12.エルフの森編 アイデンティティ
食事の場所にと案内されたのは、スノウがカンティアの公園で見た木なんかよりも何倍もの幅のある大樹だった。その幹の周りに組まれた通路を進み登っていく。巨木の上にしっかりと作り込まれた家があり、そこに入った。
中は食事の用意がなされ、既にセフィライズは奥に座っていた。その横にあの牡鹿、ヘイムダルとテミュリエ。
テミュリエはスノウと目があって恥ずかしそうに視線をそらしていた。
「さぁ、スノウさんはこちらにどうぞ」
スノウはマリニウスにセフィライズの隣に座るよう促され、細かな刺繍が入った敷物の上に膝をついた。顔を上げたセフィライズと目が合う。にっこりと笑って見せた。
隣に座る彼を見ると、髪は短く整えられ初めて会った時を思い出す。服装は他の白き大地の民と同じようなものだった。おそらくこれが彼等の民族衣装なのだろう。
『髪も整えられたのですね。服も、なんだが別の人みたいです』
スノウは彼の髪に指を向ける。他の白き大地の民と同じ衣装を着てしまうと、なんだか本当にセフィライズが遠い存在のように感じた。周りは皆、テミュリエ以外その服を着て、彼と同じ銀髪に銀の瞳。白い透き通るような美しい肌。スノウの肌の色、目の色、髪の色がその場所では酷く浮いて見えた。
「……あぁ、髪、かな。揃えた」
流石にナイフでざっくり切り取っただけの、段々になりところどころ真っ直ぐでいびつな髪型のままにしておくわけにはいかない。今まで長く伸ばしていたが、久々に耳に少しかかるかといった長さになっている。
スノウはその、髪に触れる彼の手に真新しい傷を見つけ手を伸ばす。掴むと一瞬痛みを感じて眉間に皺を寄せていた。
『どうされたのですか?』
「……少し、魔術を使ったから」
大丈夫か、どうしたのか。そういったことをおそらく言ったと考え、セフィライズは答える。と、同時に二度も言葉を発せずとも魔術が発動した感覚を得た事に疑問を抱いていた。
『治します』
そう言ってはみたものの、声が出せないまま詠唱の言葉を発するように口を動かすだけで使えるのかわからなかった。彼の手を掴み、口をあけ出ない声を振り絞るよう喉を震わせる。やはり音はない。
『今この時、我こそが世界の中心なり』
最後の言葉を綴ったように口を動かした。しかし、何も起も起きない。
魔術は声に出さなければ発動しないのだ。当たり前といえば当たり前。しかしスノウはとても動揺していた。
一角獣との会話から考えるに、眷属と結んだ契約は切れていない。不死者になれば契約が切れ使う事ができなくなる。しかしそもそも声が出せない時点で、契約は切れておらずとも使う事ができないのだ。
『ごめんなさい』
治癒術が使えない自分なんて、本当に何も役に立たない。自分という存在の価値が、全てなくなったような感覚だった。
「……問題ない」
スノウが治癒術を使えない事に戸惑っているとすぐわかった。彼女にとっておそらく、アイデンティティそのもののはずだ。それが無くなるというのは、想像するだけでも辛い事なのがわかる。
「スノウ。君は君だから。大丈夫」
胸に手をあて、真っ青な顔をしているスノウの肩に触れた。今だ動揺を隠し切れない瞳がほんのり濡れている。
『わ、わたし……ごめんなさい』
戦えるわけじゃない、知識が豊富でもない。声も出せず、治癒術も使えない自分は、いまここに、セフィライズと共にいる意味があるのかと思う。結局、何もできないままだ。
食事を頂きおわる頃、周囲は暗くなりろうそくのほの温かな光が室内を照らしていた。スノウは珍しく彼が美味しそうに食事をとっているのに気がついて、そういえば大丈夫なのだろうかと心配になった。
あの壁の中、泉の水を飲ませた後に触れた彼の胸にはあの腫瘍は無くなっていた。最後に薬を飲んでから丸一日以上は経っている。大丈夫ですか、と聞きたかったがどう伝えればいいかわからなかった。
その夜はマリニウスの案内で枝分かれした幹の周りに続く木板の廊下を歩き、さらに上へと登った。柵があるもののずいぶん高いところまで登ってきた。下を覗くとスノウが先ほど一角獣と出会ったウルズの泉が見える。木々の隙間から入る月明かりでその泉だけが輝いているようだった。枝分かれした部分に再び先ほどよりは小さな家が建てられている。
今日はこちらで休むようにと促され二人で入ると宿泊をするには十分な広さと設備が整っていた。ベッドが二台。両手に何か大きな本を抱えていたセフィライズはそれを近くのテーブルの上に置く。それはなんですか、と聞きたかったがやはりどう伝えればいいかわからなかった。




