23.灯火の源へ 戻る
シセルズはローズマリーの枝を手に入れている。ゆかりの地の水、ヨルムの祭壇に痕跡を残して回り、最後に行くのはやはり世界樹だ。大量のマナが供給されるその場所で、すべての準備を整えたシセルズが何かを始めるはず。
彼らはアリスアイレス王国への帰路を進んでいた。
スノウは馬車に揺られ、遠い地平の向こう側を眺める。胸元に抱える無垢の枝を手にし、目を閉じると外の光が瞼を通ってとても明るい。そして瞼の裏に映るのは。
ちょうど、この辺りだった。カンティアとアリスアイレスの境にあった壁。馬車から降りたセフィライズが一人で壁に穴をあけるのを見て、リシテアが大はしゃぎをしていたのだ。
スノウは首元に触れる。そういえば、セフィライズが彼女へネックレスをプレゼントした事を、リシテアはいたずらっ子のような顔で喜んでいた。いま、胸元にはないそれ。大切にしまって、彼女の服のポケットに入っている。
「スノウ」
テミュリエは以前にも増して心ここにあらずといった彼女が心配だった。さりげなくスノウとの距離を詰めて座りなおす。
「変な事、考えてないよね。無理だからね。もう、諦めるしかない」
「何も、考えてませんよ」
テミュリエはスノウが魂になりセフィライズを助けに行くと言い出すのではないかと気が気でなかった。世界樹の根に絡まったまま、魂が無垢の枝に変わっていく。会う方法はもう、器を捨てるほかない。
「本当に?」
「ほんとうです」
テミュリエが何を心配しているか、スノウには痛い程わかった。死を、選ばないかどうか。無垢の枝を強く握りしめ、胸が詰まりそうになりながら息を吐く。
魂になれば、会えるのだろうか。助けられるだろうか。
「アリスアイレスについたら、答え。聞かせてくれる?」
「テミュリエ、わたしは……」
「忘れなくていい。でもさ」
今生きているのだから、いつまでも亡霊が彷徨うような表情をするのはやめてほしい。テミュリエは彼女の持つ枝を、今すぐにでも外に投げ捨てたくなる気持ちを押さえながら言葉を吐く。
「今を……生きてほしいんだよ。俺は、それだけで、いいから」
彼女がこの世界へ留まる理由を作らないといけない。でないと、今すぐにでもいなくなってしまいそうな表情をしているのだ。それがとても、彼にとってとても、辛かった。
スノウは久々に戻ったアリスアイレス王国に、なんだかもう何十年も帰っていないかのような懐かしさを覚えた。
人口が増えたのか新たな家がどんどん建設されており、行きかう人も多い。以前よりも増した賑やかさに、さらに取り残された気持ちになる。
テミュリエと共にまっすぐ世界樹まで向かう。巨大な木は影を作り、葉がこすれあうと大海原のさざ波のような音を奏でている。
テミュリエは巨大な幹を丁寧に一周し、変化を確認した。しかしまだ何も行われた形跡はない。
スノウはその間、ひとりで世界樹の幹に手を当てながら目を閉じる。ワルプルギスの夜に見た事を思い出しながら、胸に無垢の枝を押し当てた。助ける事はできない。会う事もできない。話す事もできはしない。しかしこの巨大な木の、根のもっと奥の奥に彼はいる。
一人で、何を想っているのだろうか。
「心から……」
わたしは、心から。あなたを想う。
「スノウ」
幹に額をあて、祈るように目を硬く閉じている彼女へ声をかけた。ゆっくりと、世界樹から離れたスノウが下りてくる。テミュリエの前で止まり、柔らかな笑顔を浮かべた。
しかし、それを見てテミュリエはまた心が苦しくなる。
「無理して、笑わなくていいよ」
スノウの心からの笑顔を取り戻したいと思うのに。どうしていいかわからない。
「無理なんて、してません。テミュリエ、あの……少し行きたいところがあるのです。いいですか?」
スノウが指差すのは世界樹の為に整備された公園の奥。セフィライズのログハウスがある方だ。テミュリエは一度大きく呼吸して、わかったと答える。本当は、行ってほしくない。
忘れなくてもいいから。そうは言ったが本当は、忘れてほしいと思っている。全てなかったことにして、テミュリエ自身と人生を歩いてくれないだろうかと思っている。背を向けて去っていく彼女を見て、世界樹に目を向ける。言い表せない感情が沸くと同時に、彼は拳を強く握った。
「やっぱり俺、あんたの事嫌いだよ」
世界樹に向けて吐き捨てるように言った。本人がいたら、どんな顔をしただろうか。テミュリエは想像にたやすいと思った。きっと嫌な顔一つせず、スノウみたいに薄い笑顔で「そうか」と言っておしまいだ。
「ほんとに、大っ嫌いだ」
テミュリエはスノウの後を追って駆けだした。




