25.ガラスの小瓶編 液体
スノウは気がついたら真夜中だった。食事をせずに、ただずっとベッドの上で座りこけていたのだ。空腹で気がついたといってもいいぐらい、本当にただ意識があったのにもかかわらず、何も感じていなかった。今の時間、きっともう食堂はやっていない。でもお腹が空いて仕方がない。城下町に出ようにも、この時間だ。
スノウは着たままでいたコートを脱いだ。ひらりと彼から借りたマフラーが落ち、それを拾おうとして手を伸ばすと、折り曲げたはずの袖が落ちてきて彼女の手を包み隠してしまった。これは、彼から借りた、カーディガンだ。
ーーーー今度はわたしが、セフィライズさんの背中を、押す側にまわりますね
そんなことを言った自分の言葉を思い出して、唐突に涙がでた。
何が、背中を押す、だったのだろう。シセルズから、関わらない方が幸せだという意味を含んだ言葉に、理解して、受け入れたはず、だったというのに。
結局彼に、何も声をかけられなかった。何もできなかった。それどころか、不可抗力だとわかっているのに、死を目の当たりにして、心がついていかなかった。
怖かったのだ。ただ、とても、怖かった。
「行かないと。わたし……行かないといけない」
セフィライズに会わなくてはいけない。かける言葉はない。何かを伝えたいわけじゃない。会わなくてはいけない。唐突に思った。
スノウは自室の扉をあけ走り出そうとした、その時、ちょうど隣の扉から出てくるリリベルとぶつかってしまった。
「ごめんなさい!」
リリベルの持っていた荷物が散乱する。スノウは慌ててそれらをリリベルと一緒に拾い上げた。
「ううん、わたしこそごめん。ぼーっとしちゃって!」
拾い上げた本やらペンやらを渡す。その中に、ガラスの小瓶があった。中は黒っぽい液体が入っている見慣れないそれをスノウは拾う。
「わ、ありがと!」
リリベルはそれを慌てて回収した。
「インクですか?」
「ううん! なんでもない、気にしないで。スノウは、こんな時間にどうしたの?」
聞かれてスノウはハッとした。そうだった、彼に、会いに行こうとしていた事を思いだす。リリベルに頭を下げて、彼のところまで走り出した。
周囲が騒がしい、夜だというのにすれ違う兵士が多い。スノウは不思議だった。きっと昼にあんな事が起きて、みんな慌ただしいのだろうと彼女は思った。これだけバタバタと多くの人が真夜中に慌ただしくしているのだから、きっと彼もまだ執務室にいると思う。
本当は、少し気が引けた。気まずい、どんな顔をすればいいのかもわからないし、どう声をかけていいかもわからない。彼の執務室の前まできて、扉を叩くのに少し時間がかかった。
「……スノウ?」
声をかけられ振り返る。そこには私服ではなく、制服を着て、片手で濡れた髪を拭いているセフィライズが立っていた。もう片方の手には、何か荷物を持っている。
「ぁ……」
心の準備をしていたはずなのに、いざ目の前に現れると、本当にどうしていいかわからない。お互いに無言のまま立ち尽くす。何か言わないと、そう思い顔をあげると、彼は執務室の前まで移動しようと歩き出していた。鍵を探すように胸元に手を伸ばす。その時、彼の荷物から何かが落ちた。
硬い音をたてて転がるそれは、見たことのある小瓶。スノウは拾い上げると、先ほどリリベルが落としたものと全く同じものに見えて、首を傾げた。
「最近、流行ってるんですか? これ、リリベルさんも持っていて……」
こんな小さくて透明度が高く、それでいて妙に凝った作りの小瓶を、こんなにも身近な人が持っている。彼はあり得ないと思った。
「中には、何か入ってた?」
「インクのような液体です。小分けにするのが、流行っているのかと思って……」
少し考えた。インクのような液体の入った小瓶。高級そうなそれを、一般の従者が持っているのが不思議で仕方ない。しかもインクだとして、それをわざわざ小分けにする意味がわからない。それに回収した小瓶からは、明らかにインクの香りはしなかった。
「その、リリベルのところに案内してもらってもいいかな」
小瓶の中にまだ液体があるのなら、それを調べれば何かわかるかもしれない。彼の真剣な声に、スノウは何かあったのだろうと察し、彼女のところまで案内した。
先程外ですれ違ったので、自室にはいないだろうと思った。しかし真夜中なのもあり、戻っているかもしれない可能性にかけ、一旦リリベルの自室の前までくる。
そこは、女性一般的従者の部屋がいくつも並ぶ通路。男性寄宿舎と違い、女性従者は人数が少ないのもあり、城内の一部に区画がある。長い廊下の両側に扉がつづいていた。
「今日は皆さん夜なのに慌ただしいみたいで。何かあったんですか?」
スノウの質問に、セフィライズは答えられなかった。また同じタナトス化した人間が発生した、だなんて。しかし伝えないでいたとしても、いつか彼女の耳に届くこと。




