18.華燭の典編 情勢
スノウと別れたギルバートが、セフィライズの部屋に入ってくる。理由は、おそらく先ほどの話の為だ。二人はとりあえず椅子に座り向かい合った。
「さて、彼女に聞かせたくないとか言いそうだなって思ったんだけど、あってたかな?」
「あぁ、うん……」
聞かせたくない訳ではないが、きな臭い話というのがアリスアイレス王国の事なら、スノウには情報を整理してから伝える方がいいなとは感じていた。状況次第では、スノウを連れて帰らない方がいいかもしれない。それっぽい理由を準備するにも都合がいい。
「……リヒテンベルグが戦争をしかけるってもっぱらの噂だよ」
「アリスアイレスに、か」
「そう。実際アリスアイレス王国南西付近に移動していく軍隊を見たっていう冒険者も多い。物資の流れも、完全に最近はそうじゃないかって、思う感じだよ」
セフィライズはそうだろうなと妙に納得した。リヒテンベルク魔導帝国が邪神の封印を解いて回っているのなら、必ずアリスアイレス王国の、あの室内庭園を目指すはずだ。フェンリルの石像を解放し、邪神ヨルムという名の七つに裂かれた穢れたイシズの器を手に入れる為に。
今までは、世界に壁があった。それを超えると強烈な冬国となってしまうアリスアイレス王国周辺に、長期滞在するのは厳しかったのかもしれない。かといって壁の外側というなら、このコカリコが一番近いことになる。動きが速すぎる気がするのだ。まるで近いうちに壁がなくなる事を予見していたようだとセフィライズは思う。
兄さんは、どこまで知っているのだろう。
セフィライズはふと、その疑問が頭をよぎった。もし、もしもだ。シセルズが全てを知っていたら。宿木の剣の存在も、壁の事も、魔術の神イシズの事も全て。だとしたら、シセルズならばセフィライズの考えを読み、宿木の剣の力を使い壁をマナに分解する事も予見できるかもしれない。
全部兄さんが裏で手を引いていたら……
確かに辻褄が合う気がする。カンティアでは何故か、ルードリヒがスノウの力で不死者を元に戻した事を知っていた。リヒテンベルク魔導帝国宰相のニドヘルグに捕まった時、治癒術師という発言だけで彼女が切断を治す事ができるのを理解していた。そもそもスノウが切断を治したという事実を知るものが少ない。それだけでも十分、シセルズを疑う理由になる。
もっと、もっと前の記憶を辿れば最初にデューンとネブラに相対した時のセフィライズの事を「聞いていた」といった発言も。噂で、ではなくどこか確証を得たような言い方だった気がするのだ。
そして何より、シセルズとリヒテンベルクが繋がっているのだとしたら、白き大地の民が繋いできた邪神ヨルムの封印が今、彼の左目に宿っている事を知っているはずなのだ。
アリスアイレス王国と、シセルズの左目。その二つが解放されれば、イシズの器は完成する。そしてその入れ物に入る魂は。
「セフィライズ? 大丈夫?」
ギルバートは下を向き顎に手を当て暗い顔で考えている彼を心配そうに覗き込む。
どんどんど湯水のように湧いてでる疑念に首を振った。
会って話さなければわからない。違うかもしれない、違っていてほしい。でも、やはり何度考えても、兄さんしか有り得ない。
「ギル、ありがとう」
自然と略称でギルバートの名を呼ぶ。セフィライズ自身、意識すらせずについ口から出てしまった。ギルバートは一瞬目を見開き、しかしすぐ微笑んだ。
「ううん。むしろちょっと、思い詰めた顔してたから心配した。今夜はいっぱい飲んで騒ごうよ。ぜひね!」
「わかった」
セフィライズの肩をポンポンっと叩き、ギルバートは立ち上がった。部屋から出ようとする間際、立ち止まり振り返る。
「セフィライズってさぁ……たまーに、髪の毛染めたりしてる? 例えば、ほら、黒とか」
ギルバートの言葉に、セフィライズはなにが言いたいのか、一瞬で理解できてしまった。はぐらかさなければ、といつもならば思う。しかし少し考えて、そして微笑みながら答えた。
「……そうだな、たまに、なら」
含みのある回答の仕方。ギルバートはそれを、そういうことだ、という肯定の意味で取った。言葉には出さない雰囲気でのやり取り。でも、ちゃんと伝わった。
「ふーん、そっか。じゃあ、僕もこれから、なんだっけ? セフィって呼んでもいい? お兄さんにそう呼ばれてたよね?」
一瞬、彼の脳裏にシセルズの顔がよぎった。自分に似た顔立ちの、赤茶色の髪の毛の兄が微笑みながら名前を呼ぶ、その瞬間を。
懐かしそうに目を細めながら、彼は頷いた。




