10.白き大地編 崩壊の足音
「セフィライズさん、どう」
どうしましたか。その続きの言葉を発しようとした瞬間、目の前の彼の体がうっすらと透け出した。胸の中に浅いカップ咲きの花が浮かんで青白い光を放っている。彼もまた、自身の体がその花を中心に透け出した事に気がついて、持ち上げた手を握りしめ眉間に皺を寄せた。
「スノウ……」
振り返った。スノウを見たその瞬間、身体中に引き裂かれそうな程の痛みを感じ膝をつく。両手で体を支えるもすぐに崩れ落ちた。手が、体が、何度も点滅するかのように透けている。
「セフィライズさん!」
スノウは慌てて駆け寄り、彼の体に手を伸ばした。しかし。
「あっ」
倒れる彼の肩に手を添えようとしたのに、まるで何もない空間を触るかのように通り過ぎてしまったのだ。触れない、透き通る彼が胸元を押さえながら苦しそうにしている。そこにいる、まだ見えている。何度も手を伸ばして触ろうとしても、体に触れる事ができない。
「どうして……!」
消える。彼が消えてしまう、そうスノウは咄嗟に思った。
白き大地の民は、死体すらマナに変換され消えてしまう。
「宿木の剣を、とって……」
幾度となく緩やかに体が透過しては戻る彼が、手を伸ばしすぐそこの宿木の剣を指差す。スノウは素直に手渡そうとしたその時。
「待って!」
ヘイムダルが叫び、スノウを遮るように走り寄ってくる。それに気がついたセフィライズが、上半身を起こしスノウへと手を伸ばすが、彼女は咄嗟に避けてしまった。
「スノウさん、ダメです! 渡してはいけません!」
「ヘイムダル……」
ヘイムダルはすぐさまその枝角で、先ほどスノウが触れる事ができなかった彼の体を的確に押さえつける。苦悶の表情の彼の体は、枝角に触れられた瞬間から次第に透過が穏やかになった。共鳴するように白い枝角もまた発光を繰り返す。
「まだっ……間に合うから……」
セフィライズは宿木の剣を抱えるスノウへ手を伸ばす。渡して欲しいと繰り返した。
間に合う。まだ間に合う。きっと全てをマナに変化しきっていないのだ。まだ残っているのだ。マナは絶対に足りたはず。
ーーーー次は分解される。
枝角を媒介し、ヘイムダルはセフィライズへと直接意識を送る。伸ばした手を悔しそうに握り締めた。
ーーーー足りるはずだ。足りたはずなんだ。もう一度、まだ残っている。
あの壁の中でイシズが放った言葉は、確かに世界樹を芽吹かせるに足りると確信を持たせるものだった。あちらにはもう、目覚める手段がない。しかしあの場所でならと。その残された世界樹の根を全てマナに変換したのだ。絶対に足りているはずだ。芽吹かなかったのは、何かの間違いで、まだマナになりきれていない世界樹の根が残っているのだ。だから今一度、宿木の剣を使いマナに変化させれば足りるはず。
ーーーーいいえ。次に宿木の剣の力を使えば、器が持ちません。
「まだ……間に合う……」
「我はまだ、孤独にはなりたくない」
ヘイムダルが一段と強く枝角で彼の体を押さえつける。淡く何度も透明になっていた彼の体は、しっかりとした実体を取り戻した。悔しそうに伸ばした手が地面を掴み握りしめる。
「スノウ、頼む……」
剣を抱え込み、不安そうな表情の彼女に今一度。指先が震える。意識が遠くなって、まだ間に合うと繰り返しながら彼は動かなくなった。
ヘイムダルがゆっくりと枝角を浮かし彼から離れた。スノウはなるべく宿木の剣を遠くに投げ、セフィライズへ近づく。そっと手を伸ばすと、先ほどは触る事すらできなかった肩に当たった。
「セフィライズさん?」
優しく彼の体をゆする。反応がなく、スノウは上半身を抱き締め仰向きにさせた。口元に触れるとしっかりと息がある。目を閉じぐったりとした彼を見るのは何度目だろうと思った。
「ヘイムダルさん、まだ間に合うって……どういう事なんでしょうか。どうして、さっき……」
何故、彼の体がうっすらと透けて、そして触れる事ができなかったのか。その体の中にある花は、あれが『世界の中心』なのだろうか。どうしてあんなにも、追い詰められたかのように行動していたのだろうか。
「すみません……」
ヘイムダルからは話さない。そう約束したから、彼は何も言えなかった。首を振りながら数歩下がる雄鹿をスノウはただ見つめる。そして気を失う彼に再び目を落とした。
やっと、全てを話してもらえたと思ったのに。
やっと、心のそばまでいけたと思ったのに。
結局は何も、何も知らないままだ。
「……わたしは結局、何も……何もできない。あなたに……何も……」




