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7.白き大地編 木の実




「まだ、寝てたほうがいい」


 立ち上がったセフィライズがコップに水を入れて持ってきてくれる。ベッドの側に立った彼から受け取ると同時に、その手が額へと触れられた。


「少し熱がある」


「ごめんなさい。あの、あの袋なんですけど……」


 テーブルの上へと視線をやると、彼が振り返った。


「頂いた。ダメだったかな」


 スノウは彼がもうコゴリの実を食べてくれたんだと思うと、嬉しかった。


「いいえ、その……セフィライズさんにもと思って、もって帰ってきたので。ぜひ全部」


「全部はいいよ」


「なら半分、ですよね?」


 いつも遠慮するから。スノウは小さく笑い口元へと手を持ってきた。同時に咳をしてしまう。


「横になって」


 彼の手が彼女の体を押す。ベッドへと再び横になったスノウは、ほんの少し嬉しかった。彼に見えない壁があったからだ。でも今は、それがない気がする。以前の、関係と同じ雰囲気。


「あの……白き大地に、何を……されに行くのですか……」


 横になりながら見上げる彼は、まるで半透明のような笑顔を浮かべている。少し言葉を選んでいるようだった。

 セフィライズは少し悩んだ。何も言わないほうがいいのはわかる。でも何も教えないというのも、違う気がするのだ。


「……最初に、コカリコの街にあった、ヨルムの石碑を覚えているか」


 セフィライズはスノウに邪神ヨルムの封印について説明をした。七つ封印のうち、五つの封印が破られ、残るところあと二つ。彼女に残りの二つの封印の場所を伝える際に口ごもった。一つはアリスアレス王国の室内庭園にあるフェンリル像の下。そしてもう一つは。


「白き大地の封印は、破られてない」


「だから、白き大地に行くのですね」


「ううん……兄さんの……左目を覚えているかな。目尻に、アザがあるのを」


 セフィライズは悩んだ。はっきりと、シセルズの目の中に、邪神ヨルムという名の魔術の神イシズの器の一部、心臓の封印がなされている事を伝えるかどうか。

 ヨルムがイシズの器である、という事実は伏せ、言葉を選ぶ。


「兄さんの、左目に白き大地が守ってきた封印がある。アリスアイレスには今、残りの二つが揃ってる。だから」


 スノウは無意識に左目尻に触れた。封印が目に、という事自体が驚きである。しかしここで、何故という言葉は使わなかった。そのままを受け入れ、頷いて彼を見上げる。


「なら、先にアリスアイレスに行った方が」


「リヒテンベルクの目的は、この世界のマナを補填する事だ。ヨルムをそもそも復活させようと、思わないようにすればいい」


 一緒に見た、壁の中の世界の話をする。あれはかつて白き大地にあった世界樹の根の残り。徐々にマナに溶けて消えていくそれらを、宿木の剣(ミストルテイン)一度にマナに変換し世界を満たす事ができれば。そもそもヨルムなど復活させなくてもいいのだ。


「その……為に。ヘイムダルさんと契約をされたんですか?」


「……そうだよ」


 スノウは胸元に手をあて、何度か息を飲んだ。セフィライズから聞いた話を頭の中で何度も繰り返す。

 セフィライズがヘイムダルと契約したのは、シセルズのため。邪神ヨルムの復活を阻止するため。その為に白き大地へ向かい、残存する世界樹の根をマナに変換しようとしている。痛いほど理解できたのに、とてもつもなく言葉にならない不安が胸を締め付けた。


「……セフィライズさんに……何も、その……お体には、何か」


「問題ない」


 スノウが見上げる彼の表情は、いつものように優しい顔をしている。なのに。どうしても。


「わ……わたしにできる事が、あれば」


「大丈夫。君は……」


 君はこの先を、何も心配せず、何も怖がらず。ただ真っ直ぐ前を向いて歩いてくれればそれでいい。無くなってしまうかもしれないこの道を、必ず続けさせてみせる。


「できるだけ早く、行動したい。だから早く治して一緒に」


 一緒に行こう。そう言いかけた言葉を止めた。本当は、一緒に来てほしくないはずなのに。彼女の安全を考えれば、ここに置いていく、もしくはアリスアレスに連れて行くのが正解であるはずなのに。


 一緒にいたいと、また思ってしまったのだ。疎遠にすべきだとわかっているのに。


「ううん。おやすみスノウ」


 スノウは背を向けて去っていく彼に何も言えなかった。何度も何度も彼の説明を繰り返して、その最後、暗闇の中でポツンと立っている彼が見える気がするのだ。手を伸ばさないと、引っ張らないと。そう思っても手が届かない。










