7.灯火の源へ 宿
ギルバートに案内され、二人は宿泊の手続きを終えた。昨日産まれたばかりの新生児を抱えたオリビアもまた、テミュリエがハーフエルフだと聞いても平然とした顔で挨拶をする。それにテミュリエ本人が一番戸惑っていた。
赤ちゃんが泣きだすと挨拶もそこそこに、彼女は奥の部屋へと下がってしまう。スノウはその泣き声を聞きながら、この宿屋には本当に、幸せが満ちている気がした。
「ごめんね、今日はお客さんがたくさんいてて、一番いい部屋だけど、一部屋しか準備できないんだ。二人同じ部屋で、大丈夫かな?」
「えっ!」
「はい大丈夫です」
スノウが何の戸惑いもなくすぐに返事をするものだから、テミュリエはさらに戸惑った。顔を赤らめて視線はあっちこっちに向かっている。
「なるほどぉ……」
ギルバートはくすくすと笑いながら、テミュリエの顔を覗き込んだ。
「な、なんだよ」
「見た目はしっかりしてるけど、まだまだ少年なんだね。かわいいじゃん」
頭一つ飛び出た高身長のギルバートが、テミュリエの頭を押さえつけるようにわしゃわしゃと撫でる。触んなと言いたげに手で払われて、さらに面白そうに笑った。
「テミュリエ少年、意識しすぎるのはよくないよ」
「なんの話だ!」
テミュリエをからかうギルバートを見ながら、スノウは首を傾げた。何の事なのかさっぱりわからなかったからだ。
ギルバートの案内で部屋の前までくると、そこはあの時泊まった部屋だった。隣はセフィライズが使っていた部屋だ。隣の扉の方をぼーっと眺めて立ち止まってしまい、ギルバートから肩を叩かれる。
「今日はこっちだよ。どうしたの?」
「あ、いえ」
「夕食の場所はわかるよね? 前と一緒だから。その時に色々聞かせてよ。僕は仕事に戻るからさ」
じゃあ、と手を振って去っていくギルバートを見送り、スノウはゆっくりと部屋の中に足を進めた。西に傾いた日の光が、部屋を橙色に染めている。あの時の部屋だ。あのベランダで、深淵に向かおうとするセフィライズと話した。
どうして、あの時。手を伸ばさなかったのか。
どうしてあの時、声をかけなかったのか。
「いい部屋じゃん、ねぇスノウ」
テミュリエはベッドの端に座りながら言った。スノウが部屋の入口で立ちすくんでいる事に気が付いて立ち上がる。彼女の前まで歩いた。
「スノウ?」
「ごめんなさい。ちょっと……大丈夫。わたしは……大丈夫です」
大丈夫。
スノウはずっと、この五年ずっと。何があっても、何を思っても、ずっとこの言葉を繰り返してきた。何が大丈夫なのか、自分が一番わかっていない。
ただ強く呼び起こされた記憶が、彼女の心臓を痛い程に締め付けた。
胸元に手を当てる。ゆっくりとテミュリエの横を通り、バルコニーに出てた。西に沈む太陽。黄昏に染まろうとする空。乾いた空気。一番星が青と朱の境界線に光っている。
スノウはすぐ横を見た。バルコニーの手すり、その場所に。
痛い。
心が、痛い。
「大丈夫。なんでもないです。テミュリエ」
彼女は精一杯の笑顔で振り返った。
日が沈みかけ部屋は暗く、スノウの作り笑いはテミュリエにはよく見えない。ただ、スノウの声が少し震えているのだけは、とてもよくわかった。
「スノウ、俺……」
言葉に出そうかと思った。
あいつはもう死んでいる。ちゃんと一つずつお別れをして、それで心の整理がきっとつく。そしたらスノウに。
「少し休憩したら、すぐご飯ですね。ここの食事はとってもおいしいんですよ。テミュリエは好きな食べ物はありますか?」
「うん……あるよ。スノウ。俺と、一緒に……今度付き合ってよ。おいしいお店、いっぱい知ってるからさ」
ほんとですか? どんな食べ物ですか? どこにありますか?
スノウの質問に、テミュリエは笑顔で答えた。いまは、何も言わない。
夕食はギルバートとオリビアが小さな結婚式を挙げた酒場だ。今日も陽気な音楽と、お酒で気分が盛り上がった人たちの笑い声が響いている。
二人は席についた。頼んだ食事が運ばれてくるのと同時、ギルバートがやってきてテミュリエの隣に座る。
「ごめんね。時間とって話したかったんだけど、仕事がまだあったから」
「いいえ、とても繁盛されているようで、何よりです」
今日は満室だ。ギルバートは嬉しそうに鼻の下をこする。
奥さんのオリビアはつい先日に第四子を出産したばかりで、ずっと赤ちゃんの世話にかかりっきりだ。従業員を多く雇ったり、この酒場も知人に運営を任せてしまったらしい。それでもまだまだやる事はたくさんある。




