9.白き大地編 根の解放
スノウが複雑そうな表情を浮かべながら見上げてくる。思わず、その外にはねる特徴的な金髪の端へと手を伸ばしていた。指の腹が毛先に触れて、そしてすぐ手を下げた。
息が詰まりそうだ。なんだかとても、苦しい。
宿木の剣を使い、かつてあった世界樹の最後の根を分解しマナへ変換する。どのくらいのマナが世界を満たすかもわからない。しかし彼らの見た巨大なあの根が全てマナになれば、おそらく足りるのだ。
セフィライズの中にある『世界の中心』を、芽吹かせる為に必要な量に。
芽吹かせた後、どうなるのかがわからない。宿木の剣の分解の力で、白き大地の民としての器もまた分解されてしまうのかもしれない。そのまま、形を保っているのかもしれない。
「……すぐ、終わるから。ヘイムダルと離れていて」
別れの言葉が一瞬、喉元まで登ってきたのはおそらく、一緒に分解される可能性の方が高いと思ったからだ。
ヘイムダルが背を向けその場から移動する。スノウも一緒に離れようと動くが、なぜかとても後ろ髪を引かれてしまう。何度も振り返ると彼は、ただ黙って先ほどまで寝転んでいた地面を見ていた。
段々と少なくなるマナ。少しずつ……本当に少しずつ、生活が苦しくなっていく。生きる事に必死になっていく。少し前はよかったのに、何がそんなに変わったのかわからない。
それぐらい微々たる変化は、人間を徐々に慣れさせていくのだ。
こういうものだ。
世界とは、元からこういうもの。
自分とその周りだけが良ければいい。生きていければいい。目線は個人へと向かい、薄れていくのは人との繋がり、想いやり。何かから搾取しそして利益を得て、そうでないと生きていけない息苦しさ。
芽吹かせるだけに十分なマナはない。だからもう、このままでいい。段々と、そして終わっていく。ゆっくりと堕ちていく。それでいいと全てを諦めていたのに。
セフィライズは宿木の剣を取り回す。胸の前に掲げて、そして水平に下ろした。息を吸い込む。目を閉じ、今までの全てを思い出す。
自分にとって大切なものはなんだろう。
全てどうでもいいと思っていたのは、この世界に大切なものがなかったからだ。続く世界に何の希望もなかったからだ。
結局、世界のためにとかそんな大それたことじゃない。望むのは、願うのは。ただ小さな自己中心的な想い。
セフィライズはミストルテインを地面へと突き刺した。地面から風が舞い始め、彼の銀髪を揺らす。流れが見えるかのように光の筋が重なって、灯火が溢れては消える。宿木の剣の刀身が激しい光を放ち、一瞬全てを飲み込んだ。
ーーーー全てを、マナに変換して。どうか
どうか『世界の中心』が、その本来の目的を達して、この世界の礎に。
しかし脳裏に残る、本当の想いは。
君と一緒にいたい。
彼が宿木の剣から放つ光に包まれる。激しい発光に、スノウは顔を手で覆った。次の瞬間、身体中を撫でるような風が舞い上がる。それがとても温かく、そして直感的にすぐわかった。
今までに感じたことがないほどの、大量のマナの風だ。
止まる事を知らず、宿木の剣の突き刺さった大地から、湯水のように溢れるそれ。世界中に広がり満ちていくかのようだ。今まで息苦しいとは思った事なかったはずなのに、呼吸が心地よい。その変化は、彼が残った世界樹の根をマナへと変換している事実に他ならない。
遠くで分厚い氷が割れるような高い音がこだまする。空からその音が涼しげに降り注いでくるかのようだ。それは白き大地を中心に世界に張り巡らされていた壁が崩れる音だった。
何色とも言えない無彩の揺らめきを秘めた壁が、空中で離散しマナになって溶けていく。壁はこの世界に具現化した、かつてあった世界樹の根の痕跡だったのだ。
風が止むと、スノウは自然と喉に手を当て深呼吸をした。空気が、軽く感じるのだ。今までが重すぎたのではないかというほど、体もどこか気持ちが良い。これがマナが満ちたという事なのだろう。
「すごい」
すごいすごいと繰り返し、スノウは喜んでいた。世界が色を変えたように感じるのだ。
まるで、新しい世界が出来上がったようだと思うほど、全く感覚が違う。
しかしセフィライズは大地に突き刺したままの宿木の剣の柄から手を離し、震えながらそれを見つめていた。
体が消えなかった。違う、体の中にまだあるのだ。『世界の中心』が、まだ。
「足りなかった……?」
彼の顔に絶望が浮かんだ。足りると思った。いや足りなければ困る。これ以上、この世界のどこにも、『世界の中心』をセフィライズの意思で芽吹かせるだけのマナは存在しない。




