14.白き大地編 焚き火
雨で濡れた服を脱いで、その辺りの瓦礫に干すように並べた。スノウは肌着だけの姿で、恥ずかしそうに膝を抱え、傍らに一角獣の角を添えて座る。焚き火の前で暖を取りながら、自身の服を絞り上半身を露わにしている彼を見上げた。
彼の色白で鍛え抜かれたしなやかな肢体に、痛々しい傷跡が数箇所も残る。特に腹、へその横に抉られたような古傷。これと同じ光景を、どこかで見た。
髪を黒に染め、雨の中手をひいてくれたあの時の彼と壁を越えた先だ。焚き火の周りに座って、一緒に服を乾かして。スノウは思い出すとなんだか懐かしさからかくすりと笑ってしまった。
スノウが口元をおさえて笑っているのを、セフィライズは焚き火を挟んで反対側に座って見た。口元を抑える手に握られてているのは、あの後一緒に探した青い首飾りだ。はみ出したチェーンが、ゆらゆらと炎の光に当てられ輝いて見える。
「……ごめん」
「いいえ、これも……これも、思い出ですから」
あの雨の中、二人で探した青い首飾り。苦労して見つけたそれは、表面の部分に酷い割れ目と石の奥深くまで亀裂が入っていた。首に下げていたら自然と割れて壊れてしまいそうなそれを、もう身につける事はできない。
焚き火の明かりに当てると、その亀裂が複雑な光を灯して逆に美しく見えた。繊細で、奥ゆかしくて、謎めいていて、綺麗なその青い石。
「ふふっ」
彼女は思わず笑い声が漏れてしまった。それをまた、彼が不思議そうに見る。
この青い石が、どこか彼に似てると思ったからだ。
「あの……どうして、その……あの時。髪を黒くして、その……」
彼女の言うあの時が、セフィライズにはすぐわかった。膝を抱えながら、炎の揺らぎの向こう側にいる彼女を見て、そして視線を落とした。
「……アリスアイレス王国には、返せないぐらいの恩がある。あの時は、藁にすがる思いだった。自分の目で確認して、自分の手で一刻も早く……でも、この見た目では、動けないから」
あの時の事を思う。今でもはっきりと覚えてるのは、彼女の戸惑いながらもしっかりとした強い色の瞳だ。どんな辛い事、悲しい事があっても、瞳の奥に消えずに灯っている。今も。
「どうして、カイウス様の名前を答えたのですか?」
「決めてなかったから。咄嗟に出てきたのがそれで……今思えば、失敗だった」
彼女には少し悪い事をしたなと思っていた。あの時は、こんなに長く行動と共にするようになるとは欠片も思っていなかった。もう二度と会うこともない人だと思っていたのに。
スノウは彼の言葉を聞きながら、再び握りしめていた青い石を炎の光に当てた。複雑に輝くそれと、炎の揺らぎの向こう側にいる彼と重ねてみる。たくさんの時間を一緒に過ごして、心の近くまで行けたなと思った事もあった。今はどうなのだろう。遠いだろうか、手を伸ばせばすぐそこに、いるのだろうか。
「わたしは……」
「君と……」
ほぼ同時に声を発してしまって、思わずお互いの顔を見る。ごめんなさいとスノウが口元をおさえると、彼も視線を横に流して口籠る。
「あの」
「……君と、これから……一緒にいる事はできないけど。いつも、君の幸せは想ってるよ」
それは心から思っている事。一緒にいたい、しかしそれは叶わないと分かりきっている。終わりが、すぐそこにあるのだから。
「はい、ありがとうございます」
スノウはそれを、好きだと言った事へのしっかりした返事だと受け取った。人として大切にしてくれているけれど、そこに恋愛感情はないよ。そういう意味だと。
「よかったです。セフィライズさんで、よかった。わたしは……きっとこれからも、ずっと。この気持ちは忘れませんし、大切な思い出の一つに、なったらいいなって……」
沢山の月日が流れたら、いつか眩しい思い出に変わるはずなんだ。今は辛くても、今は悲しくても。あの頃は……と言える日が来るはず。思い出を馳せて、目を細めて、心に手を当てて。
今でも好き、でももうとても懐かしい。そうはっきりと言える日が、来るはずなのだ。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
それでも今、悲しい事には変わりない。辛い事には変わりない。一緒にいたい、これからもずっと。できれば手を取り合って、前を向いて、一緒に。でもそれは、叶わない。
自然と涙が溢れる。セフィライズの前で泣いてはいけないとわかっているのに。困らせるだけで、卑怯だ。それでも止まらないから、スノウは謝りながら額を膝につけて声を押し殺して泣いた。同情から来る優しさが欲しいみたいな、そんなふうに見えないだろうかと思う。
「スノウ、ごめん」
揺らぐ炎の向こう側で、顔を上げた彼がまっすぐスノウを見ながら言う。
夜、雨音の中に彼女の嗚咽だけがしばらく響いた。




