20.灯火の源へ 大樹の根
水中へと引きずり込まれ、スノウは息を止めた。温かだった水が次第に冷たくなっていく。腕に巻き付いた何かをはがそうと手を伸ばすも外れず、彼女の体は深く深く引っ張られていった。
次第に明かりを感じられない程真っ暗になり、息を止め続ける事ができずに大きく口を開け水を飲む。意識が薄らいでいく。
――――死んだらあなたに、会えますか……
スノウは目を開けた。視界には苔に覆われた地面の上に置かれた彼女自身の手だ。死んだと思った。いや、死んだのかもしれない。そう思いながら体を起こすと、そこは見た事のある場所だった。
巨大な木の根が幾重にも連なり、鮮やかな色の苔が覆っている。緑に光っているかのようなそれから、溶けだすように白い灯火が上空へと舞い上がって、その先は暗く見えない程高い。
ふらりと立ち上がると、登っていくマナの光とは別のものが彼女の周囲を飛び始めた。両腕を上げ、首を振りながらその光の動きを目で追う。それは彼女の顔の前で止まった。
「にんげん、器があるにんげん」
目を凝らすとそれは、背に透明な羽を生やした小さな妖精だ。
「ここは……」
骨が見える程に背を抉られた彼と、共に壁を越えようとして越えられなかった。その時に来た場所だ。冥界の神ヨルムにあった、その場所。
以前に来た時より、重なり合う根に生気がある。枯れたところもない。これは今の世界樹の根なのだろうとスノウは思った。一歩踏み出して、前に進むとその妖精もついてくる。くすくすと笑い声が増えていった。
「また、来ちゃったね」
そう耳元で一人の妖精が言った瞬間、目の前には見た事のある泉。巨大な根の凹みに溜まっているそれはうっすらと黄色とも緑とも言えない色に光っている。
その泉のほとりに近づいて、スノウはしゃがんだ。ここは、彼が横たわっていた場所だ。
「スノウ、だったか……」
後ろから声がして、スノウは振り返った。前回と同じく通ってきた道の真ん中に立っているその女性。濃紺の長い髪、身にまとう服も全身が黒くつかみどころのない光を内包している。冥界の神、ウィリだ。
「あ、あのっ……すみません、わたし、また」
慌てて立ち上がり、スノウが頭を下げる。ウィリはうっすらと笑い、歩いてるとは到底思えないような、地面を滑る動きで彼女の前に立った。
「また器を持ったままきたのじゃな。しかしよく似ておる」
幻想的な服をまとったウィリの手がスノウの頬へとのび、目じりを触られる。彼女の青緑色の瞳を懐かしそうに見た。
「器を持ったまま、人はここに長く滞在できぬ。早く戻った方がよかろう」
「あ、あの。えっと。どう、やってその……枝を、ローズマリーの枝を見に来て、湯の中にあってそれで……」
スノウは自分でも言ってる事がぐちゃぐちゃだなと思った。両手を胸の前で振って、あわわと口が絡まりそうになる。
「ローズマリー? ああ、あれじゃな。ついこの前、白き大地の民が一本持って行ったのを我は見たぞ」
「し、シセルズさんがここに、来られたのですか?」
「いや、この場所ではない。ちょうど冥界と、現世の間に漂う場所にある」
そこに白い手が伸び、新芽を一本ちぎって持って行ったのを見たという。
「あの、ローズマリーをゆかりの地の水に浸して使うような、禁忌の魔術って……どんなものか、ご存じありませんか?」
「我はあまり、人間の魔術には詳しくなくてな。すまぬ。しかしあやつなら、何か知っているかもしれんなぁ」
「魔術の神イシズですか?」
「いや、イシズはもうおらんよ。この世界の、どこにもな。魂はとうの昔に新しい世界樹の種子を作る為に捧げてしまって存在せん。もう、会うこともないのじゃ」
スノウが見たイシズは≪世界の中心≫に込められた≪大いなる願い≫の思念体だ。世界樹が発芽したと共に、≪大いなる願い≫はなくなり、そしてその思念体も消えた。この世界のどこにも、イシズの浄化され輪廻を巡る魂は存在しない。
「あやつはまだ浄化されずに留まっておる。現世に戻るときに少しばかりなら話せるじゃろう」
スノウはウィリのいうあやつがわからなかった。戸惑う彼女をしり目にウィリは笑い、そっとスノウの肩に触れる。
「長くここにおると、器から魂がはぎとられ輪廻に還ってしまう。早く戻るがよい。会えてよかったのじゃ」
その瞬間、スノウの体がふわっと浮いた。体の周りに光の粒のような妖精たちがたくさん集まって、体を持ち上げているのだ。ゆっくりと上へ上へ、マナの流れと同じ方へ登っていく。離れていくその場所を見ると、ウィリが笑いながら手を振っていた。




