外伝 ファヴニール 5
新しい坑道を掘り進めるのにさらに三時間程費やした。何とか奥に取り残された人たちを助け出す頃には日が沈み、周囲は激しい吹雪となっていた。鉱夫達の為に建てられた建物の中で一晩過ごし、翌日の朝に帰還する事となる。
シセルズは怪我人はいるも、死人は誰一人いないことに胸を撫で下ろした。広間に並べられた布団の上で連れてきた部隊の兵士達が思い思いに雑談をしているのをなんとなく眺める。
兵士の一人が明かりの薄い端の席に座っているシセルズのところまで来ると、敬礼をし頭を下げる。
「もうそろそろ就寝時間です」
「まぁ、別にいいんじゃねぇか。各個人しんどくないようにだけしてもらえれば。怪我人は先に寝ろって言っといて」
「かしこまりました!」
その兵士と入れ違いに、セフィライズが歩いてきた。頭には雑に包帯が巻かれ、手には何か飲み物を持っている。
「おいこら、じっとしてろ」
「平気だよ。薬湯、入れてもらったから」
「まずい?」
「そこそこ」
セフィライズはシセルズの前に座る。自分の薬湯を飲みながら、視線を机の上に置かれた魔剣グラムへと落とした。正直、これをもう一度見る事になるとは思っていなかった。
「王の写本は、持ってこなかったの」
「……セフィは覚えて無いのか」
「あんまり……」
白き大地から逃げる時、まだシセルズの事を兄だとは認識していなかった。誰かわからない人に手を引かれて、足元ばかり見て必死に走らされていた。だからその時の兄が何を持っていたとか、どんな顔をしていたとか、そういうのは全く覚えていない。
「正直、お前の手引いてこの剣持って逃げるので精一杯だった。王の写本までは持ち出せなかった。どこいったんだろうな」
「置いて行けばよかったのに」
「……お前以上に大切なもんなんて、この世にあるかよ」
その言葉は、どっちの意味なのだろうかとセフィライズは思った。人として、血のつながった家族として、なのだろうか。それとも。
「ありがと……」
どっちの意味か、なんて聞いたらまた怒るだろうから。セフィライズは黙って頭を下げた。今は、兄の存在に感謝しているから。実際どう思っていたかというのはもう、関係のない事だ。
シセルズは当時を振り返ると、確かに咄嗟にセフィライズを助けてはいたが、しかし。
打算的な考えがなかったか、と言われたら。
おそらくあったのだ。
魔剣グラムと、セフィライズと、王の写本。この三つは最低でも持ち出したいと絶対に思ったはずなのだ。その中で魔剣グラムは腰に下げれば手ぶらだが、魔導書である王の写本は大きく幅を取りそして重い。自分で走れるだろうセフィライズの手を引いて、反対の手でそれを持ってシセルズ自身も走って逃げる。というのは、無理だ。
その時を思い出す。その時はまだ。
目の前に立つセフィライズは薬湯を飲みながら眉間に皺を寄せていた。
「でかくなったな……」
「え?」
「いや……こんなんだったなって、思って……」
こんな小さかったあいつを、俺はその時、人間だと思ってなかった。今思えば本当に消してしまいたい過去だと思う。でも、それぐらい。そういう関係でしか無かった。
「悪かった。ごめんな」
「……」
シセルズの謝罪の意味を、セフィライズは何となく理解した。先ほど、どっちの意味かという質問を飲み込んだが、おそらく兄もまた同じ事を思ったのだろう。そして最初は。
「気にしてない」
「そっか……」
シセルズは薬湯に口をつけようと、湯気をあげるそれに息を吹きかけた。一口、飲んでみる。
「うわ、苦ぁ……」
わかりやすい反応に、セフィライズが笑った。自然と笑顔が出るようになったセフィライズを見て、シセルズもまた笑う。よかった、なんていう思いが胸に溢れた。
こうして、普通にしていられる事が。
昔を思えばとてもすごい事だ。この先も、ずっと続いて欲しいと思った。
魔剣グラムを眺めながら、シセルズは隠した左目の刻印に、布の上から触れる。金の色彩の瞳は、王位を継ぐ為の最初の儀式に参加し父親から受け継いだもの。
何事もなければ、名前のある何か、唯一無二の誰かになれていたのだ。しかし今は違う。
もう白き大地は存在しない。率いるべき民もいない。なれるはずだった王にはなれない。
だから、何かになりたかったから。
俺は、お前の唯一無二の兄になりたいと、思ったんだ。
外伝 ファヴニール end
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