22.灯火の源へ 無垢
「スノウ! しっかりしてよ!」
テミュリエの焦る声。スノウは目を覚ました。全身が濡れて、岩だらけの地面に横たわってる。彼女を覗き込むテミュリエもまた、髪から水が滴っていた。
「テミュリエ……」
「よかった。スノウよかった!」
ゆっくり起き上がろうとすると、スノウは右手に何かを強く握りしめているのに気がついた。持ち上げ見ると、それは真っ白な枝だ。幹も、双葉も、全て白い。
「スノウがおぼれるから、俺必死で」
「溺れる?」
「え? 一緒にローズマリーを覗き込んだでしょ? 水中に見えたよね。突然スノウがそれに手を伸ばして、水の中に落ちたから」
スノウは何を言っているのだろうと思った。たしかテミュリエだけが泉の中に入って、そして何か渦みたいなものが彼を引きずり込もうとしたのだ。助けようとして、触手のように動く水に囚われ引きずり込まれたはず。
スノウは戸惑ったままで何も返事ができなかった。
「よかった、大丈夫そうで。それは何?」
テミュリエは彼女が握りしめる白い枝を指差した。
「あ、あの。わたし。泉の中で、あの……」
冥界の神ヨルムと、世界樹の根にセフィライズがいたのだ。彼らに会ったと言いそうになってやめた。テミュリエから何を言われるかもうわかっているからだ。
「気が付いたら、握って……いました」
世界樹の根とは別に、彼の心臓から蔦のように伸びる白い枝。必死に手を伸ばした最後、その枝の先に触れ、無意識に掴んだのかもしれない。
「見せて」
テミュリエはスノウから白い枝を受け取る。枝も双葉も触れると非常に硬かった。試しに地面の岩に軽く葉を当ててみると冷たい音が響く。葉の先が少し削れたようで、よく見るとそこから細かな粒子が上っていた。
「スノウ、本当に気が付いたら握ってたの?」
「あの、えっと……世界樹の、根の世界で、その……」
セフィライズの名前を出すのを躊躇った。もう死んでるんだよ、思い出にすがらないでって、言われると思ったからだ。
「原罪がいたんだ」
「……はい。世界樹の根に。セフィライズさんから、白い木が伸びていて、それを気が付いたら、掴んでいたみたいです」
スノウはテミュリエから視線を外す。言われると思った台詞を待ったが、青年は黙って枝を見つめていた。
「……無垢の枝だ」
「無垢の、枝ですか?」
「神話の時代ですら幻といわれていたものだ。魂から生まれる、新たな世界樹の事を言うんだ」
世界樹は全てを満たすほどのマナを放出しているのだとしたら、魂を苗床に産まれる世界樹は、その本人のマナが具現化したものだという。しかしほとんどの魂は浄化され、輪廻に戻るとすぐに人の器にはいる。魂から放たれるマナは器を動かす為に使用されてしまうため、通常では絶対に芽吹く事はない。
「魂の状態で長い間留まってるんだろ。だから、無垢の枝が生えはじめている。それは、原罪の魂の一部みたいなもんだよ」
「セフィライズさんの、一部……」
テミュリエから返されたそれを受け取る。両手で優しく包み、胸にあてた。
嘘ではなかったのだ。彼はまだ、その魂のまま世界樹の根に留まっている。長い年月を、ずっと一人で。
迎えに行きたい。
スノウの心に、唐突に沸いた願い。
「あの、テミュリエ。その……」
「スノウ、先に言うけど無理だよ。入れる器がないって言ったよね。魂は浄化され、輪廻に戻る運命なんだ」
助けに行きたい。あの根から解き放って、一緒に。そう思ったがそれは絶対にできない事なのだ。
そこにいるとわかっているのに、会う事も出来ない。
「あのまま留まり続けたら、セフィライズさんはどうなるのでしょうか……」
テミュリエは答えるのを躊躇った。きっと聞けば、彼女は自分を責め、辛い思いをするだろうから。彼の迷いに気が付いたスノウが、今一度教えてほしいとテミュリエの服にすがる。苦々しい表情を浮かべながら、彼は絞るように答えた。
「輪廻に戻らない魂は、全てが無垢の枝になる」
小さな世界樹になる。魂は栄養分として吸収され、輪廻に還る事すら許されない。器があった頃に刻まれた記憶は全て無くなり、魂としてその瞬間終わる。
「本当の意味で、消える」
もう二度と、世界に産まれる事はない。
スノウから一筋の涙が流れた。無垢の枝を胸に強く押し当て、声を押し殺して泣く。もう二度と会えない。同じ魂を持つ人とも、巡り会う事はない。
世界中のどこにも、彼という存在が消えてしまうのだ。
「スノウ……」
スノウが傷つくとわかっていた。言いたくなかった。
どうしようもない事だ。冥界と現世のはざまで、世界樹の根にひっかかっている状態ではもう、誰にもどうすることもできない。
死んだ人を、選ばないでほしい。




