4.魂の回廊編 ミーミル
ウィリはスノウの必死さを見て、目を細める。
「それを愛おしいと思うのか」
その問いに、スノウは目を丸くした。そんなもの、わかりきった答えだ。
ずっと、ずっと見てきた。彼のことを。そして誰よりも、何よりも、愛おしいと思うから。
「はい。助ける方法があるなのなら、なんでもします」
懇願するスノウの姿。ウィリは目を閉じ、瞼に映るのは彼女の記憶。奥底にある古い思い出とスノウが重なって見える。懐かしさから笑みをこぼした。
「教えるのか」
ウィリの背後から男の声がした。突然現れたのは、先程スノウの肩を強く抱き引きよせた淡く白い光を放つ人。相変わらずその姿ははっきりと見えないのに、とても困惑した表情をしているのだけがわかる。
「終焉が遠くなる」
「何を言うか。お前も先延ばしにしていたじゃろう」
その白い人が、ゆっくりと歩み寄ってくる。そして段々とその姿をはっきりとさせた。白いかけらが泡のように消えていき、現れたのは一瞬見た姿と同じ。長い銀髪に、切長の金の目、整った顔立ちで肌は白く、耳は長く尖っている。その容姿が、とてもセフィライズとシセルズに似ていて、まるで白き大地の民のようだと思った。
「見たいんじゃろう。もしも、の世界が。終焉は、それからでも遅くはないじゃろう」
「……」
無言で下を向くその男に、ウィリは嬉しそうに笑う。
「似ていると、思っているんじゃろう。エイルに」
スノウはその時、この男性が誰なのかなんとなく察してしまった。冥界の神ウィリと親しく話し、会話に出てきたのはおそらく癒しの神エイルの事。そしてその二人と親交があるとされる人はもはや、一人しかいないのだ。
「魔術の神イシズ……ですか?」
「僕を呼び捨てとは」
イシズは不敵に笑い、そしてすぐ不満そうにウィリを見る。
「似てないよ。全然似てない。彼女の方が美人だった」
「ふふっ、照れるでないぞ」
気さくに会話する二人に、スノウは戸惑っていた。目の前に、神話の時代に出てくる人物がいるのだ。ここは本当にどこなのだろうか。壁の中の世界は、神々のいる場所に繋がっているのだろうか。だとしたらやはり、ここは死後の世界なのだろうか。
だが、イシズは確かに言ったのだ。あの光の螺旋が上へと昇っていく空間で、元の世界に戻してあげるよ、と。
「お願いします。彼と、一緒に戻りたいんです! どうか」
「それはもうダメだと言っただろう。諦めろ、その器はもう使い物にならない。仮に戻してもいいが、朽ちた器は腐るだけだ」
「でも、でも! 魂が抜けてないんですよね。それは、その……まだ間に合うという事ではないのでしょうか!」
彼を膝に乗せ、抱きしめながら必死に懇願した。この人達は神様なのだ、絶対に何か知っているはずなのだ。
「教えるのか、と……先程おっしゃってましたよね? 何か、ご存じなのですよね!?」
「……一人で帰れ。僕が特別に戻してやる」
「いいえ、セフィライズさんと一緒でないと帰りません!」
「なら貴様もここで器から魂を剥ぎ取る。大人しく輪廻に戻るんだな!」
声を荒げたイシズは歩み寄るとスノウの胸ぐらを掴んだ。それに抵抗するように彼女が手を添える。
「待て」
「くそ薄汚い人間がッ!」
「待て! 落ち着けイシズ。落ち着くのじゃ」
ウィリに肩を叩かれ、イシズはゆっくりと手をスノウから離す。怯まない、臆さない。真っ直ぐなスノウの目に見つめられ咄嗟に目を逸らした。
「もう機は熟した。いつでも終焉は迎えられるじゃろう。それを選ばないのは、何か思い残した事があるからではないのか」
「そんなもの、あるわけないだろうが。ただの気まぐれだよ。僕は……」
スノウはイシズの思い詰めた横顔が、ふと、彼に似ていると思った。気がついたら、スノウはすぐ横に立つイシズに手を伸ばし、そして触れた。
「どう、されましたか? わたしは何も、知らない。だからよかったら、聞かせてくれませんか?」
彼らが語る、終焉が何かわからない。そしてイシズが戸惑う理由がわからない。それにおそらく、セフィライズが関係しているのだ。
「……ふふっ、似ておるのぉ」
ウィリが笑う。それにイシズはまた声を荒げた。
「似てない! 全然似てない!」
「ムキになるでない。イシズよ、もしもの続きが得られてからでもいいじゃろう。我は長く待った、もう少しぐらいなら待てるぞ」
イシズは大きなため息をつく。そして芯の強い瞳をいまだイシズに向けてくるスノウの目を、はっきりと見つめ返した。
「それを飲ませろ」
イシズが指をさす先は泉だった。美しく黄色とも緑とも言えない光に満ちた水は、どことなく粘土があるように見えた。
「これは片割れの命の根源じゃ。その朽ちた器をおそらく再生させる事ができるじゃろう。ただ……人としての姿や精神を保っているかどうか、保証できんがな」
スノウは頭を下げる。それが正しい選択かはわからない。でもこれしか方法がない。再びセフィライズを見た。目を瞑り、眠っているだけに見える彼はまだ温かく柔らかい。そして心臓に貼りついた腫瘍に触れると、そこはまだ強く鼓動していた。しかし、口元に手を持ってきても息を感じる事はできない。
スノウはセフィライズをゆっくりと寝かせ、泉のほとりへと向かった。
「人間が口にしていいものではない。代償の覚悟はあるのか」
泉の前で跪いたスノウの背後からイシズが発する。スノウは振り返って、彼の目を見て微笑んだ。
「はい」
何も怖くない。
もう一度、彼と話ができるのなら。もう一度、手をとり笑顔を向けてくれるのなら。
「あまり量は飲ませるな」
イシズのその指示通り、スノウは泉に口をつけ少量の水を含んだ。そのままセフィライズの元に戻り、彼の顔を覗く。
これが正解かわからない。でも、どうか、どうか。




