29.終着に舞う白編 石像
「邪神の封印がどうなっているか気になる。見たらすぐ戻ってくるから、スノウは」
ここで待っていてほしい。そう繋がるはずの言葉を、スノウはすぐ遮った。
「行きます」
「城内を見に行くだけだから安全だ」
目の前に立ち止まったスノウは、その小柄な立ち姿からは想像できないほど強い瞳をしていた。いつも、この目を眩しいと思う。どんな暗闇の中でも、強く輝いて見えるものだ。
「安全なんですよね?」
「……そう。だけど」
そうだけれど、そうじゃない。セフィライズの思う最悪の事態が起きていたら、室内庭園を目指す先にあるのは。
「一緒に、行きます」
スノウはきっと、何を言っても折れないだろう。ここに置いていくよりも、安全なのかもしれない。セフィライズはそう考えた。
「……わかった。でも、それが終わったら。君はリシテア様と同じ避難場所に移動してもらう」
「あの……医療従事の方が、お役に立てると思うのですが」
戦時中のこの国で、癒しの力は役立つはず。そう指示されると思っていたが、セフィライズから発せられた予想外の言葉に首を傾げる。
「……これは」
生きてほしい。今も、この先も。誰よりも何よりも。
「最後の、仕事だと思ってほしい」
この先は、もう交わる事のない世界へ。関係を絶って、そして永遠に。続く先が幸せである事を祈って。
「わかりました」
城内の室内庭園まで。そこまでが、セフィライズとの最後の時間なのだと、スノウはしっかりと理解した。
セフィライズはスノウだけをヘイムダルの背に乗せ、共に走り出した。住民の避難が完了した城下町は静かで、通り過ぎる道は一緒に過ごした事のある風景が混じる。広い公園では一緒にスケートをして、あの酒場では共に食事をした。未だ城壁の外では争いの音が空気を響かせているのに、本当に時間が止まったかのように。
焦っている、早く城内へ行かなければと。それでも、沢山の記憶が、大切な思い出が。
スノウはヘイムダルの背に乗りながら、セフィライズからあの首飾りを渡されたお店を目にした。胸元にはもうそれはない。今にも壊れそうなその青い石は、大切に大切にしまってあるのだ。首に触れる、あの細いチェーンと、その石に触れた記憶を思い出して、涙が出そうになった。
城へと続く湖にかかる橋へ進もうと顔を上げた。淡く舞い散る雪の向こう側、数人の兵士が城の大扉を警戒している。その時、突如としてそれが破壊され、爆音と共に青い毛並みの巨大な狼が飛び出してきた。
セフィライズは橋の中腹で止まり、ヘイムダルに進むなと言わんばかりに手を横にし身構える。
それは、あの室内庭園にある石像の封印が解かれたものだと思った。封印が破られたのだ。誰かが邪神ヨルムの祭壇を解き放とうとしている証。
家ほど大きさがある凶暴な顔つきのその狼は、金の目と鋭い牙を剥き出しに唸っている。その足元には黒い鎧を纏った片腕の男が、デューンが立っていた。フェンリルの後ろから飛び上がるように槍を構え、妖艶さを纏った女が飛び出てくる。紛れもなく、ネブラだった。
「ヘイムダルは、スノウと離れて」
指示された通り、ヘイムダルはスノウが彼の背から降りようとするよりも早く飛び上がる。その橋の真上に浮き上がったヘイムダルの首を掴みながら、スノウが下ろしてくださいと叫んだ。
ただ見ているだけだとわかっている。何の力にもなれない。でも、一人だけ安全なところに、離れたところにいるのが許せなかった。
スノウが大きな声でセフィライズの名を叫ぶ。その彼女に向け、彼は微笑んで見せた。大丈夫、そう口を動かす。言葉は届かないだろう。
セフィライズは腰に帯びた宿木の剣を抜き、牙を剥くフェンリルの前に立った。
今までもそうだった。コカリコの街のガーゴイルの時も、ナツネのアジト近くのトロールの時も、そしてエルフの森の一角獣の時も。守護する者を滅した時、祭壇の封印は開かれるのだ。
セフィライズはこのフェンリルを殺さず、室内庭園へ急ぎ向かう事も考えた。しかしこの脅威を放置して、仮にもし、デューンとネブラが対処しきれなければ。この獣はどこに向かうだろうか。アリスアイレス王国の強固な壁の中。外に出る事など不可能だ。この街で、この国で、殺戮のかぎりを尽くすかもしれない。
フェンリルを倒す。そしてすぐに、室内庭園へと向かう。その道の先に、きっとシセルズがいるのだ。その左目の封印が、彼の魂が、揃ってしまったイシズの器へと移動する前に、止めなければならない。




