3.涙雨と救出編 移動
かつてコンゴッソは、荒れ果てた不毛の大地にすぎなかった。風が砂塵を巻き上げるだけのその土地にに流れる小川の周囲に、流れ者たちが根を下ろし始め、ぽつぽつと小さな集落が生まれる。
しだいに。仕事を求める荒くれ者、ひと旗揚げようとする柄の悪い連中が集まりはじめ、混沌の中に秩序をもたらすため、冒険者ギルドが設立された。
時が流れ、次第に各国の商隊がこの地を通るようになる。物資や人が行き交い、やがてコンゴッソは自然と発展の道を歩み始める。物流の要として、冒険者たちの拠点として、ついには世界最大のギルドを擁する都市へと成長を遂げたのである。
セフィライズはその冒険者ギルドのあるコンゴッソへと到着した。一般冒険者として活動できればと、セフィライズは以前より冒険者ギルドには登録済みである。
当時、何かしら適当な名前を述べた彼。最初の名前は、もはや思い出す事もできない。それぐらい、セフィライズにとって、どうでもいい事だった。
ギルドではいつの間にか彼の事を黒曜の霜刃と二つ名で呼ぶようになり、気が付いたら黒曜が彼の名前になっていた。
黒髪のセフィライズは入口から静かに入ると、騒がしかったギルド内は一瞬で静まり返った。全員の視線が彼に向けられる。
彼は、この街ではちょっとした有名人だ。
というのも、仲間と共にこなす任務でも、単独で請け負う依頼でも、その実力は他の冒険者とは明らかに一線を画している。セフィライズ自身は、できる限り目立たぬよう振る舞っていた。そう、手を抜いているつもりだったのだ。
だが、白き大地の民としての研ぎ澄まされた感覚と、持って生まれた高い身体能力が、彼を凡庸には留めておかなかった。しかし、彼の人と上手くなじめない人となりのせいで、あまりいい意味の有名人ではないのだが。
「やぁ黒曜君。久しぶり」
セフィライズは後ろから聞いたことがある声がして振り返った。焦げ茶色の髪、周囲よりも頭ひとつ飛び出た長身。他とは違う清潔感のある身なりの男、冒険者のギルバートだった。
「ギル……」
正直なところ、セフィライズに気安く声をかけてくるような物好きな冒険者は、ギルバートくらいのものだった。
背の高いその男は、珍しく積極的に距離を縮めてこようとするタイプで、何かと話しかけてくる。そんな時間を何度か重ねるうちに、セフィライズも自然と気を許し、愛称で呼ぶぐらいには親しみを感じていた。
「本当に久々に君を見たよ。今まで何してたの? 黒曜君の話をすっかり聞かなくなったから死んだって噂まで流れてたよ」
「別に……用事がなかったから」
用事がなかったのは本当だった。セフィライズはアリスアイレス王国で堅苦しい服を着て、やりたくもない接客と事務に明け暮れていた。
一目でわかる通り、普段の彼は白き大地の民としての特徴を隠してはいない。アリスアイレス王国は、対外的に人種や信仰、民族の垣根を越えた平等を掲げており、その理念を体現する象徴として、彼の存在は不可欠だったのだ。
「で、今回は何を探してるのかな?」
ギルバートには、彼が金を稼ぐ為に働いているようには見えていなかった。含み笑いを浮かべ、手を壁につきながらセフィライズを覆うように体を預けた。
このコンゴッソで仕事を求める冒険者は、腕が立つが頭が悪く、素行も悪いので他に仕事がない人間が多い。もしくはその腕で大金を稼いでやろうという意気込みがあるかだ。
しかし彼はどうだろうか。いつも仕事の内容の方を気にしている節がある。金銭に関しても無頓着で、何を目的にしているのかよくわからないように感じていた。
ギルバートからすれば、それがいつも何かを探しているように見えたのだ。
「何も、探してない」
「そうだろうか。僕には、ずっと君が何か僕達とは違う目的を持って依頼を選んでいるように見えるよ」
