30.石の扉編 不死者の群れ
彼は目を見開き、自身がたどり着いてしまった答えに動揺を隠せないでいた。
森の中を不吉な者がずるずると駆け巡っている音が地響きのように聞こえる。周囲の小さな草木を薙ぎ倒し、通る道を穢すように進んできた。それらが木々が抜けた泉のすぐそこまでやってくると、彼らの目に止まる。
「不死者……! もう、殲滅されたかと」
ヘイムダルの声に、セフィライズが湧き出るように数多く現れたその黒い物体を見た。それはまさしく、あの壁から這い出たウロボロスと共に現れた、タナトスの群れだ。人間のような姿をした黒いヘドロを纏った生き物。顔は真っ黒に塗られ、口と目がかろうじてわかるだろうか。ガラスの小瓶の液体を飲んだ人間達と全く一緒のその姿。それが不死者だとうい事を、彼は今理解した。
その不死者の群れが何かを探すように止まると、左右に首を振りまた走り出した。その穢れを纏った集団が白き大地の民が暮らす集落へと向かっている。
このままでは彼らが危ない。それだけではない。もし大樹の上へと登ったら、そこにはスノウとテミュリエがいる。
それらは異様な速さで森の奥から這い出るように溢れてくる。この数を一度に葬り去る事なんて、セフィライズ一人では到底できそうになかった。何か一瞬で対処できるものはないだろうか、例えば魔術でそれができないだろうか。
セフィライズは思考を巡らせながら拳を握り、地面から立ち上がるために岩へとそれをついた、その時だった。
彼の魔術が暴走した。
音が聞こえない。膝をつき、拳を地に当てながら体を動かす事ができない。全身の毛が逆立つような震えと共に、彼の体がうっすらと光放つとほぼ同時。
不死者達に向かって部分的に地面が捲れ上がり、矢のように激しく襲った。金切り声のような多くの奇声が、彼らから見えないところでも同じ現象が起きている事がわかる。光を纏うそれらは不死者達を一人、また一人と滅した。
スノウとテミュリエは地震が起きると床にふせながらテーブルの下へと潜る。地震の経験がないのか、テミュリエが不安そうな顔で当たりを見渡すので、彼女は思わず体を引き寄せ胸の中へと抱きしめた。
『大丈夫ですよ』
地震と共にテーブルの上にあった宿木の剣が落下し音をたてる。
「ひっ」
それを怖がりテミュリエがまた震えるので、よしよしと頭を撫でた。地震がゆっくりと収まると、二人はテーブルの下からでる。
スノウは床に落ちた宿木の剣を拾い上げた。この地震に覚えがある。だから、一刻も早くセフィライズにこの剣を渡さないといけないと思ったのだ。
『テミュリエさん、わたし……セフィライズさんのところに行きます!』
スノウが宿木の剣を持って走り出す。テミュリエは彼女が何を言ったか全くわからなかった。
「待って、どこ行くの!」
怖い。一人にしないで。叫びそうになって、テミュリエはスノウのあとを必死に追った。
彼女は下を覗き込む。大樹の葉で途切れ途切れにしか見えない地面は、相変わらず穏やかな泉が光を反射させていた。幹に沿うように回された木板の通路を走り降りながら何度も下を確認すると、段々と視界が開けた。
泉のふちにヘイムダルと共にいるセフィライズが見える。早く行かなくてはと走り、そしてやっと大地へと着いたその時だった。
目の前に、ルードリヒと同じ黒い化け物がいるのだ。周囲を物色するように動いているそれらが、スノウを見つけると笑ったように見えた。一瞬の緩みから、物凄い速さで不死者が突進し向かってくる。
「スノウ危ない!」
宿木の剣を抱きしめながらしゃがむスノウへと襲いくる不死者に、ナイフが一本的確に刺さった。強烈な咆哮と共に、顔面へと突き刺さったそれを痛がるようなそぶりを見せる。
「スノウ、大丈夫!?」
真上から飛び降りてきたテミュリエが、スノウのそばへとやってくると肩に手を回した。それに顔をあげ、心配そうな少年へと微笑み返す。大きめに口を動かして、ありがとう、と伝えた。
「早く、こっち!」
テミュリエはスノウの手を引いて走り出した。完全に仕留められた訳じゃない。目の前で悶える不死者がはっきりと二人を睨み、その後を追ってくる。早すぎるそれが飛び上がり、逃げ去る二人へと腕を伸ばしたその時だった。
地面が隆起し、土が鋭い刃を形成して不死者へと襲う。大量の光る土の矢に射抜かれた不死者が地面へと押し倒され、うめき声を上げている中さらに際限なく飛んでくるのだ。
二人は大地の異様な動きに足を止め振り返ると、まさに不死者が土の矢で射抜かれ地面へと叩きつけられる瞬間だった。悶える不死者に刺さる土矢が止む頃、それはゆっくりと黒い粒子を周囲に撒き散らしながら元の姿へと戻っていく。
スノウは息を飲んだ。人に戻るとわかっていた。しかし。
それは、あの時……コンゴッソ側からアリスアイレス王国側へと抜ける際に遭遇した死の狂濤。セフィライズが必死に流星のように降り注ぐ光の玉を防ぐもすり抜けたそれが周囲を撃ち抜いていた。
人に戻ったその不死者が、彼女の目の前でその光によってこつ然と消えてしまったはずの男性だと、わかったのだ。
「スノウ?」
テミュリエはスノウが口元を抑えて震えているのに気がつき、そっとその腕を触る。
『どうして……』
どうなっているのかわからない。あの死の狂濤で消えてしまった人達。それはみんな、この化け物になってしまうのだろうか。




