49.黒雨の古城編 同じ
スノウは雄叫びを上げながらデューンが向かってくるのがわかった。しかし咄嗟の事で立ち上がったまま動けずにいると、そこにセフィライズが走ってきた。彼が勢いよく飛び込んでくると、強く抱きしめられる。その勢いと共にデューンの振りかざした大剣によってさらに激しく押され、スノウとセフィライズは崖へと落ちていった。
セフィライズは落ちながらスノウを自身の胸に抱え込む。体をねじり、彼女を守るよう包み込み背を下にした。
「我ら、世界を創造せし魔術の神イシズに祈りを捧げ、風よ揺籠となりて寄り集まり支えよ。今この時、我こそが世界の中心なり!」
セフィライズが手を口元に当て、素早く魔術を唱える。風が渦をまいて彼らを包み吹き荒れた。次第に重力に逆らい落ちる速さが変わっていく。地面へと激突するその際に、二人は空中で一度止まると、どさりと落ちた。
スノウはセフィライズの上に覆いかぶさっている。慌てて起き上がろうとするも、彼の手が強く肩を抱いていた。
「セフィライズさん……」
声をかけるも微動だにしない。彼の腕を外し、体に触れ少し揺らす。
「セフィライズさん!」
「ぅ……ぁ……」
うっすらと目を開けた彼に、はっきりとした死相が見えたのがわかった。スノウは取り乱しながら彼の体を抱き起こす。
「セフィライズさん、しっかりしてください!」
手を回し背に触れたその先に、ぬちゃりと嫌な感触。スノウが自身の手を見ると、それはおびただしい程の血だった。彼の背中を、真っ二つに割るかのように深く抉られた傷。雨でその血は周囲にどんどん薄く広がっていった。
「いや……うそ、ですよね。セフィライズさん、いやだぁ……」
呼吸が荒いなんてものじゃない。薄いのだ。彼の口元から漏れる息は、途切れ途切れで。スノウに抱きかかえられた彼は、今にも閉じそうな瞳を必死に開け、スノウを見て小さく笑った。
「ぁ……の、時と……いっ、しょ……」
彼のいう、あの時が何かわからなくて首をふる。いや、実際にはあの時が何か、わかっている。ただ彼ではない。セフィライズではなかった。
あの時、崖の上から落ち、スノウを助けてくれたのは。雨の中、足元に気をつけるようにと手をひいてくれたのは。壁に穴を開け、コンゴッソ側へ渡り、一緒に魚を焼いて食べたのは。
黒髪の、別の人の、はず……。
「もぅ、、わ……かる、ね……?」
「わかりません……わかりません、セフィライズさん! わたし、まだ。まだ間に合います。まだ助かります! まだっ!!」
治癒術を使おうとするスノウの手を、セフィライズは止め首を振った。スノウもわかっている。こんな状態で使ったら、恐らく彼は死ぬだろう。マナになって溶けて逝ってしまうかもしれない。しかし使わなかったとしても。
「死ん、だら……腕を、切って……持って、い、って……壁を……」
「そんな事、できるわけないじゃないですか……!」
「な、ら……髪を、切って……」
ここまで、何度か切ろうと思っていたこの長い髪を、伸ばしたままにしていて本当に良かったとセフィライズは思った。手を動かし、自身の髪に触れる。もうはっきりとは出せない声を、薄い呼吸を繰り返し途切れ途切れでも詠唱の言葉を紡ぐ。髪を媒体にし、彼女が壁を越えられるように祈りを込めて。
「今、この時……我、こそが……せか、い……の……」
髪に触れていた手がパタリと地面に落ちる。嗚咽を漏らしているようなうめき声と共に、息を何度か吸い込んだ。
とても寒い。雨が当たるたびに体が冷えていくようだ。
もう、動けない。視界が悪くなっていく。
すぐそこにいるはずの彼女すら、もうよく見えない。
もう少し、せめて最後ぐらいは、しっかりと見たかった。目を見て、伝えたかった。
ありがとう、と言葉を発する為に口を開ける。音になっていたかはわからない。
届いただろうか。
思えば初めて彼女を見たとき、何にも穢されない澄んだ瞳に驚いた。何かを憎むことも、恨むこともない。はっきりと真っ直ぐな強い灯火を宿した目だった。
その瞳で見つめられ、暗闇の中で立ち止まっているだけの自分に手を差し伸べてくれた彼女。何度助けられたかわからない。
いつの間にか隣にいることが当たり前だと思う程、自然に馴染んでいた。
会話を、何も気にせずにするような他人なんて、今までいなかった。
思い出の全てが、心の中で幾重にも積み上げられていく。そして最後に浮かぶのは、その特別な想い。
伝えない。最後まで伏せて、そして持っていく。
自分ではない、ふさわしい誰かと幸せになって欲しい。
すぐそこまでこみ上げた気持ちを抑え、必死に微笑んだ。
「こ、ころ、から……」
心から、君を想う。
君を守ると、誓ったのに。
最後まで、守れなくてごめん。




