30.終着に舞う白編 フェンリル
耳をつん裂く咆哮をあげる青い毛並みのフェンリルは、鋭い爪で足元にいた数人の兵士を薙ぎ払った。吹き飛ばされ宙を舞う彼らの体が極寒の湖へと落ちる。容赦ない圧倒的な力と凶暴な牙が、遠慮なく周囲の人間を殲滅していった。その攻撃にデューンは片手で大剣を構え耐える。大ぶりな動作の一瞬の隙を測って、ネブラはデューンを盾として使い攻撃を仕掛けていた。彼女の槍がフェンリルの前足を裂く。しかし巨大かつ頑丈なその大狼は、怒りに打ち震える雄叫びをあげ二人を威嚇した。
「下がれ!」
宿木の剣を構え、セフィライズはフェンリルへと突進した。その声を聞いたデューンが振り返り、驚いた表情を浮かべる。
「テメェ! 生きてやがったのか!」
デューンはあの時、片腕といえど大剣を振り上げ、そして肉を裂いた感触を確かに感じたのだ。そのまま崖から落ちて、生きているわけがない。
真っ直ぐ橋の上を駆け抜け、デューンの手前で大きく飛び上がった。彼らの頭上を通り、宿木の剣を大きく振りかざす。フェンリルが口を大きく開け、鋭い牙で彼の剣を跳ね返した。強い力のかかったそれを体で受け、セフィライズは吹き飛ばされながらも空中で体勢を整え着地する。再び空気を裂くように剣を払って構え直した。
牙を剥くフェンリルは、身をかがめ前足を何度も地面へと擦り付けている。歯茎が見えるほどに固く閉じた牙と釣り上がった口元から、グルルと威嚇の声が漏れていた。
「あんたには言い忘れてたわ。エルフの森で会ったんだよね」
「おいネブラ、なんで忘れてんだよ!」
フェンリルに槍を構えたままのネブラがぶっきらぼうに言う。デューンは舌打ちをしながら、首だけをセフィライズの方に向けた。
「氷狼さんよぉ。どうやって助かった? ぜってー死ぬだろ」
「あぁ、まぁ……痛かった」
ちゃんと一回死んだと思う。と言っても、その先を聞かれたら答えようもない。無視すればいいものを、なんとなく言葉を濁しながら答えてしまった。
デューンはそのセフィライズの態度を見て少し驚いた。前と印象が変わったように感じたからだ。
「この化け物が、何かわかってて剣を向けてんのか?」
「アリスアイレスの封印を解いた、その石像。そこに……」
そこに、兄さんはいるのか。そう聞こうとした言葉が止まる。デューンの口から、もしも核心の言葉が出たら。まだ少し、ほんの微かな期待が消えてしまう。もしかしたら、全てただの考えすぎだと思っていたい。
「なら目の前のこれ、ぶっ殺したらどうなるかわかってるって事だよな」
「……放っておくわけにはいかない」
「なるほど、んじゃあ、また今だけ共闘ってわけか」
デューンが口角を上げて笑った。片手で大剣を振り回し、地面に突き刺して立ち上がる。
「ちょうど俺たち二人じゃ、きついところだった」
「なんだい、一緒に殺るのかい」
ネブラも槍を素早く回し、攻撃を仕掛けてくるフェンリルの鋭利な爪を跳ね返した。
「俺らが壁になる。あんたは、わかってんだろ?」
デューンとネブラが相手の注意を引きつけ、その隙にセフィライズが攻撃を仕掛けろ。という意味だと理解し、彼は頷いた。片手で一度、くるりと宿木の剣を回す。柄を掴み直すと、背筋をを伸ばし目を閉じた。大きく息を吸い、冷たい空気を体にいきわたらせる。次に瞼を開けると、セフィライズは目の前に冷気を纏いながら唸り声を上げるフェンリルの眼光と変わらない程に、別人の瞳を有していた。
デューンとネブラはガラリと変わった雰囲気とその存在感に身震いする。変な笑いが込み上げていた。
「よし、いくぞ!」
デューンの掛け声でネブラはフェンリルに向けて槍を構え走った。その巨体からは考えられない程素早い動きを、槍で防ぎながら注意を引きつける。彼女が避けきれない攻撃は、大剣を構えたデューンがすかさず間に入って防いだ。
連携の取れた彼らが大狼の気を引きつけているその後ろで、セフィライズもまた宿木の剣を構える。フェンリルの側面に走りながらその青い毛の胴体へと突き立てようとした瞬間、身を捩り鞭のような豪速の尾がそれを防いだ。セフィライズは一度大きく宙を舞いながら後ろへ下がる。橋のらんかんに着地し、宿木の剣を構え直した。
再びその石の手すりを蹴り、高く飛ぶ。勢いをつけ切りつけようとするも、巨体すぎるフェンリルの上空を捉えることが出来ず、脇腹あたりへ太刀を向けた。前方でデューンとネブラが注意を引きつけているにもかかわらず、セフィライズの動きはフェンリルに全て把握されているようだ。すかさず身を捩り避けられ、後ろ足と長い尾が攻撃を阻む。




