16.エルフの森編 足掻く
朝靄の中、木々の隙間から日が差し始める。早朝さえずる鳥が羽ばたいた些細な音で彼はベッドの上で目が覚めた。
『どうする?』
彼の耳元で声が聞こえる。それが魔術の神イシズだとはっきりとわかった。
『このままだと、スノウを殺すのは貴様だな。どうする?』
「どうする……どうも、しようがない」
どうする事もできない。無理やりにでも一角獣を殺し、彼女にその血を飲ませる事を何度も何度も考えた。でも、どうしてもできない。どうしても、選べない。
会話を重ね、スノウの考えを変えさせるという事も試みようかと思った。しかしそれもきっと無意味だろう。
『確かに、このままではどうしようもない。じゃあ、根本から変えてみたいと思わないか。全てを、やり直したいと思わないか?』
「やり直す?」
『僕は全てを。一緒に作り替えないか』
ベッドの脇に、白く淡い光を放つ実体のないイシズの姿。手を差し出されたのがわかる。イシズの言う、作り替えるの意味がセフィライズにはわからない。
今を……この現実をなかった事にしてどうなるのだろうか。今までの全てが消えてなくなったら。
「……まだ、諦められない」
思い出を、記憶を、全て消してしまうという意味ならば、受け入れられなかった。スノウと過ごした日々の、嬉しかった事、楽しかった事。それを今が辛いからと、無かったことにできるだろうか。
できはしない。まだ、何か方法があるはずだから。まだ、やれる事はあるはずだから。
『なら、せいぜい抗え』
嘲笑されたのがはっきりとわかる。そして淡い光がゆっくりと消えた。
まだ薄明りの朝、少し肌寒い。昨晩は、絶望にも似た気持ちのまま眠った。すべてがただの悪夢ならいいのに。隣のベッドの上には未だに安らかな寝息をたてるスノウ。寝相が少し悪かったのか、衣服が少しはだけていた。
起き上がり、薄手の毛布を彼女にかけなおす。彼女の金髪がぴょんぴょんと外に跳ねていた。可愛らしい彼女の特徴的な髪。
セフィライズは手を伸ばし、触れるとやわからかった。顔にかかるそれを撫でるように後ろへ流す。
「まだ何か……」
テーブルの上に置かれた王の写本に手を伸ばした。まだ、もしかしたら知識を引き出しきれなかったかもしれない。他にも方法があるのかもしれない。もう一度《世界の中心》の模造品から、叡智を引き出したいと思った。
王の写本の背表紙からナイフを抜く。それを腕に当て、慣れた手つきで傷つけると血液が溢れた。同時に本が開きながら宙に浮く。
セフィライズは心の中で強く思う。不死者になっていく人間の、救い方を知りたいと。
三度目ともなると認めざるを得ない。何も発せずとも、王の写本は問いに答えた。
そう、魔術の使用に詠唱の必要が無くなったのだ。
開かれた白紙の頁に文字が浮かび上がる。しかしそれは、最初に見たものと全く同じだった。
一角獣の心臓を抉り出し、それに口付けてすすれ。それ以外の情報がない。
今一度、強く願う。
ーーーー他の方法は、ないのか
もっと、彼女が苦しまない方法で、不死者になる事を止める。もしくは完全に代償を浄化できる方法を。
『もっと、を。求めるのか?』
その声は紛れもなくイシズの声だった。しかし先程のように胸の中で響く声ではない。王の写本から発せられている。
『禁忌に触れたいと思うのなら、それ相当の代価が必要になる。もっと、を求めるのなら。払えるのか』
ーーーーそれで、彼女が助かる別の方法が、あるのなら
セフィライズがそう答えた時、耳元で声がした。
『あーあ……貴様一人で、足りると思うのか?』
イシズの嘲笑する声とほぼ同時。王の写本はその青白い輝きを変え、不穏な黒く鈍い光を放つ。痺れるような感覚が、その黒い輝きと共に体を這った。次第に白紙の頁からいくつもの黒い蔦のようなものが生え、セフィライズの腕に巻き付いていく。その瞬間、強烈にマナを吸い上げられる感覚に目眩がした。
「代価、は……これか……」
体の中を蝕まれる。抜けていく力。
膝をつき、崩れ落ちた。
スノウは物が床に落ちる音に驚いて目を覚ました。夢うつつだった為、それが現実なのか夢の世界だったのか判断がつかず混乱する。ゆっくり周囲を見渡すと、テーブルの向こう側、床に王の写本が落ちていた。
彼女はベッドから立ち上がり、王の写本を拾おうとかがんだその時。それに手を添え倒れているセフィライズを見つけた。驚きのあまり一瞬手が止まり、現実を理解して彼のそばに。声が出せない、だから必死に彼を揺すった。
『セフィライズさん!』
彼の体を仰向けにさせると、ほんのりと体の中心が透けて発光しはじめた。彼の胸元、体内に何かが白く光っている。触れようと、スノウは彼の胸元に手を当てた。
『花?』
幾重にも花弁が折り重なり、浅く開いて咲く花に見える。中心ほど強く輝き、そしてその形を、その花を、どこかで見た気がした。どこで見ただろうかと思う。スノウは必死に考えたが思い出せない。
でも、絶対にどこかで見た。この花を。




