43.ヨルムの祭壇編 封印
妙に大人しくしていたウロボロスが、一つの場所から大勢の人が金切り声で泣き叫んでいる音を発して動き出す。既に雨風で大きく劣化したその祭壇に向けて。人の三倍はあろうかという黒い肢体は、頭部、両腕がはっきりと形を成している。それ以外はまるで粒子がより集まっているかのように境界がはっきりとはしていなかった。
セフィライズはネブラから奪い取った槍を取り回し、トロールとデューンから距離を取った。いまだ脇腹の傷が疼くも、意識だけはしっかりとしている。
「ネブラはあっちだ!」
「あいよ!」
武器の無くなったネブラが崩れた祭壇の柱を登っていく。セフィライズはすぐにどこへ向かうのか理解した。その崖の上、そこには。
「待て!」
スノウのいる方へ向かっていく。彼女を狙っているのか、それともヤタ族を狙っているのか。そこに何かがいることを確信した動きだ。追いかけようとするセフィライズをデューンが阻む。舌打ちをしながら素早く避けようと動くも、邪魔をするようにトロールが襲いかかってきた。
セフィライズは槍を振り上げ、その鈍い動きの巨体へと弧を描くように切り上げる。
しっかりと入ったはずの刃先。しかし、傷ついたはずの体はすぐに埋まるかのように再生された。
「そこどけ!」
後ろから雄叫びをあげたデューンが大剣を振り上げる。その軌道から外れるよう飛び避けた。ぐしゃりとそれがトロールの頭を潰す。その刹那、デューンがセフィライズを見た。それはおそらく。
セフィライズはいまだ、と言われていると直感した。奇しくもデューンと共闘する事を理解し、槍を構えると動きの止まったトロールの首へと突き刺す。豚が鳴くのと似た声が上がった。
「うぉらあああ!」
デューンは大剣を引き上げ、その剛腕を使い身をよじり、渾身の力で薙ぎ払う。軌道上にいたセフィライズが避ける事は折り込み済みなのだろう。遠慮のないそれはトロールの腰骨を砕く音がした。
デューンの薙ぎ払われた大剣を避け、セフィライズは高く飛んだ。体を上空で拗らせ槍をトロールの鎖骨の間に向け串刺すように体重をのせる。鈍い感覚と共に、深く体中へとめり込んだ。
鈍く耳障りな叫び声と共に、トロールの体が崩れ落ちる。槍を串刺たまま、セフィライズはその場から離れた。大地を揺らさんばかりに倒れたとロールの体は徐々に黒く染まってく。四肢の先からぼろぼろと崩れるように形を成さなくなり、刺さっていた槍がその灰に埋もれるように残った。
「やっぱやるなぁ。本気であんたと殺りあってみたいもんだ」
薄ら笑いを浮かべるデューンが体を真っ直ぐにすると余裕げに見られる。セフィライズは槍を拾い、脇腹を押さえたまま睨み返すと、波動を感じる程の金切り声が聞こえた。祭壇に取り憑くように覆いかぶさっていたウロボロスが叫んでいるのだ。次第に大地が軽く揺れる。黒い粒子は円を描きながら周囲に広がり、ウロボロスの体を包んだ。
次の瞬間、ウロボロスの右足から黒い粒子が剥がれ落ち、しっかりとした実体を成す。
それは、ヨルムの封印が解かれたという事実に他ならない。
セフィライズはすぐ走り、スノウの元へ向かおうとするも、それを再びデューンが遮った。
「おっと、進ませられねぇな」
セフィライズにとって、立ちはだかるデューンを避け進む事など容易い。しかし追いかけて来られては困るのだ。立ち止まり、考えを巡らせると一瞬スノウの顔がよぎる。首を振りデューンを再び睨み付けた。本気で排除しなければならない。つまりそれは、殺す、という事だ。セフィライズの目に冷気が宿る。久しく息の根を止めようと思わないでいただけに、思考の切り替えに戸惑った。だが、ここでデューンを仕留めておかなければ。
セフィライズに殺気がこもる。拳を強く握り、顔を上げたその時。
「そこまでだよ!」
ネブラの声が聞こえる。崖の上に立つ、ネブラはスノウの首筋にナイフを当てて立っていた。
デューンはセフィライズの殺気に気が付き、一瞬肝が冷えた。本当に瞬く間に別人になったのだ。しかし冷や汗を流しながらも余裕の表情で笑う。大剣を下ろし、真っ直ぐセフィライズを見た。
「槍を捨てろ。手を上げてもらおうか」
そう指示され、深く息を吐くとセフィライズは槍を捨て素直に両手を上げた。この状況でもう身動きなど取れるはずがない。目を閉じながら深く考える。ナツネや他のヤタ族はどうなったのだろう。そう思いつつもスノウを見上げた。心配そうな表情をしている彼女に薄く笑う。声に出さず口を動かした。
ーーーー 大丈夫だから
スノウは胸が締め付けられるほど苦しくなる。セフィライズのその言葉を、しっかりと理解したからだ。目を閉じる彼の名前を呼ぼうとした刹那。
「ッ……」
デューンの的確な頚椎への攻撃でセフィライズは意識を失い、その場に崩れ落ちた。




