないのはわかっている。ただ、知っている人の死、というものが、とても心を蝕んだ。殺したのが、彼だ、という事実も。
ちゃんとわかっている。タナトス化して、人を襲う化け物を殺した。ただそれだけのことだ。だというのに、人の姿になったそれ。周囲は血だらけで、首と胴体が分かれた状態の真ん中に立っている彼の姿が、とても恐ろしく見えた。
どのくらいその場にいたかわからない。うっすらと夜の雰囲気を作る室内庭園でずっと、祈ったまま座っていた。
「やっと、みーっけ!」
声がして振り返ると、疲れた顔のシセルズが立っている。セフィライズとよく似た顔立ちの彼を、スノウは直視できなかった。
「スノウちゃん、大丈夫?」
座り込むスノウのそばに立つ。しゃがんで、そっと肩を叩いた。
「すみません、わたし。すみません……」
シセルズに声をかけられて、突然涙が溢れた。我慢していたわけではないのに、止め処なく流れ落ちる涙。
もう頭の中はぐちゃぐちゃで、心は支離滅裂。自分が自分ではないと思うぐらい、もう何もかもよくわからない。
目の前に浮かぶのは、伏し目がちに笑う彼の姿と、首を跳ね飛ばし血に染められている姿。どちらも彼なのに、どちらも違う、そんなよくわからない気持ちでいっぱいになる。
「スノウちゃんは、目の前で人が死ぬのは、初めてだったりする?」
シセルズに質問され、スノウは首を振った。初めてではない。襲撃を受け、奴隷として連れられたあの日から、嫌というほど見たもの。儚く、一瞬でなくなってしまう。助けることもできず、争うこともできず。どうしてだろうかと思う。
人の死を痛み、苦痛に慈しみの心を持つ、慈愛の心を大切に。それが神の教えだと言われて育ってきている。
だからこそ、胸の中で複雑すぎてなんともいえない衝撃が心をかき乱しているのだ。それがただ恐怖と絶望に近い気持ちでいっぱいにさせる。
「少し、びっくりした?」
シセルズが泣きじゃくる彼女をなだめるように頭を撫でる。声も、どことなく、似ている。優しくて、低い声が、とても彼に、似ている。
「ごめんなさい、わたしがしっかりしてないから。セフィライズさんのこと、わかってるのに」
泣き止もうと必死で、それでも声も体も震えてしまう。絶命した人の顔が忘れられない。その目が、自分を見ている気がするのだ。助けてと、言っているように錯覚するのだ。
「……ごめんな、スノウちゃん。あいつのこと、怖くなった? 嫌いに、なった?」
震えて泣く彼女の背を撫でながら問う。セフィライズが、何故彼女を疎遠にしようとしていたのか、わかった気がした。怖い思いをさせたくない、傷ついてほしくない。彼女の信仰心や信念からはかけ離れた事ばかりが襲ってくるだろう。心穏やかに、過ごして欲しかったのだろうと、思うから。
「……本当のことを言うと、少し怖いです。でも、嫌いなわけじゃないんてす。ちゃんと背中を押すって、決めたから。わたしは、セフィライズさんの事が好き……」
スノウは言葉を止めた。いや、止まってしまった。自分の出した言葉に驚いて口をふさぐ。
『セフィライズさんの事が好き』
そう言葉に出してしまった瞬間、信じられないぐらい言葉の意味に支配された。
顔は真っ赤に染まり、胸が痛くて、鼓動も早くて。混乱する頭は、自分が何を言ったのか理解出来ない程だ。
「わ、わたしが、セフィライズさんの事が、好き……?」
動揺が隠せないままにいるスノウを見て、シセルズはしまったという顔をしていた。言わせてしまった。まだ名前をつけないほうがいい感情を、言葉にださせてしまった。
引き金を引かないと、決めていた。巻き込まないと、決めていた。だというのに、今この瞬間、シセルズは押してしまったのだ。彼女の、背を。そこは奈落だと、わかっているのに。
「ごめんスノウちゃん、俺が変なこと言わせて」
慌てて取り繕うも、スノウは泣きながら赤面し、酷い動揺を隠せないでいた。手が震えている、どうすればいいか分からなかった。
シセルズは後悔した。好きだなんて、自覚させてはいけなかった。いつかスノウ自身が自然に気がつくのなら、まだわかる。しかしシセルズが気が付かせてしまうのは、違う。きっとこの先、弟を好きになって、傷つくのは、スノウ自身だ。巻き込んだ、彼女を引きずり込んだ。その手を引っ張って、突き落としてしまった。
作ってしまった。セフィライズの、その時を。どんな顔をするのか、どんな声をかけるのか、どんなふうに話すのか。その瞬間を。
「ごめん。ほんとに、ごめんなぁ……」
あいつを助けてやりたかった。見た目や価値に振り回されず、心から、信頼をくれる人がいることを知ってもらいたかった。もっと、誰か他人を頼れるようになって欲しかった。弱音や愚痴を言ってほしかった。もっと、自分を大切にして欲しかった。未来がある事を、知って欲しかった。全部あいつを、セフィライズを想っていたから。でも、それにスノウの気持ちを利用してしまったのではないか。そんな風に、シセルズは感じてしまっていた。
あいつが本当に、人間になる時はきっと。誰かを愛する時だ。
そう強く思っていたからこそ。これは、スノウを利用しているだけなんじゃないかと、思う。弟の為に、生贄に差し出したような気持ちになるのは、きっと最後がもう、わかっているから。
わかっていたのに、巻き込んだ。
酷い罪悪感が、シセルズの中に残っていた。




