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1.眷属との誓い編 望むもの





 木々の葉が擦れる音が、まるでさざなみのようだった。霧がかった森はまだ光が届いておらず、鬱蒼とした空気が広がっている。日が登り始めると、湿気た空気が段々と乾きその香りを変化させていった。その森の、ウルズの泉のすぐそばの岩の上。セフィライズはそこに座って水面を眺めていた。風が湖面を撫でるたびに、揺れる光。

 彼の耳に蹄が地面を蹴る音が聞こえて振り返ると、泉のそばに埋められた一角獣(ユニコーン)の墓の前に立つヘイムダルがいた。その盛り土に枝角を触れさせている。首を上げた彼は、岩の上に座るセフィライズを見た。


「彼は本当に……本当に昔からの、大切な友人でした」


 一角獣(ユニコーン)のスヴィーグの死を悼む。しかし彼の死がなければ、おそらくヘイムダルは死んでいただろう。あの場で、テミュリエが心臓を抉り、スノウへ無理やり血を、飲ませていなければ。


「テミュリエは?」


「あの子とは、もう……」


 ヘイムダルには痛いほど理解できている。テミュリエのおかげでここにいると。しかし、もう共に過ごすことはできない。

 神獣である一角獣(ユニコーン)を手にかけるという、神への冒涜。どんな理由があろうと、許される事ではない。テミュリエには、神々かその領域を同じくするものにしかわからない、堕ちた者の烙印が刻まれているのだ。ヘイムダルが共に居たいと願っても、もう。


「もう、共にはいれないのです。彼の成長を、隣で感じられないのは、とても残念ですが……」


 ヘイムダルはゆっくりと、セフィライズの元へ向かってきた。目を閉じ、昔を懐かしむ表情を見せる。


「我は、テミュリエのおかげで、どれだけ楽しい時間を過ごしたか」


 ヘイムダルはテミュリエどの日々の思い出、そしてそのもっと昔の、まだ世界樹があった時代の記憶まで遡る。マナが世界に満ち溢れ、仲間達が生き生きと楽しく暮らしていた世界。


「大切な人を失うというのは、耐え難い痛みです」


 その痛みを感じたことがないまま過ごしてきたな、とセフィライズは思った。大切、というものを感じられなかった日々のほうが長かった。

 しかし今、その大切が失われるかもしれない。兄の……セフィライズの兄、シセルズが本当に彼を裏切り、イシズの器を復活させるリヒテンベルグ魔導帝国の策に手を貸していたら。シセルズの左目に宿った封印が解かれ、彼の魂が穢れたイシズの器にはいってしまう。

 人としての、死。そして、神になるのかもしれない。


 死なせたくない。大切な、たった一人の家族。何を想い、何を感じ、そして何故。


 何故、こんなことをしようと思ったのか。


 セフィライズは今すぐどうにかしたいのに、どうする事もできない歯がゆさに顔をしかめた。そしておそらく何もできないまま終われば、ヘイムダルが言うような耐え難い痛みを味わうこととなる。


 ヘイムダルは目を細めてセフィライズを見ている。ゆっくりと彼のいるその岩の上に登った。


「これから、どうされるおつもりですか……」


 復活していくイシズの器。

 《大いなる願い》が発動している今。

 新たな世界樹を芽ぶかせるためのマナもない。


「助けたい……続け、たい」


 シセルズと話をしたい。この疑念を晴らしてしまいたい。確証がないと疑っても、もうこれしか、兄の裏切りしか答えが出ない。

 兄を見殺しにはしたくない。このまま何も手を打たず《世界の中心》を芽吹かせられないまま終わるわけにもいかない。


 大切な人が、生きていく世界だから。


「スノウさんの為、ですか?」


「……」


 答えられなかった。どんなに辛くとも、セフィライズの心に、最後に浮かぶのは彼女の穏やかな笑顔だった。兄のことで悩んでも、打つ手のない《世界の中心》を芽ぶかせる事に苦しんでも。最後に、最後に……。

 手を、伸ばさないと誓った。スノウと共に生きることはできない。《世界の中心》を芽吹かせれば最後、セフィライズの体はマナに溶けて消える。魂は輪廻へ戻る。だから、スノウのこの先の未来を、幸せを守れさえすればそれでいいと。

 ただ時々、誓ったはずなのに。心に決めたはずなのに。どうしようもなく胸が痛くなる事がある。


 ただ一緒に、生きていきたいと思ってしまう。

 隣にいてほしいと願ってしまう。

 手を、離したくないと、強く……。


「スノウは、自分以外の誰かと、この先の未来を幸せに生きてくれれば、と……強く願う」


「それは、心から思う事ですか?」


 もしも、こんな器でなければ。

 『世界の中心』の入れ物じゃなければ。


「……言葉には、出さない」


 浮かび上がる文字を声にしてしまえば、決意が揺らぐと思った。時間が許される限り、この気持ちを黙ったまま、ただ傍で彼女の幸せを眺めていれればそれでいい。

 

「イシズの残した《大いなる願い》を書き換え、この世界に新たな樹を芽吹かせたい」


 終わりゆく世界の未来を、ただ続けたい。心から大切に想う人達の為に。


「もうそれ以外、望むものはない」


 今芽吹かせる事ができたのなら、世界のマナ不足は解消される。シセルズが穢れたイシズの器入ることもないはずだ。彼らの目的は、この世界のマナ不足を、たとえ穢れていても補填し、存続させようとしているのだから。


「その先は……」


「先は、ヘイムダルが見ればいい」


 望む未来を、自らの手で掴みにいくのだ。何もしてこなかった、何もしようとしなかった過去と比べたら、今の方が何倍も。

 絶望なんてかけらもない。

 強がっているわけではない。なのにどうして、まだ少し胸が痛むのだろう。下を向いて、出した結論を噛み締めてしまうのだろう。


「この世界のどこに、世界樹を芽吹かせるだけのマナがあるか……ずっと、考えている」


「……契約を、しましょう。宿木の剣(ミストルテイン)は時間と空間を切り裂き、物質を分解し創造する事ができる。正式な所有者となれば、あなたにその力を使う権利が与えられる」


 セフィライズは今、ヘイムダルが改めて宿木の剣(ミストルテイン)の力を説明した事には必ず意味があると感じた。


「空間を裂き……分解し創造する……」


 まるでイシズの残した《大いなる願い》のようだ。世界を一度マナに分解し、そして新たな世界を創る。


「……残された、世界樹の根を……宿木の剣(ミストルテイン)で、マナに変換できるだろうか」


 セフィライズは壁の中の出来事を思い出しながら言った。あそこには、冥界の神ウィリと共に巨大な根が存在していた。少しずつ淡い光が昇っていくそれは、紛れもなくマナだった。

 残された根が、少しずつマナとなって溶けていっているのだ。

 それを全て変換できれば、おそらく『世界の中心』を芽吹かせるだけの量に、達しないだろうか。







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