3.魂の回廊編 扉
目の前に現れた扉のドアノブに手をかける。しかしそれは握ると人の手に変わった。扉だと思っていたものが一瞬にして姿を変え、現れたのは今の背丈のセフィライズだった。
「セフィライズさん」
よかった、やっと見つけた。そう思った。手を握る目の前の彼は、黙ったまま薄く笑っている。
「行きましょうセフィライズさん。一緒に、出口を探しましょう」
一緒に帰りたい。一緒にあの国で、あの家の暖炉の前で。そして言いたい。ちゃんと伝えたい。もう二度と、後悔しないように。
それでも彼は微動だにせず、ただ薄く笑っているだけだった。
「セフィライズさん?」
「ありがとう。心から、君を想う。君を守ると誓ったのに。最後まで守れなくてごめん」
それはあの時、スノウに伝えたくても伝えられなかった最後の言葉だった。
そう言って、手を離してスノウに背を向ける。行ってしまう彼を必死に追いかけた。服を掴む為なりふり構わず。スノウは彼の背から、抱きしめようと両手を広げ、そして。
抱きしめた、そう思った瞬間。
次にスノウがいたのは、大きな木の根の上だった。
既に大部分が枯れてしまったような巨大な根が幾重にも折り重なり、複雑な空間が出来上がっている。表面には苔が緑に光っているかのような箇所がいくつもみられ、そこから溶け出すように白い光が上空へと大量に登っていく。それは先ほど見た、光の螺旋と同じものに見えた。
彼の姿がない。周囲を見渡してその根の道を走り出した。スノウの周囲に光を放つ妖精が集まってくると、くすくすと笑い声を上げる。
「せいかいだよ」
そう妖精の一人が言った瞬間、進む先に泉があった。巨大な根のへこみに溜まっているそれはうっすらと、黄色とも緑とも言えない色に光っている。そのほとりに彼が横たわっていた。
「セフィライズさん!」
今度こそ彼だと思った。ボロボロの服に、血だらけの体。スノウは駆け寄り、頬に手を当てると柔らかくて温かい。まだ生きている、死んでないと思って、嬉しくて声を押し殺し、よかったと呟いて泣いた。
「人がこの場所に来るのは、いつぶりじゃ」
声がして振り返ると、スノウが通ってきた道の真ん中にひとりの女性が立っていた。絶対に先程はいなかったはずなのに、どうして突然現れたのだろうか。濃紺の髪は地面につきそうなほど長く、身にまとう服もまた全身が黒くしかし掴み所のない光を内包している。まるで壁に見た揺らぎのようなものを感じた。
「小娘、名はあるのか」
「あ、あの。はい……スノウと申します」
スノウはセフィライズの隣に座りながら頭を下げた。ゆっくりと近づいてくるその女性に警戒心を抱くこともなく、なぜか自然とその存在を受け入れている。差し出された手が、スノウの顎に触れられた。
「んん、なるほど。顔は似てはいないが、目は似ているかもしれんのぅ」
「すみません、その……」
「ああ、我か? 我はウィリ」
あの白く光る人が発していた名前だ。スノウはその名前に聞き覚えがあった。アリスアイレス王国できっちり学んだ数ヶ月。ウィリというのは冥界を治める神の名前だ。死んだ人の魂が浄化され輪廻へ還る。そしてまた人という器の中に宿るその一連の流れを取り仕切っていると学んだ。
「冥界の神ウィリですか? ここは、死後の世界という、事でしょうか」
「ここはかつてあった世界樹の朽ちた根の最後の部分。少しずつマナになり消えてなくなる途中じゃ。我はここで終焉を待っているだけに過ぎない。多くの魂が輪廻へと還り、そして巡っていく様を眺めながら」
ウィリはスノウから手を離すと、今度はセフィライズの手を掴み引き起こそうとした。それをスノウが慌てて止めに入る。
「何をされるのですか」
「もうこの器は使い物にならないからのう」
「まだ、セフィライズさんは生きています!」
スノウはセフィライズの手を掴むウィリの腕を強く握る。その必死さが伝わったのか、ウィリが薄く笑った。
「背を見てみるといい」
ウィリは腕をひき、セフィライズの体を座らせた。スノウへと見せられたのは。
「っ……」
深く抉るような傷が、はっきりとセフィライズの背骨に沿って走っている。既に血はなく、見えるのは肉片と骨の一部。
「これで動くわけなかろう。この器はもうダメじゃ」
「でも、でもまだこんなに、柔らかくて温かい。心臓だって動いて……!」
「魂が抜けておらんからじゃ。片割れが絡みついて離れられないのじゃろう。しかしそのうち輪廻へ還る。すぐに始まるじゃろう、終焉が」
「でも、でも……!」
受け入れられない。受け入れたくない。まだ間に合うと何度も言い聞かせ。ウィリからセフィライズの体を奪うようにして抱きしめた。
お願いだから、もう一度だけ目を開けてほしい。お願いだから、もう一度声をかけてほしい。
もう一度、名前を呼んでほしい。
瞼を固く閉じる、彼の頬に手をあてて、何度も名前を呼んだ。