核心を突かれた表情を浮かべたセフィライズに、ギルバートは笑って見せた。彼の、こういうわかりやすいところが好きだった。
セフィライズはギルバートという長身で作られた壁をするりと抜け、依頼や求人が貼られた壁の前へと移動する。壁の端から、セフィライズは探していたものを見つけた。
「え……」
黒曜の霜刃に扮したセフィライズが取った依頼に、ギルバートは驚いた。その片割れを、ついさっき別の冒険者が持って行ったのを見たばかりで、内容を把握していたからだ。
「そんなの受けるの?」
破格の報酬。人が集まらないからか、コンゴッソにまで貼られているような、遠方での求人。
嫌煙されるのには理由がある。誰もやりたがらないそれは。
「いい、内容じゃないよ」
「知ってる」
奴隷の護送。コンゴッソから真っすぐ南にあるベルゼリア公国のソレビアという街から出発し、このコンゴッソへと戻ってくるのだ。
「印象悪くなるよ?」
大金が出るが誰もやりたがらない。借金を背負った者、依頼主に弱みを握られた者。待遇も良くなく、奴隷商の護衛に手を出す者は少ない。それにこれは、主に性奴隷だった。
「元々悪い」
「まぁー……それはそうだけどね」
ギルバートあえて言葉を濁さなかった。突然現れ、黒曜の霜刃という二つ名と共に持てはやされるようになったセフィライズを、よく思わない冒険者もいるのは事実だった。それに、あまり他と打ち解けようとしない。ツンとした態度が気に障るという者が沢山いるのも致し方ない。
「さっき持っていかれたやつのほうがまだマシだったね」
「……内容は?」
「白亜の子供が生きたまま捕獲されたらしい。それを含めた子供が商品みたいだった」
白亜とは、白き大地の民の蔑称だ。
世界で最も広く信仰されているノルド教では、白き大地の民は、かつて世界の礎であった世界樹が炎に包まれ、灰と化したその場所から生まれ落ちたと語られている。創生と魔術の神イシズを信仰し、銀髪と銀の瞳、雪のように白い肌を持つ。その誕生の由来と見た目からとられた蔑称が白亜だ。
リヒテンベルク魔導帝国で信仰されているノルド教の神罰派は、彼らこそが世界樹を枯らした元凶であり、世界に仇なす存在であると決めつけている。そのため、数年前リヒテンベルク魔導帝国から殆ど根絶やしにされた彼らは、高度な魔術が使える人材としても貴重な材料とてしも、闇の世界では高く取引される。何故なら、このマナ不足の世界で、彼らの血肉は大量のマナに変換されるからだ。
「なるほど……」
今回、カイウス王子の呪いの件がなくその依頼を見ていたら、おそらくそちらを受けていただろう。合わせてその白き大地の民が本物かどうか、確認できるすべがないかと思考を巡らせた。
「黒曜君はこのあと暇なのかな? よかったら久々に飲もうよ」
「いや、もう出る」
「遠くなるからね。最短は南に下るのが一番だけど、壁はどうするの。あそこの壁の中は雨ばっかだし……」
この世界には、大地を分断するように走る壁が存在する。それは、真の意味で分断しているのだ。
それが現れたのは二六年前。生命と豊かさの源であるマナは、壁によって区切られ、それぞれの領域に閉じ込められてしまった。中には、遠く離れた異国の壁内で、すべてのマナが使い尽くされ、人の住めぬ荒れ果てた大地さえ存在するという。
「すぐ南から行く」
「あそこは国がないから門が設置されてないよ?」
人や物資を通す為、壁に設置されている門。それがある場所では、時間を決めて魔術師達が壁に穴を開け、人や資材を通す。しかし門がない場所では、強大な魔術を使える者がいなければ、壁に穴をあけ続ける事は困難になる。
ギルバートの心配をよそに、セフィライズは下を向いたまま薄く笑った。彼にとって、壁を越えるなど造作もない事だったからだ。