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4.涙雨と救出編 会話




「問題ない」


「いや、問題だらけでしょ。それに、近頃は壁から死神(タナトス)の群れが溢れ出て、近くの町や住人を襲うって聞くよ」


死神(タナトス)の、群れ?」


 セフィライズは聞きなれない言葉に、足を止めた。ちょうどギルドを出ようとしていたところだったが、ギルバートへ視線を向ける。


「黒いお化けみたいなのが、いーっぱい出てきて、軍隊みたいにこう、行進して。ある国は滅んだとか、そんな話も聞くよ」


 ギルバートは、幽霊を真似るように手をだらんと前に垂らし、おどろおどろしい表情を作ってみせた。


「……聞いたことがないな」


 そのギルバートの言い方に、セフィライズは首を傾げた。噂に尾ひれがついただけのように感じなくもない。アリスアイレス王国ではそんな話は聞いた事もないからだ。

 その反応にギルバートが少しすねた顔をして見せた。


「ほんとだって」


「……わかった」


 話を切り上げるように、セフィライズはギルバートに背を向けた。歩き出す彼の背後で、ギルバートが何かを言っている。少し、申し訳ない気もした。だが、少しずり落ちた口元を隠す布を持ち上げながら下を向いた。雑踏の音を聞きながら、目を閉じる。

 ギルバートは彼にとって、このギルドに登録したその時からの馴染みだ。最初はギルバートと呼んでいた名前も、いつの間にかギルと呼ぶようになる程、少しは心を許している。それはセフィライズにも自覚があった。だがその先を、どうしたらいいのかわからない。


――――飲みに、付き合っていたほうがよかっただろうか


 ギルドが遠く、見えなくなる程離れてしまってから。セフィライズは振り返ってそう、思った。


 乾いた空気に、土壁の街並み。狭い路地をすり抜ける風は、時折り土煙を巻き上げた。

 セフィライズは、あらかじめ部屋を予約していた宿へと向かう。そこでは、紳士然とした初老の男が待っていた。アリスアイレス王国で、カイウス王子に仕える執事――レンブラントという名の男である。既に白髪が混じる灰色の髪をポマードで大変丁寧にかためている。


「おかえりなさいませ」


 レンブラントはゆっくりと低い声で発しながら頭を下げた。

 彼は、幼い頃からセフィライズを知る数少ない人物のひとりだ。成長を見守ってきたこともあり、人と打ち解けるのが苦手なセフィライズの数少ない理解者でもある。

 もっとも、セフィライズ自身は、レンブラントと深く言葉を交わした記憶はない。あくまで、カイウス王子の執事として、仕事で顔を合わせることが多い、その程度の認識に過ぎなかった。


「すぐ出られますか?」


「あぁうん」


 セフィライズは無意識に、砕けた返事をした。

 レンブラントふと、意味ありげな表情を見せる。その変化に気が付き、問いただすべきか、気づかぬふりをするべきか。セフィライズはひととき迷った。

 レンブラントは白髪混じりの髪をわずかに揺らし、目尻に皺を寄せて静かに微笑んでいる。


「お変わりないようで」


「ん?」


「いえ、久しく同行しておりませんでしたから」


「あぁ、確かに……」


 相手が何か考えている。何か言いたいことがある。レンブラントはセフィライズのそういった他人の雰囲気や仕草を、よく感じ取っているように思っていた。しかしそれにどう対応したらいいか、いつも困っている様子。久々に彼の雰囲気を垣間見て、変わらないなと懐かしんでいた。


「では、お気をつけて」


 レンブラントが頭を下げると、彼もまた会釈して部屋を後にした。





 セフィライズはコンゴッソの街を出て、風に砂埃が舞う黄土色の荒野を南へと下る。足元の土は水分もなくひび割れが目立つ。ぽつぽつと立つ木々はやせ細り、葉がほんの少し残っている程度だ。このコンゴッソがある壁内のマナが、減少している証拠でもある。

 以前はカルナン連邦の砂漠地帯にしか生息していなかった砂羽虫が、ちょろちょろとセフィライズの足元を這うように飛んでいる。トカゲのような体に、薄いトンボのような羽のついた奇妙な虫だ。セフィライズは黙って歩きながら、その虫の飛ぶ先を見る。以前よりも少し、砂羽虫の数が増えた気がした。

 次第に、セフィライズの視界には内側からほのかに光を放ちながら揺らめく壁が見え始める。何色ともいえないそれは、天高くそびえ立っていた。近づくにつれ、その巨大さが、存在そのものが、威圧感を放っているかのようだった。




 壁を越えれば、この乾燥した世界は一変する。

 セフィライズは獣の皮に雨避けの油を染み込ませた外套を身にまとった。この壁の向こう側は雨が降っているからだ。セフィライズは壁に絶対触れないよう気を付けながら手をかざす。


「我ら、世界を創造せし魔術の神イシズに祈りを捧げ、我の前に立ち塞がりし残痕を払う力を我に。今この時、我こそが世界の中心なり」


 セフィライズがそっと詠唱の言葉を口にすると、体内のマナがふわりと色をまとって浮かび上がった。

それは夜明けの空を思わせる、やさしい黎金(れいきん)。やがて手のひらへと集まり、彼の意思に応えるように光は渦巻いた。

 壁に触れると、まるで何かがほどけるように、そこにぽっかりと穴が開く。セフィライズは何のためらいもなくそこを通り抜け、振り返らずに穴を閉じた。

 壁の向こうには、別の世界が広がっていた。

 冷たい雨がしとしとと降り続けていて、空気には湿った重たさがあった。けれど、彼は足を止めない。そのまま何時間も南へ進み、ついにはベルゼリア公国側の境界にたどり着く。


 もう一度壁を越えると、小雨はあっけなく消えた。

 目の前には、コンゴッソとはまったく異なる風景が広がっている。湿った風が吹きすさぶ、荒れた大地――それがベルゼリアだった。


 集合場所のソレビアは、ベルゼリア公国の端にある町だ。公国の地図の端に追いやられたような場所なのに、差別の空気は公国のそれと同じで、町中にどんよりと満ちていた。通りには、ぼろぼろの服を身にまとった人々があちこちに座りこんでいる。おそらく、奴隷として捕らえられたばかりなのだろう。互いの足に繋がる縄、手枷が見て取れた。

 まだ誰にも「所有」されていない彼らの目は、どこか遠くを見つめていて、声をかける者も、目を合わせようとする者もいない。これが、この街の日常風景だからだ。

 けれど、持ち主が決まれば、彼らは少しずつ変わっていく。身の安全と、食べるものと、屋根のある寝床が手に入るからだ。そうして、心の奥にあったはずの反抗の火が、ゆっくりと消えていく。やがて目には、諦めにも似た落ち着いた色が浮かびはじめる。


 セフィライズはそんな彼らを見るのがあまり好きではなかった。その、何にも抗おうとしない、今をただ浪費して生きている姿が自分を見ているようだと思うからだ。


 路地の入口に、小さな影がひとつ、うずくまっていた。今にも悪魔に生気を吸い取られ死にゆくのではないかという子供。影からはみ出した指先が、黒く変色している。セフィライズはそれに見覚えがあった。

 アリスアレス王国第一王子、カイウスと同じフレスヴェルグの病だ。

 かつては珍しい病のひとつであった。一度患うと、その先には死しかない。伝染する事はないと判明しているものの、死を招く呪いの病は怖がられ、患ったものは差別的な扱いを受ける事も多い。

 しかし今やこの病は、この世界に突如として現れた壁と共に次第に広まり始めている。特に、大地の荒廃が進んだところに多く見られた。

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