 

 スノウがすっかり回復すると、出発の準備もそこそこにウルズの泉のほとりに集まっていた。一角獣(ユニコーン)から頂いた美しい角に穴をあけ紐を通し、それを腰回りに巻きつけて所持している。その角にそっと触れながら、泉と周囲を見渡した。ほとりに埋葬したスヴィーグの墓に頭を下げる。亡くなった白き大地の民をマナに還すその儀式を思い出しながら、泉に光差す空を見上げた。


人間は皆、死んだあとこの世界に残るものを作る。墓だ。そこに行き祈りを捧げ故人を想う事で、心の整理や懐かしさを感じているのだろう。

 しかし彼らは違う。白き大地の民は、死ぬと跡形ものく無くなって、世界の一部になって。形あるものは決して残さない。

 

 彼らは、この何も残らない世界でどうやって故人を想い、何にすがって生きていくのだろうか。





 

 セフィライズが彼女の肩を叩く。振り返ったスノウは、憂うような表情を見せていた。普通の鹿の姿だったが、今は馬のように大きくなったヘイムダルの背に乗るよう促される。彼の手助けを借りながら、よじ登るようにしてまたがった。


「お、重くないですか?」


「大丈夫ですよ」


「あ……」


 揺れる視界の端、木の幹に手をあて体を隠したテミュリエが見えた。ヘイムダルも気がついたようだが、しかし何も言わず目を閉じ背を向ける。

 スノウはテミュリエに手を振った。声を出さず口を動かし「またね」と伝えると、少年もまた頷く。


「行こうか」


 そのやりとりを隣で見ていたセフィライズもまた何も言わず気がつかないふりをして、ヘイムダルの背に乗る。スノウの後ろから、彼が手綱を持つと、自然と体が密着して、それがとても恥ずかしかった。



 ヘイムダルが足を進める。その先は地上ではない、空中の見えない階段を登るかのように。浮いていく事が怖くて、スノウはさらに腰がひけ前屈みになった。


「大丈夫、落ちない」


 怖がっている事に気がついたセフィライズの手が、腰を支えるように伸びた。それも恥ずかしくて、変な声が出そうになるのを押し殺す。

 段々と背の高い木々の間を抜け、エルフの森(ホルトゥラーヌス)の上空へ。森の奥、異様な霧に包まれた場所があった。空なんて飛んだこがない。当たり前なのだが見たことのない景色に、スノウは恐怖と好奇心がせめぎ合った。


「壁を通ればすぐです。セフィライズ、お願いします」


 森の奥を背に、四つ足で空を駆けるヘイムダルが言う。目の前には空高くどこまでも伸びる壁があった。すぐ目の前にあると思ったそれだが、実際移動するとかなり距離があった。

 浮いている事に慣れる頃、その何色とも呼べない光彩を放つ壁の目の前でヘイムダルが止まった。その揺らめきを見るとふと思い出し、腰に添えられた彼の手に目を落とす。骨張っていて、スノウよりも白い大きな手。片手でそっと、被せるように触れた。

 下を向いたまま手に触れてきたスノウの背中が、なんだか苦しそうに感じる。セフィライズはどうした、と聞きそうになったがここはあえて何も言わない事を選んだ。

 スノウの添えられた手から逃れるように、彼は手を壁にかざす。目を閉じ息を吸い込むと同時、一言も発せずとも目の前の壁に穴が空いた。しかしそれは、反対側を見せている穴ではない。真っ白で何も見えないのだ。それを見た彼女がセフィライズの顔を振り返り見上げるのと、ヘイムダルが動き出しその円へと飛び込むのはほぼ同時だった、


 視界が白に染まる。しかしそれは一瞬で透き通るような青に変わった。

 どこまでも高く続くような空。雲一つない蒼天。真下に広がるのはエルフの森(ホルトゥラーヌス)ではない。

 連なる白い山々が円をなして繋がっており、囲まれた土地はまるで一つの山の頂きを掬い取ったかのようだ。白い山脈と対比するかのように青々とした草原が広がっているが、その中央になるにつれ段々と白へと変わっていく。そして中心には、街があったのだろう瓦礫が無惨な姿を晒していた。


「白き大地、ですか?」


 スノウは眼下に広がるそれに指をさす。回答がない彼へ振り返ると、複雑な表情を浮かべながら彼もまた下を見ていた。


「そうだよ」





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