2.灯火の源へ 再会
最後に彼は笑っていた。何か言葉を発していた。口の動きからそれは「さよなら」ではないかと思った。
アリスアイレス王国に新たな世界樹が誕生した。膨大なマナを生み出すそれは、一瞬にして世界を変える。アリスアイレスの分厚い灰色の雲は晴れ、四季のある空気へ。大地の色は変わり、草花が生命力を持って広がった。息苦しいなどと感じた事など無かったはずだと言うのに、空気がとても澄んでいて体を優しく包み呼吸がしやすいと感じる程に。
世界樹は、一瞬にして全てを。命あるものの全てに、変化をもたらした。
しかしその世界に、もう彼はいない。
あれから五年の月日が流れた。
リヒテンベルク魔導帝国とアリスアイレス王国は全面戦争に入った。結果的にアリスアイレス王国が勝利を収め、リヒテンベルク魔導帝国の首都を制圧し、管理下に置くことになる。これにより、自然な流れでこの世界の先頭に立つ国となった。戦時中にアリスアイレスの国王は病死し、カイウスが新たに即位する。
スノウは癒しの力を使い医療に従事し、シセルズはカイウスの許しを得て戦争に参加した。シセルズは決して何も語らなかった。セフィライズの名前も出すことがなく、スノウ自身も何も言えないまま。戦争終結という大きな転換点となった次の日。突如としてシセルズはいなくなった。
それから数か月。
アリスアイレス王国はお祭りムード一色に染まっていた。年に一度、世界樹から強くマナが放たれ、可視化されたそれらが空中にほのあたたかな光を灯しながら浮遊する日。ワルプルギスの夜と呼ばれたそれは、かつて世界樹があった頃、春の訪れを祝う日だったといわれている。
その日、スノウは奇跡的に残ったセフィライズの住んでいたログハウスにいた。すぐ戦争状態になったせいで、来ることもできなかったその家。中は埃と蜘蛛の巣、開いた窓から虫が入り込んでいた。大地が何度か揺れたせいか、荷物は床に打ち付けられ食器は割れて散乱している。それを以前よりゆっくりと片付け始めていた。
だいぶ人が住める状態にまで回復し、暖炉に火を灯してみる。懐かしい光だ。その暖かさに目を細め、そしてスノウは思う。
どこかで彼が生きているのではないか。きっとあれは、何かの間違いで、世界樹の成長と共に離れ離れになり、世界のどこかで生きているのかもしれない。
絶対にそんな事はあり得ないと、分かりきっているというのに。どうしてだかそう思う気持ちが拭えなかった。
彼の、最後の言葉。笑顔のわけ。そして。
愛してる。の、意味を。
もう答えを聞ける人はいない。スノウは胸元まで伸びた自然にうねる髪に触れた。髪を長くしようと思ったのは、彼が「見てみたいよ」と言ったからだ。手を伸ばし、彼女の外に跳ねる毛先に触れながら。見てみたい、と。
「セフィライズさん……髪を、伸ばしたんですよ」
カバンから箱を取り出して開ける。衝撃を防ぐため敷き詰められたハンカチの中に、彼から貰った青い石のネックレスが入っていた。今にも割れてしまいそうな石を眺める。
あなたは本当に、消えてしまったのですか。まだ、世界のどこかに、いるのではないでしょうか
そう思っているスノウがいる。
その時、誰かが入り口の扉を無理やり開けようとする音がした。外で男性が何か声を発している。スノウは驚きつつ窓から覗いてみた。どこか見たことある気がする男性が立っている。褪せたブロンドの髪に色白の肌、垂れ目の黄緑色の瞳、そして尖った耳。
「あ、あの……何か、ご用ですか?」
窓をあけて声をかける。木漏れ日に照らされた青年は声に気が付いて彼女を見た。驚いた表情のあと、すぐに無邪気な笑顔を浮かべる。
「やっぱりいた! 久しぶり!」
「あの、はい……えっと……」
スノウの事を知っている口調で慌てた。誰ですか? と聞いたら失礼だろうかと戸惑う。男性らしくも整った顔立ちで、しっかりとした二重の瞳を細め、やわらかにウェーブした髪を耳にかけなおしている。たしかに、どこかで会った気がするが、思い出せない。
「ここにいるって、教えてもらってきたんだ。ほんとに世界樹が生まれたんだね」
そういいながら窓の前まで歩いてきた青年は、すらっと背が高い。その顔をまじまじと見上げたスノウは、はっとした。
「まさか……テミュリエ?」
「そうだよ。気が付かなかったの?」
スノウの知っているテミュリエは、自身の胸下あたりの身長だった。幼さの残るハーフエルフの少年。半袖半ズボンの元気で可愛らしい声の弟のような子だった。だというのに、目の前に立つのは全く別の青年だ。スノウよりも頭一つ以上背が高く、顔立ちはしっかり男性で、可愛らしいなどとは決して言えない声。
「だって、そんな……背がすごく、高くなっていらっしゃって。その、声も全然……」
口元に手を押さえて狼狽するスノウを見て、テミュリエはお腹を押さえて笑った。
「あはは、スノウ全然かわらないね! もう五年たってるんだよ? 俺だって大人になるよ」
当時一二歳だった彼は、一七歳の立派な青年。
「約束通り、会いに来たよ。スノウ」




